2017年03月02日 公主嶺小同窓会誌 第4章 エピソード -11- 私が6年になった大正9年春のこと、斎藤繁樹君の長姉で小学校の先生だった秋子(ときこ)さんが突然に来て「今日、奉天のイギリス人宣教師あ来るんだけど、日曜学校は幼稚園児と低学年の生徒ばかりだから出席して頂戴」という。不承不承、幼稚園に行って後ろの方で席に着いた。(記念誌142頁上段) 英宣教師クリスティ 伴野満美(13回生) 斉藤先生に紹介された宣教師は「皆さんは満洲に住み、満鉄の小学校に通っておられますが、支那語で、お早ようございますは何といいますか」と質問をした。だれも答えられない。僕も困ったなァと思った。ニーヤ、ライライ、ポコペン、クイクイ、ブヨ、テンホウ。ショマショマくらいしか知らない。 そうしていると「その後ろのお兄サン、お早うございますは何といいますか」と指名されてしまった。小さな声で「わかりません」。 その後、どんな話があったか全く覚えていない。秋子先生の面目をつぶしたこと、そして満鉄の植民地教育はダメだと思われたのではないかと、これは長い間私の心を苦しめてきた。この宣教師は、満洲建国後「奉天三十年」という本を出した有名なクリスティだったのである。【注】中国語訳文
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