平和のための名言 赤塚不二夫

赤塚不二夫(1935~2008年)。漫画家。『天才バカポン』『おそ松くん』などは特に有名。下記文言は、赤塚不二夫対談集『これでいいのだ』(タモリ、立川談志、北野武、荒木経惟、松本人志、柳美里、ダニエル・カール)の柳美里(作家)との対談中のもの。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  たとえば、中国人や朝鮮人の悪口も描いたけど、何も言ってこないんだよ。それはなぜかと言うと、俺には愛情ってのがあるから。      赤塚不二夫『これでいいのかだ。』                (メディアファクトリー)  彼は「誰れのことも笑いもんにしてはいけない、作品が笑えておもしろいということ。ナンセンス世界だけで成り立っている、ギャグっていう愛情」を強調する。 【今日の出来事2・25】1924年正力松太郎(元警察幹部)読売新聞を買収

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平和のための名言 エラスムス

エラスムス(1466頃~1536年)。オランダに生まれ、ヨーロッパ各地を遍歴、古代学芸を研究、ルネッサンス人文主義を代表するひとり。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  戦いは戦いを生み、復讐は復讐を生み、好意は好意を生み、善行は善行を招く。                       エラスムス『へいわの訴え』(岩波文庫)  保守的なカトリック教会から痛烈な批判と風刺を浴びつつ、ルター派(プロテスタント)に対しても論戦を続け、真のキリスト教的信仰と古代(ギリシア・ローマ)の叡智による人間精神の陶冶をめざした。著書に『痴愚神礼譚』『平和の訴え』『キリスト教兵士概要』『対話集』などがある。 【今日の出来事2・24】1933年日本、国際連盟脱退を宣言

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平和のための名言 大野和士

大野和士(1960年~)。東京に生まれる。東京藝術大学大学院終了。ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督、並びに東京フィルハーモニー交響楽団常任指揮者。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  「ドイツ人にとって、アウシュヴィッツのことは、絶対に逃げてはいけない、いわば原罪である」というのが私の友人たちの意見だ。戦後50年が過ぎ去り、もちろん当時の為政者は消え去り、関係したものは、地のはてまでも追跡されて、処罰を受け、いわゆる徹底的なドイツ人の手による「非ナチ化」が推し進められた。   大野和士「無知と言う罪」(『戦後を語る』岩波新書)  日本、中国、韓国のソリストを招いて、ブリテンの「戦争レクイエム」を演奏するなど、多彩な活動で注目を集める。1995年『戦後を語る』(岩波新書編集部編)で「無知と言う罪」を書き、戦争責任についてドイツと日本の大きな違いを問うている。 【今日の出来事2・23】1943年陸軍省、決戦標語「撃ちてし止まむ」のポスター作成・配布 1981年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世来日、広島で核廃絶の平和アピール

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平和のための名言 ゾフィ・ショル

ゾフィ・ショル(1921~1943年)。第二次世界大戦下のドイツは、すべての言論が規制され、ナチスによる国家全体主義が推し進められていた。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元)  もし、今でも自分が正しいことをしたと思っているのかと聞かれたならば、私はもちろんはいと答えます。・・・・・・私たちがしたことについて、第三者から兄とともにそうするように促されたとか、要求されたとか、金銭的な援助を受けたということは、いっさいありません。兄と私は、ただ自分の信念から行動しました。    ゾフィ・ショル(フレート・プライナースドルファー                 『「白バラ」尋問調書』未来社)  ゾフィ・ショルは、これに抵抗したミュンヘン大学のメンバーの紅一点。兄と一緒に大学構内で「白バラ」のビラを配布して逮捕され、4日後の1943年2月22日、兄のハンス、友人のブローブストと共に断頭台で処刑された。21歳。 【今日の出来事2・22】1943年ナチスに抵抗した「白バラ」メンバーのショル兄弟を処刑

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平和のための名言 夏目漱石

夏目漱石(1867~1916年)。小説家・英文学者。帝国大学英文科卒業後、松山中学、五高、一高で教鞭をとる。『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『草枕』を発表。教職を辞して文筆に専念。(大和書房・「平和のための名言集』)  日本国中何所を見渡したって、輝いている断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。         夏目漱石『それから』(角川文庫)  『三四郎』『それから』『門』や『こころ』などを相次いで発表して近代人の不安と孤独、苦悩を描く。『それから』は、1909年に朝日新聞に連載され、「高等遊民」の主人公長井代助の言葉を通じて日本の近代化の矛盾を鋭く指摘する。 【今日の出来事2・21】1911年夏目漱石、文学博士号を辞退 1952年米軍が朝鮮戦争で細菌兵器使用との報道

