井本 稔さん 関連ブログ一覧

   満州・「公主嶺会」の重鎮だった井本稔さん(故人=上野ターミナルホテル元会長)関連ブログ2019年5月28日現在の総決算です。ブログ「満洲っ子 平和をうたう」に掲載されたもので、スタートは2014年10月26日、以来、今日まで件数で34回、総アクセス数は4904を数えます。以下そのベスト20を表示します。      <アクセス数 ベスト20>         ①775 14・10・26 「満州・公主嶺」よ永遠に 井本稔さんが逝った ②383 14・11・16     〃    はわがルーツ井本稔さん ③232 14・12・22 井本稔さんを忍ぶ 土屋洸子 ④230 15・ 2・14 革新的理想主義に生きる 井本稔さん ⑤224 15・ 4・11 随想 駅前旅館 井本稔 ㊤  ⑥197 14・12・ 7 「満洲・公主嶺」っ子 井本稔さんをしのぶ ⑦177 15・ 3・12 旧満州「公主嶺小学校37回生 ⑧174 14・12・10 夫の心には赤い夕日が・・・井本知子 ⑨170 15・ 3・10 上野ターミナルホテル前会長 井本稔さん ブログ ⑩168 14・12・ 2 「満洲・公主嶺」苦難の引き揚げ 井本稔さん ⑪164 14・12・14 「公主嶺っ子」永遠に 井本稔さんブログ ⑫142 15・ 2・20 旧満州「公主嶺っ子の井本稔さんブログ ⑬132 15・10・15 井本稔さん逝って1年 ブログで振り返る ⑭131 15・ 1・20…

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没後4年 井本稔さんをしのぶ 10月20日

2014年10月20日、上野ターミナルホテルの会長 井本稔さん(80)が逝かれた。満洲公主嶺に生まれ、こよなくあの大地を、そこに住む人を愛した男。戦後はホテルを満洲公主嶺の人々の寄り集うたまり場として提供してきた、かけがえのない存在だっただけに、関係者はその死に強い衝撃をうけた。そのとき寄せた永井至正、土屋洸子の追悼の言葉をご紹介する。         ■永井至正         ■土屋洸子

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満洲・公主嶺小学校37回生の歩み -11-

■その12 1999(平成11年)10月24日(日)に東京・上野ターミナルホテルの「水車」でクラス会を開いた。1972(昭和47)年11月に第1回を東京・渋谷で開いてから、平成10年は休んでしまったが、今回で28回目の同期会である。  参加者は(青木)山本幸子、(池田)土屋洸子、(平間)千葉寿子、(藤田)渡辺アツ子、(藤田)鹿小嶋悦、(山本)津山良子、(渡辺)猿渡俊子、大塚文昭、栗林重夫、田口恵敏、野元昭夫、中村裕将の12名で、遠くは神戸、仙台、山梨、新潟、岩手などから駆けつけてくれた         玉手箱の向こうに     お互いの健康を祝して乾杯、そして「水車」名物の「玉手箱」の蓋を開けると、立ち上がる白い煙の向こうに、在りし日の元気を級友の笑顔をみることができた。それにしても、皆さんの、とくに女性の若々しさには脱帽である。  「水車」のご亭主の井本稔さん(39回生)差し入れの冷酒で”酔上来了”。予定の時間も瞬く間に過ぎる。第11回同窓会総会、そして同期会での再開を約して散会した。(中村裕将) 【注】時の移り変わりは世の常か、筆者の中村裕将君と「水車」の井本稔さんも今はもう故人。偲ばれてならない。

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「赤い夕日の満洲で・・・」 井本 稔さん三回忌

 2014年10月20日、満洲・公主嶺小学校同窓会の重鎮、世話人である井本稔さんが逝った。奇しくもその日に開かれた「公主嶺会」で訃報を受け、当日、参集した人たちは、しばし茫然、言葉を失った。あれから今日はもう二年、三回忌。謹んで再び、三度彼への思いを反芻したい。 ▼翌15年の「公主嶺会」で遺族の井本一家  畏友、井本稔さんが常日ごろ満洲の公主嶺を語るとき、口にした言葉に「私の体の中には、今も赤い夕日の残光が住みついて離れない」というのがあった。満洲・公主嶺『過ぎし40年の記録』に彼のひたむきな赤にたいする愛着とかの地への憧憬のような名文がある。本ブログには掲載済みだが、いま一度再現し彼の偉業をしのび、称え再現したい。                 (永井至正)    今も赤い夕日の残光  井本 稔   この本を作る編集会議で、本の副題が討議されたとき、私は「赤い夕日の公主嶺」を提案したが、ボツになってしまった。月並みだと一蹴されたわけで、そういえば、満洲の枕言葉のように使われている。  私は公主嶺に生まれ、6年生までいた生粋の公主嶺っ子である。だから夕日は飽きるほど見ていたはずだが、公主嶺というと反射的に、赤い夕日のイメージが浮かんでしまう。私の住んでいた花園町の家が真西に向いていたせいなのかも知れない。  遊びほうけて、ふと気がつくと周囲が赤く染まっている。帰らないと叱られると思いつつ、少しでも遊びたい。しかし最期の光芒(ぼう)を見誤ると、あっという間に…

