テーマ「私の平成のことば」 -2-

 先ごろ来、東京新聞がテーマ「私の平成のことば」を募集していましたので、敢て投稿を試みました。が、どうやら「没」になったようです。従って私のブログ(マイナーな媒体)でアップして大方の批評をいただきたく、掲載します。     戦争だけはもうお断り    戦争になりそうな気配が出てきたとき、もう遅いみたいですね。私どもの経験からしますと、戦争になりそうな気配のケハイが出てきたとき、やっぱり声をそろえて「もうやめよう、頑張らなければ」と言わなければ。早い話が戦争は人殺しですから。(小沢昭一 俳優、俳人、当時は77歳。)  2006(平成18)年3月4日、江東区で開かれた「東京大空襲を語り継ぐつどい」での記念講演。軽妙な語り口に満場は大爆笑。相づち、拍手の連続のなか、時おりみせる真顔な眼差しに、次は何を語るのか、飛び出すのか、来場者は固唾(かたず)をのんで聞き入った。 【投稿者】永井至正(ながいよしまさ) 1932年、旧満洲公主嶺生まれ 87歳 慶応大学卒 東京都江東区在住 【追記】小沢さんの「ことば」をもう少し加えれば・・・

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テーマ「私の平成のことば」 -1-

 先ごろ来、東京新聞がテーマ「私の平成のことば」を募集していましたので、敢て投稿を試みました。が、どうやら「没」になったようです。従って私のブログ(マイナーな媒体)にアップして大方のご批評をいただきたく、掲載します。  生きてください と言った  三月十日 東京大空襲で炭にされた人々が  生きてください と言った  八月六日 ヒロシマで影にされた人々が  生きてください と言った  八月九日 ナガサキで閃光に消えた人々が  生きてください と言った  どうか だれも殺さないで生きてください  私たちが遺した憲法を守って生きてください                    永井和子  亡き妻(1934~2015)年は学生時代から詩を良くし、上記のことばは2005年(平成17)年頃書いたもの。詩集「憲法を詩(うた)う」からの一篇。終生テーマにしたのは「東京大空襲」「戦争と平和」「憲法九条」だった。とりわけ「沖縄」には全生涯を捧げ書き貫いた。人読んで彼女のことを「沖縄詩人」と言ったほど。したがって上記詩には、存命だったら「六月 ひめゆりで自決していった人々は・・・」のフレーズが挿入されるに違いない。

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「平成のことば」 東京新聞 4月26日

 ソ連崩壊は二十世紀最大の血政学的悲劇だった。  ◆ロシア プーチン大統領  2005(平成17)年4月25日、再選を果たし、二期目の年次教書演説で述べる。米国と覇を競った超大国の消滅を嘆き、旧ソ連圏諸国の連携強化とたいこく復活への意欲をにじませた。14年、ウクライナ南部クリミア半島の併合を強行。

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「平成のことば」 東京新聞 4月25日

 一音を落とす者は去れ  ◆劇団四季の創設者 浅利慶太さん  2010(平成22)年4月25日、ミュージカル「キャッツ」の公演が7486回に達し、米ブロードウエイの記録を超えた。猫たちの一夜の舞踏会を描き、日本初演は1983年。言葉は、台本のせりふの大切さを論じたスローガン。 【注】慶応大学で同期生だった。1952年春、彼が自治会長だった日吉の文学部一年生がストライキを打った。「破壊活動防止法」に抗議して気勢をあげた。その頃から大きく声を出すのが得手であった。中途退学して、後に宗旨替え。仲間たちは、彼のことをブルジョワ演劇人に成り下がったと批判したことが思い出される。今は昔の話。

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中村メイコさんの「特攻隊慰問」

 東京新聞の夕刊に「この道」というコラムがある。著名人の起伏に富んだ半生記をつづったもので興味を引かれ好読み物である。以下は2009年3月ごろ俳優の中村メイコさんが書いた39回目のもの。題して「特攻隊慰問」。一度このブログで取り上げ、アクセス数もベスト14位(現在1120回)にランクされている。再録する。  「奈良には文化財がいっぱいあるから爆撃はないだろう」と考え、疎開先を決めた父のもくろみは見事に当たりました。  すぐそばの大阪にはぼんぼん空襲があるのですが私たちが暮らす富雄村はまだまだのどか。つらいといえばつらいけれど、それほど悲惨でもない日々を私は過ごしていました。  「特攻隊の慰問に行ってもらえませんか」そんな依頼が軍からあ舞い込んだのは、敗色も濃厚となった昭和20年に入ってからのことでした。  反戦主義の父は、幼い私を特攻隊の慰問に行かせるなんて大反対。対して、感激屋の母は、むしろ「お役に立つことなら」といったふうでした。いずれにしても、これは軍からの命令。他の仕事と違い、断ることは許されませんでした。  私の他に、若い女優さんとして美佐子姉ちゃまも慰問団に加入。「軍属待遇」だった私たちは戦闘機に乗せられ、戦地へと向いました。  飛行機はどこから飛び立ち、どこに降り立ったのか、行き先はアッツ島か。はたまたトラック島か。軍事機密保持という理由で、私たちは移動中ずっと目隠しをされており、行動はすべて軍の監視下にありました。  内地の鹿児島・知覧も含めて、少なくとも六回…