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平和のための名言 J・S・ミル

J・S・ミル(1806~1873年)。イギリスの哲学者・経済学者。ベンサムの功理主義を修正。物質的快楽と精神的快楽の質的差異を認識し、人間の良心に発する利他的心情」・共感を重んずる人格主義的功利主義を展開。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  もしなにかの意見が沈黙を強制されるとしても、その意見は、われわれがたしかに知りうるなにかの理由で、真理であるかもしれない。このことを否定するのは、われわれ自身の無誤謬性を仮定することである。     J・S・ミル『自由について』           (『世界の大思想28』河出書房)  また、精神的自由を強調し、思想・良心・言論・趣味・探求・団結などの自由を説いた。日本でも明治初期に『自由之理』として翻訳された。主な著書に、『功利主義論』『自由論』『経済学原理』がある。 【今日の出来事2・19】1934年経済学者野呂栄太郎獄死 1945年米軍、硫黄島上陸 1946年部落解放全国委員会結成 

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平和のための名言 家永三郎

家永三郎(1913^2002年9.歴史学者。歴史家として日本思想史および文化史の研究発表から、積極的に政治的諸活動に参加。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編9  かちまけはさもあらばあれ  たましひの自由をもとめ  われはたたかふ     家永三郎8『昭和萬葉集 巻19』講談社) 1963年 の高等学校用社会科教科書の検定を巡って、国を相手に国家賠償請求訴訟を起こし、70年に第2次訴訟で勝訴するも、国側は控訴、以後長期にわたる教科書検定訴訟は日本の逆コースに一石を投じた。 【今日の出来事2・18】1943年白バラ抵抗運動ショル兄弟逮捕される

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平和のための名言 高橋和巳

高橋和巳(1931~1971)。大阪生まれ。小説家、中国文学者。京大文学部卒業。埴谷雄高、野間宏の作品に影響を受けて、京大在学中に小松左京らと同人誌を刊行。『悲の器』では、知識人の存在論的な苦悩をテーマにして1962年文芸賞に選ばれ脚光を浴びる。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編) 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と。  あやまち・ ほんとうにそれは過失だったのか。また、いったい何があやまちなのか。アメリカが原爆を投下したことが、日本が中国を侵略したことか。米英蘭に宣戦を布告したことか。それとも客観的に、15年戦争の発端となった満州事変の謀略であるか。・・・・・・それらすべてが国家的確信犯罪でなくて過失だったというのか。     高橋和巳『孤立無援の思想』(岩波書店)  『羅生門』『散華』などの作品を精力的に発表。67年京大教授、大学闘争で全共闘を支持して70年に辞職。その後小田実らと季刊雑誌『人間として』を発行する。71年病没。 【今日の出来事2・17】1944年米空軍、トラック島の日本軍拠点を空襲

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平和のための名言 武者小路実篤

武者小路実篤81885^1976年)。小説家、画家学習院高等科在学中からトルストイの人道主義に傾倒、1910年志賀直哉らと雑誌「白樺」を創刊。18年宮崎県で、39年には埼玉県に空想的社会主義の理想郷「新しき村」を創設、その中心的存在となる。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  隣人愛というのは、隣に住む人を愛することだと考える人があればまちがいだ。隣に住む人を愛することはもちろん大事だが、しかし隣人愛というのは地理的な意味ではない。自分が接し得る人全部が隣人であり、また接し得ないでも、頭の内にある人間は全部隣人といってもいいのだと思う。     武者小路実篤『幸福な人生』(翠書房)  戦前の小説作品として19年『友情』、23年『或る男』などがある。戦後の49~50年『真理先生』を発表。晩年は心のおもむくままに絵筆をとり、多くの絵画作品を残す。 【今日の出来事5・14】1945年近衛文麿、天皇に「敗戦必死」を上奏 1956年フルシチョフによるスターリン批判

