「満洲」に祖父をたずねて何百里」 ブログ一覧

 昭和20年、満州・公主嶺で現地召集され、その後の消息不明の祖義父の行方をたずねて2017年2月、「公主嶺会」へ寄せたメールがスタートでした。長崎県の坪井久美さんからの「坪井家のルーツ」を明らかにしたい、心情あふれるものでした。  依頼をうけて「公主嶺会」では事務局長・土屋洸子を先頭に調査を開始。相当部分絞り込めたものの未だ確定は出来ていません。しかし、その間の交流の次第を永井至正が「ブログ」でアップしてきました。総数で10本、総アクセス数は450になりました。以下表示します。 ●36 17・02・04 満州に 祖父を訪ねて何百里 ① ●27 17・02・15        〃           ② ●36 17・02・16        〃           ③ ●53 17・02・20        〃           補 ●36 17・02・27        〃           ④ ●57 17・03・04        〃           補2 ●53 17・05・06        〃           ⑤ ●49 17・09・05        〃           ⑥ ●43 18・01・03 年賀状 満洲公主嶺よみがえる ●60 18・10・14 祖父をたずねて何百里 坪井久美 【注】数字はアクセス数、日付。写真上は長崎県五島の風景明媚な海岸と島々をアレンジ。下は東京上野ターミナルホテル。公主嶺会が常用の会場。挿入写真は公主…

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祖父をたずねて何百里 長崎の坪井久美さん

 12日、長崎県の上五島から坪井久美さんが来京。これは当日東京・上野で開かれる「満洲・公主嶺会」に合わせて駆けつけたものです。事情により、会の始まる前の小一時間でしたが、会の事務局長・土屋洸子さんと懇談しました。表題のように、彼女の義祖父が昭和20年、満洲・公主嶺で絶った消息をたずねるひたむきな訪問の旅でした。(写真右、詳細は後日)

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年賀状 満州・公主嶺がよみがえる その1

 「明けましておめでとうございます 新しい年が素晴らしい年でありますよう 心からお祈り申し上げます 2018年 元旦」 遠く、長崎県上五島の坪井哲也、久美ご夫妻から新春早々年賀状をいただいた。  お会いできて良かったです。お体に気をつけて、ブログの更新を続けてください。楽しみにしております。またお会いしたいです。哲哉  お世話になりました! 私もお会いしたいです。久美 【追記】旧満洲・公主嶺に祖父のルーツをたずねて、昨年1月から心情あふれるメールで交流を続けてきた孫の坪井哲哉ご夫妻。昨年10月東京上野で開かれた「公主嶺会」にお招きしたところ父の泰助さんとともに哲哉さん(久美さんは第2子誕生のため来られがなかった)が来京しました。。  昭和20年7月3日、公主嶺に生まれた泰助さんの切々としたお話が参加した会員の涙をさそいました。 【イラストと写真説明】上 長崎県上五島の目を見張るような海。子犬が見上げています。下 昨年10月27日、上野ターミナルホテルで開かれた「公主嶺会」。挨拶にたった坪井泰助、哲哉親子。左端は司会で事務局長の土屋洸子さん。 【坪井久美】  http://38300902.at.webry.info/theme/39a2308e6a.html