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「井本 稔さん」関連ブログ 30頁に

 「満洲っ子 平和をうたう」の関連ブログ「井本稔さん」が今回で30件になった。総アクセス数も優に4100を超える。2014年10月20日井本さんが急逝されてはや3年。公主嶺会の重鎮、上野ターミナルホテルの始祖である彼を偲んで、以下まとめを書き記すことにした。      、<アクセス数 ランキング> ①648 公主嶺よ永遠に 井本稔さんが逝った ②247 井本稔さんをしのぶ 土屋洸子 ③235 「満州・公主嶺」はわがルーツ 井本稔 ④210 革新的理想主義に生きる 井本稔さん ⑤189 随想 「駅前旅館」 井本稔 ⑥173 公主嶺っ子 井本稔さんをしのぶ ⑦171 満州「公主嶺っ子」 井本稔ブログ ⑧163 「夫の心には赤い夕日が」 井本知子 ⑨158 「公主嶺っ子」井本稔 ブログ ⑩126 「満州。公主嶺」苦難の引き揚げ 井本稔 【注】「公主嶺会」は今年も上野ターミナルホテルで来る10月25日(火)に開かれる。公主嶺小学校は来年で創立110周年。そして同ホテルは今年で創業100年という。井本稔さんが存命だったらどんな挨拶をなされるのか。 【注】テーマ「井本 稔」アドレス    http://38300902.at.webry.info/theme/4ea3594a75.html

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公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード -8-

 この本を作る編集会議で、本の副題が討議されたとき、私は「赤い夕日の公主嶺」を提案したが、ボツになってしまった。月並みだと一蹴されたわけで、そういえば、満州の枕言葉のように使われている。(記念誌27頁下段)    今も赤い夕日の残光           井本 稔(39回生)  私は公主嶺に生まれ、六年生までいた生粋の公主嶺っ子である。だから夕日は飽きるほど見ていたはずだが、公主嶺というと反射的に、赤い夕日のイメージが浮かんでしまう。私の住んでいた花園町の家が真西に向いていたせいなのかも知れない。  遊びほうけて、ふと気がつくと周囲が赤く染まっている。帰らないと叱られると思いつつ、少しでも遊びたい。しかし最後の光芒(ぼう)を見誤ると、あっという間に暗闇になってしまう。その切り上げ時を測るのが、公主嶺っ子の特技であり、役目でもあった。  遊びに熱中している友だちの顔が赤く夕日に映え、影さえも赤かった。そしてからす(からす)の群れがねぐらに向かう鳴き声と競争するように、家路に向かって駆け出したものである。  あれかあ40年。私の体の中には、今も赤い夕日の残光が住みついて離れない。幻の故郷への郷愁なのか、壮大な自然への憧憬なのだろうか。 【注】「赤い夕日」は当時では,あるいは関係者だけの内輪では、月並だったかも知れないが、満州すら知らない人が多い昨今では、あの地を形容するには当を得ているばかりか新鮮でさえある。