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平和のための名言 デズモンド・モリス

デズモンド・モリス(1928年~ )イギリスの動物学者。バーミンガム大学卒業後、動物行動学者グループに加わり、哺乳類の行動研究から、人間の動物学的研究に向かう。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  生物額的なレベルにおける種内闘争の正当な任務は、敵を降参させることであって殺すことはできない。・・・・・・攻撃は、相手のみにめな降伏に直面するが、敵の脱兎のような敗走を目にして、はじめて完了する。けれど、このどちらも現代の遠距離攻撃では見ることができない。その結果として、他の種では聞いたこともない全面的な規模での虐殺がおこなわれている。      デズモンド・モリス『裸のサル』(角川文庫)  「裸のサル」とは、193種のサルと類人猿の内、体毛におおわれていない唯一のの「サル」である自称ホモ・サピエンス=人間を意味する。人間も多様な霊長類の一種という観点に立って、”性””育児””闘争”などのさまざまな行動を他と比較しつつ分析する。 【今日の出来事2・13】1945年連合軍によるドイツ・ドレスデン大空襲 1960年フランスが初の原爆実験を行う

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平和のための名言 キケロー

キケロー(前106~前43年)。古代ローマの政治家、雄弁家、哲学者。共和政時代の財務官、執政官などを歴任。帝政期に移行する際に軍人カエサルと、続いて共和制再興のたまにアントニウスとも対立、最後はアントニウスが送った刺客によって殺害される。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  武具は市民服に従うべし。月桂冠は文民の誉れに譲るべし。        キケロー「義務について」         (『キケロー選集ー9哲学Ⅱ』岩波書店  市民服(トガ)は軍服と対置されるローマ市民の外出用の着衣で、月桂冠は戦いに勝利した将軍に贈られた。上の文言の背景には文民優位の思想がある。 【今日の出来事2・11】1889年大日本帝国憲法公布 1970年日本初の人工衛星「おおすみ」打ち上げ成功

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平和のための名言 緒方貞子

緒方貞子(1927年~ )。国際政治学者。聖心女子大学卒業後、アメリカに留学。ジョージタウン大学で国際関係論修士号、カリフォルニア大学で政治学博士号取得。  「人道問題に人道的解決なし」という私の発言がよく引用されるが、私が言わんとしたのは、難民問題は、本質的には政治問題であり、したがって政治によって対処されなければならないということである。人道行動は政治行動をとるための余地をつくり出すことはできるかもしれないが、政治行動にとって代わることは決してできない。    緒方貞子『扮装と難民 緒方貞子の回想』(集英社)  1976年に日本で最初の女性国連公使、80年から上智大学教授。90年国連総会で第8代国連難民高等弁務官に選出され、2000年までの10年間努める。2003年~12年国際協力機構(JICA)理事長。 【今日の出来事2・10】2001年「えひめ丸」が米原潜と衝突事故(宇和島の高校生ら9人死亡) 2006年ソウル南大門消失  【関連記事】

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平和のための名言 劉連仁

劉連仁(1913~2000年)。太平洋戦争下の1944年8月、日本軍により中国から強制連行で、北海道奥地の炭鉱へ。翌年1月に脱出に成功。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  しかし、ここでくたばっちまえば、中国と日本の歴史というか、こんなことがあったっていう事実が消えてしまうわけでね。それだけは悔しい。なんとしても悔しい。日本に引っぱられてきたのが32歳。生きて帰ったのが46歳だ。その間の年月は、もはや取り返しがつかん。しかも、わしの意思で、そうなったんじゃない。     劉連仁(早乙女勝元『穴から穴へ13年』                     草の根出版会)    以来道内を転々と逃げのびて、一年のうちの半分近くは積雪に穴篭りで過ごし、戦後13年を経て、狩猟にきた日本人に発見されて故郷に生還した。日本政府の責任を追及して提訴するも、裁判中の2000年9月2日、87歳で没。 【今日の出来事2・9】1950年アメリカで「赤ガリのきっかけとなるマッカーシーの演説 1958年中国から強制連行された劉連仁が保護される