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満洲に 祖父をたずねて何百里 ⑥

 「永井至正様 ご無沙汰しています、坪井です。九月に入り、急に朝夕涼しくなってきましたが、お元気でお過ごされていますか」。9月2日夜、長崎の上五島からのメールが入りました。  今回は、10月の公主嶺会への参加のお手紙をいただきありがとうございます。義父より土屋様へご連絡させていただいたことを聞きました。私も是非参加し永井様、土屋様にお会いしたかったのですが、実は8月に第2子を出産し、子育て中のため今回は遠慮させていただくこととなりました。とても残念です。  思えば私のぶしつけなメールから始まり、温かい返答をいただいたことで、こうしてつながることができたご縁にとても感謝しております。土屋様にも、さらに詳しくお調べしていただいたようで、本当に有り難いです。  公主嶺会がこうして続いていることはきっと皆様のお人柄により、結束力が強かったのだろうと想像できます。予定では義父と夫が参加することになっております。何卒よろしくお願いいたします。それでは失礼いたします。   上五島     坪井久美  坪井久美さん  こちらこそご無沙汰しています。第2子のご誕生お祝いいたします。  東京はこの2、3日来、冬が来たような気配で半袖では震えるようでした。10月の「公主嶺会」にお義父さん、哲哉さんが来られえるとのこと、土屋さんから連絡あり、電話口で思わず二人で拍手しました。  「友になり 遠方より来る また嬉しからずや」の気持ちでいっぱい、大歓迎です。新しい交流で何か向こうに”光”が見え…

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満洲に 祖父をたずねて何百里 ⑤

 自らのルーツを追い求め続けている長崎のTさんご夫妻。これまで私とのメールでの交流を続けてきましたが、29日、お住まいの地の名産物に添えて、丁重なお便りをいただきました。要望に応えることが出来ずに忸怩たるものがありますが、なお一層の真実を追い求めて行きたいと思うばかりです。 永井至正様   初めまして、FTの孫のTTと申します。  こちらからの一方的なお願いやお尋ねに丁寧に答えて頂いて、祖父母が暮らし父が生まれた公主嶺のことや日本に帰るまでの厳しい行程などについて、これまで以上に思いをめぐらすことができています。  祖母が話をしたくなかったのか、父も祖母からあまり話しを聞いていない様子で、私も満洲から終戦のごたごたの中帰って来た程度のことしか聞いておりませんでした。  今こうして私もそれなりの年齢となり(永井様からすれば未熟ですが)祖父母が父に託した思いを想像すると胸が熱くなります。また子どもも授かり祖父母の思いを繋ぐことができて安堵した気持ちもあります。永井様や祖父母も含め多くの先輩が大変な時代を過ごし、今の時代があるのだと感謝しています。  これからも大変かと思いますが、発信を続けてほしいと勝手ながら願っており そのためにも是非お体を大切にお過し下さい。  お礼の手紙に添えまして少ないですが土地の名物である「うどん」などをお送りしますので、よろしかったら召し上がって下さい。それでは 失礼いたいます。                            平成29年4月…

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満洲に 祖父をたずねて何百里 補 2

 長崎県のKTさんの「祖父母をたずねる、ひたむきな希(ねが)い」に、いたく共感を覚えたという「公主嶺会」事務局長の土屋洸子さん。このほど彼女から再度、詳細なアドバイスと情報をいただいた。以下その全文を紹介いたします。          永井至正様      土屋洸子                   前略 ブログ「満洲っ子 平和をうたう」の「満洲に祖父をたずねて何百里 ④」を拝見しました。KT様の「祖父母の生きたころのことを知りたい」とのお気持ちに、少しお役に立てたかと喜んでおります。KT様と永井さんとのやりとりを読んで、いくつか、思いついたことを書きました。 (1)公主嶺への旅について  公主嶺小学校同窓会が計画した「日中友好公主嶺訪問ツアーは、過去に5回実施されましたが、その後は参加者が高齢化したことで、開催は無理になりました。  しかし、この10年の間に個人的に、ほかの訪中団に参加して、公主嶺を日帰りで訪問する方がありましたから、訪中の予定をネットで調べてみるとよいかもしれません。 (2)公主嶺小学校同窓会が編集発行した3部作について ①記念誌『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』 ◆私の手元には1冊もありませんが、東京・神田の古本屋で入手できます。 ◆市街地図が添付されている本ですから、必ず地図があるかどうか確認してください。 ◆この地図には、町名、住人の名前などが記入されています。後述のDVD「満洲公主嶺 100年の変貌」は、この 地図に沿って編集さ…