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再び 三度 よみがえる 井本稔さん

同窓会の始祖、井本稔さんを失って二度目の初夏。公主嶺会の心のよりどころ上野たーミナルホテルで37回生の私たち。今日同期会を開きます。しのびます、思い出します井本さん。以下は私(永井至正)のブログこの二年の軌跡です。 ■井本稔さん関連ブログ一覧 ◆ページ数=24→29 ◆アクセス数=3154→4008 ◆コメント数=5→6 ◆気持ち玉数=55→62      <アクセス数 ランキング> ①641 公主嶺よ永遠に 井本稔さんが逝った ②216 井本稔さんをしのぶ 土屋洸子 ③208 革新的理想主義に生きる 井本稔さん ④206 「満洲公主嶺」はわがルーツ 井本稔 ⑤185 随想「駅前旅館」 井本稔 ⑥171 公主嶺っ子 井本稔さんをしのぶ ⑦161 「夫の心には赤い夕日が」 井本知子 ⑧157 「公主嶺っ子」永遠に 井本稔ブログ一覧 ⑨138 満洲「公主嶺っ子」 井本稔ブログ一覧 ⑩124 「満洲公主嶺」 苦難の引き揚げ 井本稔 【注】37回生(昭和7~8年生まれ)は今年83~84歳。同期会が誕生したのが戦後の昭和47年。今年は37回目の節目の年である。もうそろそろ「ピリオッドかな!」という言葉も出るかも・・・・・・。 ■井本稔さん関連のブログ  http://38300902.at.webry.info/theme/4ea3594a75.html

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創業100年 上野ターミナルホテル

昨日、昨年亡くなった満洲・公主嶺小学校の同窓生・井本稔さんのことで調べものがあって、ネットで検索していたら「2016年創業100年を迎える老舗ホテル」の見出しが目に飛び込んできた。読み進むうちに、これは是非とも同窓の仲間たちに知らせなければと思い、その要旨をしたためることにした。          ~感謝で迎える100周年~                   本ホテルは1916(大正5)年上野駅前に小泉旅館として設立しました。それから36500日の日々を無休、無事故で営業してきました。   みな様の安全、安心、安眠をお守りして2016年おかげさまで100周年を迎えることができますことを社員一同感謝の気持ちいっぱいです。  日本料理「水車本店」は40年前ホテル内(地下)に誕生しました。本当の日本料理を伝承したいという上野ターミナルホテルの創設者、故 井本稔の情熱が「誠実な料理」の基本になっています。  「水車」という名前は井本の故郷、山口県吉部市の「水車小屋」から生まれました。  東京にお出でになる方々に臆することなく、第二の我が家のように安心してご宿泊いただきたいと思います。消えゆく日本の味を、昔ながらのしっかりとした料理方法をきちんとお出ししたいと思います。利益優先の企業体制をよしとせず、お客様に誠の心で行くことが私たち社員一同の基本理念でございます。  同窓会や企業の会議、ご宴会に便利な会議室も完備しております。安心、安眠をお守りするため24時間スタッフが…

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LETTER FROM 公主嶺会 土屋洸子

公主嶺会にご参加の皆様ー紅葉の便りが届くころとなりました。 その後、お変わりなくお過ごしのこととお慶び申し上げます。先日の2015(平成27)年度公主嶺会にご参加くださいまして、ありがとうございます。-土屋洸子  10月16日(金)の上野ターミナルホテル「水車」での懇親会には、35名の参加でした。公主嶺会の会場・宿泊の設営については、これまでと同様に、故井本 稔さんのご遺志を受け継ぎ、井本理恵社長(長女)、知子稔氏夫人(女将)、美穂副社長(次女)、染谷紘一(水車支配人)、田村 優(公主嶺会担当)、岩松壮磨(同)をはじめホテルの方々が、すべてを滞りなく援助してくださいました。(敬称略で失礼します)  ことに、水車の「椅子席」については格別のご配慮をいただき、全員が高齢者の参加者にとって、ありがたいことでした。  来年は、私たちが公主嶺を引き揚げて、70年になります。  公主嶺会は、昭和25(1950)年10月10日、京都市で第1回公主嶺会が開かれて以来、48(1973)年までに17回の開催を数え、その後も公主嶺小学校同窓会と合流したり、単独で開いたりしました。先達の残した資料を整理し、私たちの記憶を加えて、公主嶺会の記録をきちんとしておきたいと思います。資料をお持ちの方は、ご協力くださいますようお願いいたします。(右写真 右から二人目、世話人の戸井義衛さん)  公主嶺会の今後については、世話人有志で相談したいと思いますが、皆様のご意見をお寄せください。  ご多用の年末年始をく…