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平和のための名言 岡村明彦

岡村明彦(1929~1985年)。ジャーナリスト、報道写真家。1962年PANA通信社移動特派員として東南アジア各地を取材。64年南ベトナムに駐在、ベトナム戦争の最前線で取材。それがアメリカの写真雑誌『ライフ』に掲載され、大きな反響を呼ぶ。  これが日本であったら、人の心も知らないやつだといって、たたき殺されるような深い憤怒と悲哀のなかで、彼らは私に「ここを写せ!」と叫ぶのです。「このおれを撮れ!」と迫るのです。そして、これこそ戦争をやめさせる最大の力であり、そのような民衆のいるかぎり、かならず平和はかちとられるという確信を、私はもつことができました。      岡村明彦「岡村明彦集            ー南ベトナム戦争従軍記」(筑摩書房)    1965年『南ベオナム戦争従軍記』を出版、高度経済成長のなかにあった日本人に、ベトナム戦争への関心を飛躍的に高めるきっかけとなる。85年敗血症により亡くなる。 【今日の出来事2・6】1922年海軍軍備条約調印 1967年米軍、ベトナムで枯葉剤散布開始  

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平和のための名言 田中正造

田中正造(1841~1913年)。明治期の政治家。下野の名主の家に生まれ、栃木県会議員、同県会議長を経て1890年、第1回帝国議会衆議院議員に当選、衆議院で渡良瀬川流域一帯の足尾銅山鉱毒問題を告発。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  亡国に至るを知らざれば之れ即ち亡国                  田中正造「1900年、議会質問書」  農民たちが大挙請願行動(押し出し)で鉱山の営業停止を求めるも政府はそれを弾圧。田中は1901年、抗議の意を込めて議員を辞職して明治天皇に直訴、以後、鉱毒被害の中心地谷中村に住み、生涯を通して住民と共に闘う。 【今日の出来事2・4】1907年足尾鉱毒事件で暴動起こる 1945年ヤルタ会談開始 【リンク】  http://38300902.at.webry.info/201310/article_46.html

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平和のための名言 ヘロドトス

ヘロドトス(前485~前425年頃)。古代ギリシアの歴史家。前500年から前449年にいたる古代ペルシア帝国とアテネ、スパルタをはじめとするギリシア連合軍とのペルシア戦争を中心テーマに『歴史』(全9巻)を書く。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  平和より戦争をえらぶほど無分別な人間がどこにおりましょうや。平和の時には子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならぬのじゃ。             ヘロドトス『歴史』「岩波文庫)  「歴史の父」と称される。上の文言はペルシア帝国と戦って破れた小アジアのリュディア人の王クロイソスが、勝者キュロス王の問いに答えた言葉の一部。 【今日の出来事2・3】1969年アラファト、PLO議長に就任 1972年冬季五輪札幌大会開幕(70m級ジャンプで日本・金・胴メダル独占)

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平和のための名言 斉藤隆夫

斉藤隆夫(1870~1949年)。政治家。兵庫県生まれ。東京専門学校卒。アメリカ留学後、弁護士となり、1912年、衆議院議員、以後当選13回。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  一度戦争が起これば問題はもはや正邪曲直善悪の争いではなく、徹頭徹尾、力の争い、強弱の争いであって、八紘一宇とか東洋永遠の平和とか、聖戦だとかいってみても、それはことごとく空虚な偽善である。     斉藤隆夫「反軍演説」          帝国議会衆議院本会議(「日本の歴史25」中央文庫)  憲政会・民政党に属し、昭和に入るとファシズムに抵抗する議会活動を展開、2・26事件直後の議会で粛軍演説を行い、40年には日中戦争処理に関して「反軍演説問題」を起こし議会から除名された。斉藤の除名は政党の弱体堕落の姿を示した。 【今日の出来事2・2】1940年斉藤隆夫、衆議院で反軍演説

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平和のための名言 加藤周一

加藤周一(1919~2008年)。評論家・医学博士。東京生まれ、東大卒。中村真一郎、福永武彦との共著『1946・文学的考察』で文壇に登場。1968年、自伝的回想『羊の歌』で若い世代を中心に多くの読者を得る。『日本文学史序説』(大仏次郎賞)は数カ国語に翻訳される。(大和書房・「英和のための名言集」-早乙女勝元編)  戦争に反対する動機は、客観的な理解過程ではなくて、一種の倫理的正義感です。つまり「子どもを殺すのはい」ということがある。それで、ためらうことはない。そういう問題の時にこそ、その目的を達成するために科学的知識を利用すべきであって、科学的知識のために倫理的判断を犠牲にすべきではない。     加藤周一『私にとっての20世紀』(岩波書店)  その博学と強靭な論理に裏打ちされた文学・芸術・政治・文化全般にわたる批評は世界的な評価を得ている。「九条の会」呼びかけ人。 【今日の出来事1・31】1943年日本軍、ガタルカナルから撤退 1953年NHKテレビ本放送開始 1962年東京の人口、1000万人突破