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「平成のことば」 東京新聞 4月23日

 遺族が生きている間は戦後は終わりません。  ◆太平洋戦争で夫と長女が犠牲 沖縄県具志川し(現うるま市)の女性(83)  1993(平成5)年4月23日、天皇、皇后両陛下が沖縄を訪問され、女性は遺族代表として面会した。傷を負い「早く死なせて」と苦しみながら息絶えた長女。女性は「心の痛みは、年を経るほどに大きくさえなる」と語った。 (年齢は当時)

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「沖縄の基地の間違ったうわさ」 斉藤美奈子

 東京新聞の「本音のコラム」。今日の担当は文芸評論家の斉藤美奈子さん。いつも小気味よく世相を斬っているが、今回は「沖縄の基地の間違ったうわさー・検証34個の疑問」(岩波ブックレット・2017年)を紹介、目を通したくなった。      沖縄の議席   斉藤美奈子    (前略)私が屋良朝博さんの名前を知ったのは、このブックレットの共編者だとしてだった。  沖縄3区の衆院補選で、その屋良朝博さんが当選した。この一議席が持つ意味は大きい。野党には百万人の見方となるだろうし、「一日も早い普天間基地の全面返還を目指していきたい」としか言えない政府には大きな脅威。ワンパターンの答弁でごまかされるのもいまのうちだよ、言ってなさい。 【Q&Aの一例】  [Q]「世界一危険」な普天間基地。辺野古に移れば安全ですか?   [A]世界一危険という客観的基準はありません。普天間が宜野湾市の人口密集地にあるのは事実ですが、普天間と辺野古は直線距離で36キロしかなく、東岸部に基地を移して「危険性を除去」するという宣伝に信憑性はありません。

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「平成のことば」 東京新聞 4月22日

 きれいな花を見て、つらいこと苦しいことをそっと捨てる場所に、植物園をしたい。  ◆はままつフラワーパーク 塚本こなみ理事長  2013(平成25)年4月21日、千三百本の桜並木に三十万株のチューリップを配した同園の「日本一美しい庭園」がフイナーレに。日本初の女性樹木医だが、理事長として園の再建を託された。言葉は翌年の取材から。

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「平成のことば」 東京新聞 4月21日

 体が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、私の生命活動は日々創造的だ。  ◆免疫学者 多田『富雄さん  2010(平成229年4月21日、76歳で死去。晩年、脳梗塞で車いす生活となるが、左手でパソコンを使い闘病記などを執筆した。保険適用されるリハビリに国が日数制限を設けると「患者切捨て」と猛反発。世論を喚起し、見直しが実現した。

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「平成のことば」 東京新聞 4月20日

 何かおかしいという思いが臨界点に達した。負の側面を自覚してほしい。  ◆月五千円のスマートフォン不使用手当てを支給 岩田製作所(岐阜県)の岩田修造社長  2014(平成269年4月20日の紙面で、同社のユニークな試みを紹介した。スマホいじりに熱中し、会話のない若者たち。社長はデジタル機器の必要性を認めつつ「社員の成長には、物思いにふける『アナログの時間』の積み重ねが欠かせない」。 

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「平成のことば」 東京新聞 4月19日

 昔の人は、自然を傷つければ仕返しされることを知っていた。  ◆英国 ピーター・アシュトン博士(72)  2007(平成19)年4月19日、アジアの熱帯林に関する研究で日本国際賞を受賞した。多様な樹木が息づく豊かな森。その地球規模でも破壊にに危機感を募らせ、「今、まさに人は自然からの仕返しを受けようとしている」と警告した。 (年齢は当時)

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「平成のことば」 東京新聞 4月18日

 航空自衛隊の空輸活動は、憲法九条一項に違反する活動を含んでいる。  ◆名古屋地裁 青山邦夫・元裁判長。  2008(平成20)年4月17日、自衛隊のイラク派遣差し止め訴訟で、米軍など他国軍の兵士の空輸に空輸に違憲判断が下された。現地を「戦闘地域」と認め、「他国の武力行使と一体化し、自らも武力を行使したとの評価を受けざるを得ない」と述べた。