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満洲に 祖父をたずねて何百里 ④

 自らのルーツをたどること5度目の「ブログでの交流」。遠くはなれた長崎と東京だが想いは一つ。戦争という暴虐な嵐にさいなまれながらも生きることを追い求めてきたKT一家。その存在理由を確かめようとメールでの交流が続きます。 ■永井至正様    返信が遅くなり大変申し訳ありません!  土屋(洸子)様からの貴重な情報ありがとうございます。公学校の詳細は分からぬものの、義祖母と父の足取りが分かり、改めて奇跡的で大変な道程だったのだと感じることができました。  公主嶺には駅があることから他の公学校に出勤していたかもしれないのでしょうか。長崎大学に問い合わせをしてみたいと思います。  永井様のおかげで、今まで分からなかったことが少しずつでも紐解かれ本当に感謝しています。今2歳の息子(義祖父)にとってのひ孫)にも大きくなったら自分のル-ツを教えてあげたいと思います。     一度 訪ねたい公主嶺     一度、公主嶺を訪ねてみたいと思うのですが、見知らぬ土地で行きかたがよく分かりません。永井様方の公主嶺会で、何時の日か訪れる機会などあれば同行させていただけないでしょうか。  重ね重ね、失礼いたしますが、もしも良ければ永井様のご住所も教えていただけたら幸いです。  ◆KTより ■公主嶺のこと 5    メール読ませていただきました。KTさんの「わがルーツを探る」の強いご希望に添えなくて申し訳ありません。  でも、諦めてはいけないと思います。  それは、あの時代の一…

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満洲に 祖父をたずねて何百里 補

 戦時中、満洲公主嶺に住んでおられた義祖父の消息をたずねている長崎のKTさん。彼女の依頼を受けて私が「公主嶺会」の事務局長・土屋洸子さんに問い合わせていたところ、このほど以下のような詳細な返信が届きました。紹介します。   永井至正様      土屋洸子                2017年1月26日  今朝、鹿児島の浜崎裕子さんから返事の電話をもらいました。  嶺光学校(公学校の当初の名称)の先生は、雲雀先生(37回生雲雀君の父上)、佐藤先生、加賀谷先生(なくなったので奥さんはお兄さんと再婚した)の3人しか覚えていない。FT先生という名前は覚えていない。彼女の父は、昭和19年7月15日、38歳で亡くなった(私土屋は、告別式に行ったことを記憶している)。母は、父が亡くなったあと、中国人の女学校で教鞭をとっていた。2回ほど母の勤め先に行ったが、学校がどこにあったのか、覚えていない。終戦後、その学校の校長が見舞ってくれた。  以上が浜埼さんからの返事です。  5年か10年前であったら、当時のことを記憶している人がいたのですが、残念です。    私の考えたこと:  FT先生は、、大正8年生まれなら当時は28~30歳?。根こそぎ動員は男子16~60歳が対象でしたから、桑野校長が亡くなったあと、嶺光学校の校長になられて、根こそぎ動員で召集された、と考えられます。私の父親が勤務していた農事試験場でも、若い方が招集された、と聞いています。  朝鮮の「大田」の地名を記した…

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満洲に 祖父をたずねて何百里 ③

 「満州に 祖父をたずね・・・」も今回で3回目、長崎のMTさんと東京の永井との交流は続きます。戦後72年ともなれば当時の記憶は薄れていくことは仕方のないこと。それに当時の友人など関係者も1人去り2人去りして故人になられた。もう5年も早ければ、と残念な思いが・・・。 ■MTさん(公主嶺のこと3)    今日、僕の住む東京の下町は、晴れ間も見え窓からの日差しも明るく、寒さも一休みと言ったところでしょうか。  調べの第一報です。「公主嶺会」の知らせによると、確かな裏付けはまだ取れていませんが、Tさんご一家の戦後の流転のあらましが少しずつ分かってきました。以下のように推測されます。 ●FT(祖父)さんー昭和19年、満洲公主嶺”公学校”の校長に就任。20年4月召集され、軍務につき直ちにソ満国境へ、20年8月、敗戦後シベリアに抑留され不明。 ●FT(祖母)さん・FS(父)さんー8月13日昼ごろ公主嶺駅から疎開列車で南下、敗戦時、北朝鮮平壌(現ぴょんやん)を経て南朝鮮の大田(てちょん)に到着、9月いっぱい同駅構内の貨車に滞在、その後山口県仙崎港に上陸したものと思われる。  以上は公主嶺会の土屋洸子事務局長(在東京)と昭和19年まで”公学校”の校長であった桑野好人さんの娘、浜崎裕子さん(在鹿児島)と僕の推測です。  年表風に書けば以上のようですが、その裏に「昭和の戦争」がもたらした不条理な忘れてはいけない凄絶なドラマが隠されていることは否めません。引き続き調べなければと思います・・・。…

