叶わぬ 満州への「謝罪と鎮魂の旅」

 1945(昭和20)年8月、敗戦。同時にあの傀儡(かいらい)「満州国」は崩壊した。その時、僕は新京(現長春)中学の一年生だった。1932(昭和7)年、新京から70キロ南の公主嶺に生まれた。そこはいわば我が故郷。あれから74年たった。ここにきて、未だ望郷の思いをつのらすとともに、中国人に対する一人の日本人として自責の念がよみがえる
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 旧制新京中学は昭和7年に創立された。「満州国」設立の年でもある。延べ建坪4180坪、鉄筋コンクリート3階立て、20教室。講堂(映写室付)、体育館、テニスコートなど完備。当時のこと神社(第一陣神社)まであった。さらに各教室にはウオーキング・クロークが設けられほどの極めて豪奢(ごうしゃ)そのものだった。
 1945(昭和20)年4月に入学して、先ず驚いたのは校庭の広さ。上級生がグライダーを滑走さえていた。敷地を一周すると1.4キロ。この校庭は恐らく満洲事変前のドサクサにまぎれて、現地農民の土地を買い叩いて入手したものと思われる。
 加えて公主嶺小在学中は、日の丸を背に馬車(マーチョ)のただ乗り、マクワ瓜やクワズルなどの露店でのかっぱらいなどやりたい放題だった。
 敗戦の日まで、中国人を、子どもでありながら足蹴にしてきた事実に謝罪すらしていない。そして昭和17年、公主嶺満鉄病院で病に倒れた兄。未だあの地に眠る日本人墓地の参拝も果たしていない。
 齢、米寿を前にして、「謝罪と鎮魂の旅」は果たせなくなった。夢見るだけになった。

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