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「平成のことば」 東京新聞 4月17日

 愛国無罪。  ◆中国での反日デモのスローガン  2005(平成17)年4月16日、最大の商業都市・上海に反日デモが波及した。日本の歴史認識に不満を持つ若者らが、日系企業などを破壊行為の標的に。「愛国心が動機なら何をしても良い」という身勝手な理屈を、中国指導部も当初黙認した。

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「平成のことば」 東京新聞 4月16日

 全員救助してから逃げる。  ◆韓国のフェリー「セウォル号」の乗員パク・ジヨンさん  2014(平成26)年4月16日、珍島沖で沈没し、修学旅行の高校生の300人以上が犠牲に。パクさんは乗客の救助に奔走して亡くなった。一方、真っ先に脱出した船長ら乗員15人が殺人罪などに問われ、有罪となった。 (肩書は当時)

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「この道」 加藤登紀子 -1-

 東京新聞の夕刊の1面下。「この道」という各界で大活躍の著名人の「半生記」が掲載されている。シリーズでその人のこれまでの来し方がよどみなくつづられ、同紙の名物「読みもの」となっている。そこに今回はシンガーソングライターの加藤登紀子さんか登場だ。  第1回目(4月8日)の書き出しは「去年12月27日、私は三回目の25歳を向かえた。いうなれば人生四幕目も開幕だ」。つまり3×25=75。加藤登紀子さんは自分の年齢を婉曲に公表した。  生まれは、戦争真っ盛りの1943(昭和18)年。旧満州(現中国東北部)・ハルビン市。  「この道」は、生まれた時の由来と、当時、「東洋のパリ」と言われた帝政ロシアの風情連なる町々の描写を母の言葉を借りて思い出し、そして、あの年の8月9日、ソ連の参戦で大混乱、引き揚げ時の苦渋の逃避行の描写から始まって行く。

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「平成のことば」 東京新聞 4月14日

 あなた方は空爆する技術はあるのに、この子を救う輸送機はないのですか。  ◆イラクの看護師 ファティン・シャルハさんが書いた手紙から  2003(平成15)年4月16日、イラク戦争で、米軍の空爆で両腕を失った少年(12)が、手術のため米軍機でクウートへ緊急搬送された。敵味方を超えた人道支援は、シャハルさんが米英首脳に訴えた手紙がきっかけで実現。 (肩書、年齢は当時)

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城北大空襲の犠牲者悼む 豊島区

 1945年4月13日夜から14日未明におきた城北大空襲の犠牲者を悼む「根津山小さな追悼会」が13日、豊島区の南池袋公園で行われた。城北大空襲では当時の同区の7割に当たる16万人が被災し、778人がなくなった。同公園の周辺は当時根津山と呼ばれた雑木林で、犠牲者が仮埋葬されたという。(東京新聞・4月14日付ー宮崎美紀子)

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「平成のことば」 東京新聞 4月13日

 日本を知る友人を増やすことが、日本の社会の安定にどれだけ有効化  ◆東京大学 有馬朗人学長  1992(平成4)年4月13日、入学式で式辞を延べた。海外から訪れる約4万5千人の留学生に言及。「十分な教育をするのは日本が行うべき最大の国際貢献であり、責務でもある。軍備に巨額の金を投ずるより・・・」と強調した。 (肩書は当時) 

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新元号 狂騒 東京新聞 「大波小波」

 新元号を巡る狂騒で、米軍オスプレイの伊丹空港着陸やシナイ半島への自衛官派遣の報道は片隅に。この熱狂は国民が弊政(へいせい)の世を疎んでいることの証しで、鼓腹撃壌とは真逆の現象であろう。(4月9日付)  (中略)首相の言う「日本的なもの」が「古代朝鮮的なもの」「古典中国的なもの」にすぎないことは言語学、民俗学、考古学では明らかだが、「日本ファースト」で病膏肓(こうこう)の首相には馬耳東風だろう。(霊倭)

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「平成のことば」 東京新聞 4月11日

 私の人生は福島の事故後に完全に変わり、脱原発のためにできることはすべて行おうと決心した。  ◆女優 木内みどりさん  2014(平成26)年4月11日、ロンドンでの脱原発集会で、英語でスピーチした。原発再稼動を進める日本政府のエネルギー基本計画を批判。英国のファッョンデザイナー、キャサリン・ハムネットさんも集会で怒りの声を上げた。

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「平成のことば」 東京新聞 4月10日

 上手に年を取るのは難しい。自分が進歩しなければ、ものを言う老人になれない。  ◆放送ジャーナリスト ばばこういちさん  2010(平成22)年4月9日、77歳で死去した。テレビ局勤務などを経てフリーとなり、キャスターやリポーターとして活躍。71歳時の取材で「基本は人に合うこと、現場を見ること、そして新しいことに挑戦すること」と語った。

