昭和20年4月7日 戦艦「大和の最期」

 1945(昭和20)年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸して以来、沖縄・南西諸島では陸・海・空で死闘が繰り広げられていた。そうした中、戦艦「大和」が沖縄戦最期の切り札として、呉軍港を出航したのが4月6日。そしてこの日出撃して帰らなかった特攻機は陸海あわせて420機だった。

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         この日 多くの若者が特攻死した 

 不沈戦艦といわれた「大和」は6日、沖縄をめざし、片道燃料で呉軍港を出航、乗員3332人もろとも翌7日、奄美大島東方海上で撃沈された。護衛の駆逐艦「夕風」にのり、撃沈され海中に放り出された知人(村上旭平さん)が勤め先の昼休みなどでその時の壮絶な模様を語ってくれた。海上を漂流すること8時間、かろうじて救出された彼は、その後秘密の漏洩を防ぐため、佐世保の某所に数週間、隔離されたという。この戦闘の生存者は記録によると二百数十人だった。

【注】 「戦艦大和の最期」を読んで
 「『戦中派』の世代の生き残ったことで存在を認められてものではない。本来ならば戦争に殉死すべきものであり、たまたま死に損なったとしても、生きて戦後の社会をわが眼で見たことに意味があるのではなく、散華した仲間の代弁者として生き残ることによって、初めてその存在を認められるのである」と、吉田満が「戦艦大和の最期」に書いているのを読んでいたく感動したことがある

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