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平和のための名言 ヘーシオドス

ヘーシオドス(前700年ころ)。古代ギリシアの叙事詩人。主な作品に『神統記』と『仕事と日』がある。前者はゼウスを頂点とするギリシアの神々の系譜を体系的に示す。(大和書房・「平和のための名言集」ー早乙女勝元編) 異国の者にも同国の者にも、分けへだてなく、正しい裁きを下し、 正義の道を踏み外さぬ者たちの 国は栄え、その国の民も花開くごとくさきわうものじゃ。 国土には若者を育てる「平和」の気が満ち、 遥かにみはるかすゼウスも、この国には、苦難に満ちた戦争を 起こさせようとは決してなさらぬ。           ヘーシオドス『仕事と日』(岩波文庫)  後者は父の遺産をめぐって争っていた放縦な弟ペルセースに対して、自ら過酷な農業労働に従事しつつ、正義とは何か、勤労の意味とは何かを伝えるために教訓詩として書かれ、当時の農業事情を貴重な史料となっている。 【今日の出来事1・31】1947年マッカーサー、2・1スト中止命令 1950年トルーマン大統領、水爆製造を指示

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平和のための名言 小原ヒサ

岩手県和賀郡横川目村の93戸の小さな部落、そこから太平洋戦争中に125名が出征し、32名が戦死、その結果11名の未亡人が生まれる。小原ヒサもそんな未亡人の一人であった。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編9  あの人とわかれてから20年、わたしもハ、もう45になりあんした。  われこと(自分のこと)終わってしまった、という気がするナッス。ほんに、終わってしまったノス。子供にはこういう目に合わせたくねェと思うナス。     小原ヒサ「遺児だけ命」       (『あの人は帰ってこなかった』岩波新書)  ヒサは1942年に23歳で花巻市の小原辰男に嫁ぐ。その1年半後の44年4月に夫辰男は招集され、45年3月28日にフイリピン、ルソン島にて戦死。ヒサは長男と姑を連れ立って故郷の横川目に戻り、雑貨店で生計をたてる。上記はヒサが45歳の時の言葉。 【今日の出来事1・30】1902年日英同盟締結 1933年ドイツ、ヒットラー政権成立 1948年ガンジー暗殺される。

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平和のための名言 高樹のぶ子

高樹のぶ子(1946年~)。作家、父は特攻隊員。山口県立防布高校、東京女子大学短大卒。出版社勤務を経て『その細き道』でデビュー、『光抱くともよ』で芥川賞、『水脈』で女流文学賞、『透光の樹』で谷崎潤一郎賞、『HOKKAI』で芸術選文部大臣賞を受賞。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  「一夜婚」には驚いた。戦争の後遺症で結婚できない元女性兵士のため、「一夜限りの性交渉」が許された。子どもを持てば生活の支援を受けられる。そうして静かに暮らしている母子に会ったのだ。「『恋愛』という言葉がとてもぜいたくなものに感じられました。」      高樹のぶ子「ベトナムと私」(朝日新聞」                     2007年11月15日)  愛と人間を明晰な感性で描く。2005ねんより九州大学アジア総合政策センターと特認教授。上の文はアジアに渡り、五感で感じて情報を発信する「STA(Soaked In Asia)の一環でベトナムを訪問した後の言葉。(インタビュー・文、有吉由香) 【今日の出来事1・28】1932年上海事変 1986年アメリカ、スペースシャトル「チャレンジャー」爆発炎上

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平和のための名言 グエン・ティ・ビン

グエン・ティ・ビン(1927年~)。ベトナムの枯葉剤被害者を支援する代表。かってベトナム戦争時には、解放戦線が樹立した南ベトナム臨時革命政府の外交部長として活躍。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  アメリカは、それぞれの国の平和を脅かすことばかりしていますが、これに対して私たちは、平和は一つの国のものではなくて、地球全体が共有できるものでなくてはならない、と考えます。ですから、ベトナム、日本、そして、世界のいろいろな国から、平和を呼びかける活動が、これからの課題になるでしょう。       グエン・ティ・ビン(早乙女勝元          『枯葉剤とガーちゃん』草の根出版会)  パリ会談ではアメリカ代表と火花を散らすやりとりを経て、和平協定調印に。解放後は国家側主席。ベトナム人民の戦う厳しさと、ベトナム女性の優雅さとを、世界に印象づける。 【今日の出来事1・27】1945年ソ連軍、アウシュビッツ解放 1967年米英ソ、宇宙条約調印 1973年ベトナム和平協定調印