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元号「令和」 万葉集の政治利用

 新元号の出典が万葉集と聞いて、またしても万葉集が政治に利用されるのかと暗澹(あんたん)としたのは、筆者だけではないだろう。万葉集は近代から国民統合の象徴とされ、特に戦争中は、軍国主義に基づいた国家のプロパガンダに用いられた。もう不幸な歴史を繰り返してほしくない。(東京新聞・4月8日付ー「大波小波」)  (前略)最高権力者への忖度から新元号が選ばれたのなら、これほど国民を馬鹿にした話はない。邪推であればいいのだが(狼)

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「平成のことば」 東京新聞 4月9日

 むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく。  ◆作家・劇作家 井上ひさしさん  2010(平成22)年4月9日、75歳で死去した。鋭い風刺、軽妙なユーモアにあふれる作品を制作。NHKの人気番組「ひよっこりひょうたん島」を手掛け、昭和の戦争を問い直した。言葉は、物書きとしてのモットー。

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「平成のことば」 東京新聞 4月8日

 涙があふれた。忘れられていないって。  ◆太平洋戦争の激戦地パラオで父親が戦死 静岡県東伊豆町の鈴木清子さん(72)  2015(平成27)年4月8日、天皇、皇后両陛下が慰霊のためパラオを訪問された。鈴木さんは父親を覚えていない。一歳前に出征し、そのまま戦死したからだ。「若い人たちには、戦争のない世を死に物狂いでつくってほしい」 (年齢は当時)

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「大和」乗員を救助の元少年兵が手記

 太平洋戦争末期、74年前の4月7日、戦艦「大和」は沖縄に向う途中、米軍機の猛攻を受け、東シナ海に沈んだ。護衛した駆逐艦「雪風」の乗組員だった西崎信夫さん(92)=東京都西東京市=は、かんじょうから見届けた大和の最期や自らの戦争体験を、手記「『雪風』に乗った少年」(藤原書店)にまとめた。戦争のむごさ、理不尽さを、令和の時代に語り継ぐ(東京新聞6日付夕刊ー加藤行平) 【追記】昭和20年4月7日 戦艦「大和の最期  https://38300902.at.webry.info/201704/article_8.html

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新元号に思う 「メーレー ワ?」 東京新聞

 東京新聞夕刊に「コンパス」というコラムがある。4月6日付けで出田阿世さんが書いた。「お上の命『令』に従って、『和』を保て!」新元号の文字を見たとき、一瞬、そんな連想をした。おー、こわい」の書き出しで始まる1文を見て気分がスーットした。 【追記】新元号「令和」を知って私も連想した。それは74年前の今日7日、撃沈された戦艦「大和」のことである。調べてみたら「海軍・軍令部が沖縄に向けて大和は出撃(特攻)すべし」だった。ともかく『令』は「命令」「号令」「指令」「召集令状」などで、当時頻繁に使用されていた。

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「平成のことば」 東京新聞 4月6日

 友達をたくさんつくり、誰かのために役立つことをしたい。  ◆難病の進行性筋ジストロフィーと闘う 名古屋市の不破健太さん(15)  2006(平成18)年4月6日、愛知県立名古屋南高校に入学した。車いすや呼吸器に頼る生活。進学はあきらめていたが、高校が校舎のバリアフリーなどに協力してくれた。「貧しい国の人々を支援したい」。夢に胸を膨らませた。(年齢は当時)

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「平成のことば」 東京新聞 4月5日

 今さらオカの仕事もできませんよ  ◆明石海峡を結ぶフェリー 船長(50)  1998(平成10)年4月5日、兵庫県淡路島と神戸市を結ぶ明石海峡大橋が開通した。島民の長年の願いだったが、競合するフェリー航路の廃止などで船員ら千五百人が失職。年収が4割減る船長は「去るも地獄、乗るも地獄」と嘆いた。 (年齢は当時)

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ふくしま作業員日誌 東京新聞

 これまで聞き手が片山夏子記者の「ふくしま作業員日誌」を欠かさず拝見してきた。今回は40歳男性。過酷で危険な原発復旧作業のなかで勇気を鼓舞(?)するためか、バックに勢いの良い曲が流される。それも元請が代わると違う曲になるという。今回は「さらば地球よ 旅立つ船は」。そう「宇宙戦艦大和」だ。

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「平成のことば」 東京新聞 4月4日

 作品と一緒に年を取ってきましたよ  ◆女優 杉村春子さん  1997(平成99年4月4日、91歳で死去した。戦前に劇団文学座の創立に参加し、看板女優として活躍。代表作「女の一生」の主人公・布引けい役は初演以来、947回演じた。言葉は96年、布引役を後輩女優に引き継いだ際の発言。

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