
筒袖、袴、革靴で通学
大野千代子(旧姓梅森・7回生)
父は仙台市警察署より明治39年に渡満し、私たち家族は翌40年渡満、最初は郭家店に、41年4月から木下町(後の霞町)のロス建ての警察官舎に移りました。まだ試験場もなく、建物はまばらで、道路もきちんとしたものではありませんでしたから、学校まで斜めに近道をして通いました。
学校へ行く服装は夏冬とも木綿の絣(かすり)で筒袖(つつそで)、それに木綿の袴をつけました。お式のときだけ黒地の紋付に袴はカシミヤをはいて行けるのが何よりも嬉しかったものです。大正4、5年ごろからは元禄袖も許されるようになりました。
当時、公主嶺に靴屋がないのをみて、父は仙台市で懇意にしていた熊谷靴店を呼び寄せ、泰平橋の下(後の香川畳店のあたり)で開店させました。それで私は平常の通学時も、そこで作ってもらった足甲や足首にバンドのついた革靴をはいていました。

【注】尖塔があった小学校
キリスト教会は一般に十字架を形どって十字形に建設され、その平面図の中心に「フレッシュ」と呼ばれる尖塔があった。明治42年ごろの右掲の写真は、はっきりと塔が見える貴重なものである。もちろんロシア時代、塔上には十字架があったはずである。この尖塔の跡が、のちに天窓になった。
まだ前面に校舎がなく、門までが大きくあいているのがよくわかる。のちに満鉄はこの場所に2階建て煉瓦造りの校舎を増築した。(写真集 満洲公主嶺22頁)
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