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平和のための名言 高村 薫

高村薫(1953年~)。作家。大阪生まれ、国際キリスト教大学卒。スパイ小説でデビューし、推理作家として知られたが、『晴子情歌』で新たな世界を拓き、社会・時代・人間の深部を鋭くえぐり出す筆力で多くの読者を得ている。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  放っておけば富む者はさらに富み、貧困者はますます貧困になるのは自然なことで、それを是正するために国が機能するという精神が、この国にはないということだ。       高村薫「ワ-キングプア一千万人の衝撃」       (「東京新聞」社会時評・2007年2月17日)  『黄金を抱いて翔べ』『リヴィエラを撃て』『マークスの山』『神の火』『レディ・ジョ-カー』『わが手に拳銃を』『照柿』『新リア王』など。 【今日の出来事1・26】1948年帝銀事件起こる 1950年米韓相互防衛援助協定調印

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平和のための名言 山本作兵衛

山本作兵衛(1892~1984年)。炭鉱労働者、炭鉱画家。現在の福岡県飯塚市に生れる。8歳の頃から炭鉱夫の父の仕事を手伝うかたわら、坑内に入る。以後60余年間筑豊各地の炭鉱(ヤマ)を渡り歩く。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  人と人との権利の争奪戦、つまり権益獲得に関するいがみあいも常道を脱すると腕力ざたとなる。これぞ国と国との戦争、あらゆる殺人器具を利用しての殺し合い、人道上こんな悲惨残酷なことがあろうか。まして原爆による国民皆殺しの戦争など。                  山本作兵衛『ヤマの仕事 上巻』(葦書房)  60歳をすぎて「ヤマ人の容相と人情と生活の状況を書残す」ために、墨と水彩画で炭鉱で働く人々を描き、余白に詳細な説明を書き加える画文集を制作する。そのうちの589枚が2011年日本ではじめてユネスコから世界記憶遺産の登録を受ける。 【今日の出来事1・25】1960年三井三池炭鉱労組無期限スト突入

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平和のための名言 升田幸三

升田幸三(1918~1991年)。将棋棋士。1932年に棋界に入門、38年20歳で六段となる。39年軍隊の召集を受け、6年間軍隊生活を送る。復員後すぐの46年に木村義雄名人との5番勝負に3連勝。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  軍隊というとおころは、人間をダメにしますね。自由とか、創造というものは認めない。命令、命令で、なにもかも一つの型にハメこもうとする。  一戦五厘の赤紙一枚で、各地からいろんな人が集められてくる。・・・・・・そういう人たちの能力も個性もおかまいなく、ただ命令の一言で、いいっしょくたにしばろうとする。人間の特性である「考える」という作業を、軍隊生活では必要としない。                (升田幸三『升田幸三自伝 名人に香車を引いた男』(朝日新聞社)  1956年の王将選で大山康晴名人に香車落ちで勝ち、「名人に香車を引いた男」の評を受ける。57年王将、名人、九段の当時の全タイトル独占を果たす。「新手一生」を座右の銘に、79年引退するまで新定跡を追い求めた。 【今日の出来事1・23】1902年陸軍歩兵第五連隊、八甲田山遭難 1952年NHK初の国会中継 1968年北朝鮮、米スパイ船プエブロ号拿捕

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平和のための名言 相田みつを

相田みつを(1924~1991年)。書家、詩人。旧制中学校卒業と同時に、生涯の師、曹祠宗禅僧・武井哲応老師に出会う。その教えから独自の思想を開花させ、それをのびのびとした「自分の言葉と自分の書体」で表現する。 どんな 理屈をつけても 戦争は いやだな 肉親二人わたしは 戦争で失って いるから 相田みつを『いちずに一本道 いちずにに一ツ車』                       (校成出版社)  1984年『にんげんだもの』を発表、大ベストセラーになる。その中の「三人分」と題した作品で相田は「戦争のために、自分の意思とは全く関わりなく死んで行った」2人n「あんちゃん」の無念な思いを抱きつつ、これからも生きていくと記している。 【今日の出来事1・22】1905年ロシアで「血の日曜日」事件 1941年「生めよ殖やせよ国のため」の人口政策確立要綱決定 1980年ソ連のサハロフ博士流刑

