
「生命(いのち)を生きる」 歌詞 牛山鈴子
●1945年3月10日、東京に空襲があった。2時間半で10万のいのちが奪われた。
1.コッペパンを握って死んだ妹 いまでも8歳
笑うと八重歯が光っていた いまでも8歳
あれから68年
毎日コッペパンを仏壇に供えて 妹を想う
まさおは80歳 あの日を忘れない

●1945年6月10日と7月7日、千葉で空襲があった。ひろ子は、東京と千葉で空襲をうけた。
2.「ちゃあちゃん ぽんぽ痛いよ」妹の残した最後の言葉
母の背中で爆撃をうけて死んだ妹 3歳
12歳のひろ子の背中で爆撃をうけて死んだ弟 4ヵ月
2人の生命を99歳まで生きた母
●ゆみこは”語り部”となって、小学校で空襲の真実を語っている。
3.「昭和19年11月25日生
昭和20年3月10日死亡」
たった2行が妹の生きた証(あかし) わずか3ヵ月
空襲で死んだ父、母、妹の生命を生きてきた由美子
いま 72歳
生命を語りつぐ営みが ゆみこの生きている証

●日本は、あジア・太平洋戦争を起こし、多くの命を奪い、被害者をだした。
4.馬が死んだから 責任をとって死んだという
天皇陛下の馬だから・・・
人間より馬が大事という
父は27歳だった
ひっそり泣いていた母49歳までの生命
戦争は決して許さない!
今わたしは 70歳 父、母の生命を生きている
明日(あした)も生命を生きていく
未来に向かって生きていく
【写真説明】上・「生命(いのち)を生きる」を朗読する牛山鈴子さん。 下・東京大空襲訴訟団の一員として街頭で宣伝活動をする。
【合唱団この灯】
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