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満洲に 祖父をたずねて何百里 ②

 いただいた資料・写真などを丹念に読み、分析し、調べてみました。それで分かったことと、驚いたことが三つあります。それを以下列挙します。なお、義祖父・義父の「義」は以後、割愛させていただきます。  KT様(公主嶺のこと2)  ①昭和20年4~6月、南方戦線に手勢を割かれた関東軍は、対ソ戦に備えて、在満の30~50代の男性を根こそぎ動員しました(在満関東軍の6割を占めていた)。お祖父さんはその中のお一人だったと思われます。そのほとんどの兵士が敗戦後シベリアに連れ去られました。 ②おそらく満州人(中国人)向けに作られた小学校・”公主嶺公学校(こうがっこうー右写真”)の校長先生だったと推測されます。この学校の教員は全て日本人でした。 ③朝鮮からの貴重なハガキの「発信地」が大田駅 構内疎開列車となっていますが、これを見てビックリ、あのとき僕もそこにいました。確か8月の16日から9月1日までで、駅構内には満洲からの疎開列車が多数停車していて、帰国を待っていましたが、なかには満洲に引き返した列車もあり、それらの人たちは帰満後、壮絶な越冬をされたと聞いています。  「公主嶺会」(土屋洸子事務局長)というのがあります。公主嶺に関連のあった人々が年に一回東京に集まり、懇親会を開いていますが、今日、そこの事務局と連絡を取り、裏付けをとる作業を依頼しました。しばらお待ちください。随時報告させていただきます。(17年1月23日)永井至正から ■永井様 早速、貴重な情報ありがとうご…

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満洲に 祖父をたずねて何百里 ①

 ブログなどを駆使するなかで、発信者と読み手の間で見知らぬ人同士の新たなコミュニケーションが生まれます。私の場合もその例にもれず、多数のドラマティックな交流があります。これまでの中で強く印象に残ったものをシリーズでお送りします。今回はその一回目、MTさんの場合です。     公主嶺の情報を知りたいです  初めまして。私はMTと申します。私の夫の祖父が公主嶺にいたのですが、戦後消息が分からないままと聞きまして、ずっとモヤモヤしています。祖父の情報の中には長崎の師範学校を出て教員として公主嶺に居たそうなのですが、どこの学校なのかもよく分からない状態です。遺品の中には中国人の名前がたくさん書かれており日本人学校以外に学校があったのでしょうか?  また、夫の父は公主嶺の病院で生まれ、生後1ヶ月で敗戦を迎え祖母と二人で引き揚げてきたそうです。私ら夫婦にも息子が産まれ、祖父からの命のリレーに感謝するとともに、一人息子や夫のルーツである満洲の地に行き、祖父を感じたく思います。どうか、どなたかお力をお貸しいただけないでしょうか?もしも良ければ下記に連絡をください。よろしくお願いいたします。(2017・1・20)***@***jp ■MT様(公主嶺のこと1)   メッセージ拝見しました。私、公主嶺に生まれ、終戦時は13歳でした。お尋ねの件、調べてみます。一つだけお知らせください。お爺さまのフルネームを? 公主嶺には中国人向けの小学校がありました。校長は日本人。教職員の大半は日本人でした。もしか…

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