「満洲・公主嶺」亡き妹に 井本稔さん

これは満洲・公主嶺会の世話人だった亡き井本稔さんの望郷のエッセイ。あの地の日本人墓地に眠る妹さんに捧げる一文。頃は昭和15年。淡々とした筆致のなかにあの大地を、妹・弘代さんをしのぶ思いが伝わってくる。(「満洲・公主嶺 過ぎし40年の記録」より)

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          亡き妹とわらび摘み 

 町の方から東の戦車隊へ向かう道を右に曲がる。そのまま道を辿(たど)ると伊通県に通じている。
 昭和15年初夏、私の一家、栄商店の家族、従業員のこの年の慰安親睦会は、この道の先にある十三家子(かし)へのわらび摘みだった。
 数台の大車(たーちょ)に分乗してのんびり揺られて行く。黒豚が道を塞ぎ、中国人の子供たちが走り回る農家を過ぎると荒野である。大人は酒で気炎をあげ、子供たちは大車に乗ったり降りたり、目まぐるしい。突然、道の前に狐が立ち塞がって、けげんそうな顔をしている。目指す十三家子は丘陵地帯であり、平坦な土地しか知らない公主嶺っ子には、もの珍しい所であった。


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 わらびが沢山採れたかどうか、幼稚園児の私に分かる訳がない。だがこれほ程鮮明に記憶が残っているのは、一枚の写真のせいである。私より二歳下の妹が、リュックを背負い、丘の上で笑っている。目がくるっと大きい。そしてこれが最後の写真となった。その夏の終わり、赤痢にかかった妹は呆気なくこの世を去った。遺骨は日本人墓地に眠っている。満洲しか知らない亡き妹に弘代に、この文を捧ぐ。
写真】右の写真は2013年10月21日、台東区の上野ターミナルホテルで開かれた「公主嶺会」での井本稔さん。立っているのが土屋洸子さん。お二人は当日の幹事だった。井本さんは同ホテルの会長だった。

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