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平和のための名言 マンディーノ

オグ・マンディーノ(1923^1996年)。アメリカ、ボストンに生れる。「世界で最も多くの読者を持つ人生哲学作家」との肩書きをもつ。保険会社勤務を経て1965年出版関係の編集長に就任すると同時に著述活動を開始。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  たった一つのローソクなどと考えてはなりません。すべての人が自分のローソクに火を灯せば、真っ暗な夜を明るい昼に変えることができるのです。     オグ・マディーノ『この世で一番の奇跡』                    (PHP研究所)  1968年『地上最強の承認』がベストセラーに。第2作の『この世で一番の奇跡』は、世界20カ国で翻訳され、売り上げ700万部の爆発的ヒットとなる。96年に亡くなるまでに全19冊を発行、世界22カ国で総販売部数は3600万部を超えた 【今日の出来事1・20】1942年ナチス・ドイツ、ヴァンゼー会議で「ユダヤ人絶滅」へ

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平和のための名言 寺山修司

寺山修司(1935~1983年)。詩人、歌人、俳人、小説家、評論家、映画監督、作詞家、劇作家、演出家。(大和書房・「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はあ りや       寺山修詩司『書を捨てよ、町へ出よう』(角川文庫)  1958年に第一歌集『空には本』を発表、以後ラジオ、テレビ、映画、演劇の脚本や監督、さらには競馬評論にいたるまで他分野にわたって精力的に活動。67年には、演劇実験室『天井桟敷』を結成、唐十郎の「状況劇場」とともにアングラ演劇ブームを起こす。47歳で死去。 【今日の出来事1・19】1960年新安保条約調印 1968年原子力空母エンタープライズ、佐世保入港

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平和のための名言 姜尚中

姜尚中(1950年~)。政治学者。在日韓国・朝鮮人2世として熊本県に生れる。早稲田大学大学院博士課程終了。東京大学教授。最初は日本名を名乗るが、20代はじめから現在の名前を選択。(大和書房・「平和のための名言集)ー早乙女勝元編) そもそも戦前と戦後の歴史がだらだらと繋がって切れ目のない日本と、敗戦を総統国家の終焉とナチズムからの解放とみなしているドイツとでは、戦後の原点からして決定的にすれ違っているのである。      姜尚中「戦後50年と近代化100年」              (『戦後を語る』岩波新書)  自らの独自の立場を踏まえて、アジア全体や日本、朝鮮半島の現状について発言する。著書に『マックス・ウェーバーと近代』『アジアから読む日本国憲法』『アジアから日本を問う』など。2010年には自伝的小説『母ーオモニー』を発表して話題になる。 【今日の出来事1・18】1990年天皇の戦争責任について発言した本島長崎市長が銃撃される。

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平和のための名言 金子光晴

金子光晴(1895~1975年)。詩人。1919年、第一詩集『赤土の家』を発表、同年にロンドンからベルギーに渡り、ヨーロッパ近代詩を学ぶ。帰国後、23年詩集『こがね虫』を刊行、日本の軍国主義体制が強まると、37年『鮫』を発表して反戦の立場を打ち出した。(大和書房・「「平和のための名言集」-早乙女勝元編)  戦争とは、たえまなく血が流れ出ることだ。その流れた血が、むなしく 地にすひこまれてしまふことだ。・・・・・・瓦を作るやうに型にはめて、人間を戦力としておくりだすことだ。・・・・・・19の子供も 50の父親も 一つの命令に服従して、左を向き 右をむき 一つの標的にひき金をひく。敵の父親や 敵の子供については 考へる必要は毛頭ない。それは、敵なのだから。         金子光晴「戦争」(『金子光晴』ほるぷ出版)  戦時中も日本の侵略戦争を批判する作品を書き続け、それを戦後になって48年『落下傘』『蛾』、49年『鬼の兜の唄』として相次いで発表。生涯を通じて反戦詩人としての評価を得る。 【今日の出来事1・17】1979年第二次石油危機始まる 1991年湾岸戦争勃発 1995年阪神・淡路大震災 

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