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2015年 「公主嶺会」での点描 ④

2015年度の満洲「公主嶺会」の集いは、さる10月16日(土)、上野のターミナルホテル・地下「水車で」で開かれました。北は宮城から南は山口まで集った人は総勢35名。歳のころは喜寿から傘寿超えにもかかわらず、みな元気そのものでした。  会は幹事の天笠幸雄さん(39回生)の司会で始まり、冒頭、戸井義衛さん(33回生)の挨拶の後、事務局長の土屋洸子さんが昨年来の経過報告に立ち、「ここ上野にお出でくださりほんとうにありがとうございます。昨年の『公主嶺会』の日に、大黒柱の井本稔さんを失いましたが、ご家族の公主嶺会のご縁を大切にしたいとのお気持ちをいただき、会場を決めました。あとで井本さんの奥さま(知子)からごあいさつ(注)をいただくことになっていますのでよろしくお願いします」と話しました。  会場の一隅に井本稔さんの遺影があり、多くの追悼品が供えられていましたが、兵庫の森田チトセさん(38回生)からは絵画(富士山)が贈られ、会場に展示されると皆、目を輝かしていました。右写真がその模様。右が長女の理恵さん(上野ターミナルホテルの社長)。凛として清楚な跡継ぎとしては確かな人に見受けました。左の額縁に手を添えているのが同ホテルで「公主嶺会」の担当者・田村優さん。文字通り献身的に「会」を支えてくれています。  宴がたけなわとなっても精力的に立ち回っているのが事務局長・土屋洸子さん。席を回っては会話が弾むように取り持ちます。左写真はデジカメで写真を撮りまくっているとき、カメラの異常に気付…

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井本稔さんの1周忌 「公主嶺会」が偲ぶ会に

昨年の今日(10月20日)、「公主嶺会」で知らされた井本稔さんの訃報。この16日に開かれた今年の「会」は当然のこととはいえ、彼の「1周忌」となった。全国から35人が集った会場の上野・「水車」。一隅には、にこやかに微笑む遺影。その前に同窓生たちの思いのこもったお供えの数々が彼を偲ぶよう。  長女の理恵さん、次女の美穂さんに支えられるようにして挨拶に立った知子夫人。「皆さんとの再会、そして多くの方のお心添えやメッセージ、さぞかし主人も喜んでいると思います。今でこそ言えますが、生前の彼の「公主嶺」への思い入れは、それはそれは驚くほどでした。  私は彼に『私と公主嶺とどっちが大切なの!』と詰問したこともありました。むろんのこと彼は笑いながら、公主嶺と答えました」。  「今、こうして、家族一同が皆さんの前に立てますこと、こんなに喜ばしいことはありません。ほんとうにありがとうございます。私と公主嶺との絆はもう主人と同じよう、これからもよろしくお願いいたします」と、半ば涙ながらに話す知子夫人に会場は、目を潤ませながらもうなずいていました。。 【写真】左から井本美穂、理恵さん、知子夫人 【リンク】 http://38300902.at.webry.info/theme/4ea3594a75.html

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井本 稔さん逝って1年 ブログで振り返る

井本稔さん。昨年の10月20日に急逝されてもう一年。生前絶えず抱いていた彼の言葉がよみがえる。「私は生粋の公主嶺っ子。私の体の中には、今も赤い夕日の残光が住みついて離れない」。この一年間、私のブログに書きつづった彼への思いを集大成した。    <ブログ1覧>(14・10・26~15・10・14) ◆ページ数=24 ◆アクセス数=3154 ◆コメント数=4 ◆気持ち玉数=55       <アクセス数 ベスト10> ①612 公主嶺よ永遠に 井本稔さんが逝った ②209 井本稔さんを偲ぶ 土屋洸子 ③198 革新的理想主義に生きる 井本稔さん ④171 「満州公主嶺」はわがルーツ 井本稔 ⑤168 公主嶺っ子井本稔さんをしのぶ ⑥167 随想 「駅前旅館」 井本稔 ⑦158 夫の心には赤い夕日が・・・井本知子 ⑧153 「公主嶺っ子」永遠に 井本稔ブログ一覧 ⑨134 満州「公主嶺っ子」 井本稔ブログ一覧 ⑩110 「満州公主嶺」 苦難の引き揚げ 井本稔 【注】■右写真は昨年の「公主嶺会」(10月20日)の散会の際、ご家族より頂いたもの。■「気持ち玉内訳」なるほど=3、驚いた=13、ナイス=39  【井本稔さん関連ブログ】http://38300902.at.webry.info/theme/4ea3594a75.html

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2015年度 「満州・公主嶺会」のご案内

残暑なおきびしい折ですが、皆さまにはご健勝のこととお慶び申し上げます。さて下記のように「公主嶺会」を開きます。昨年の公主嶺会の日に、「会」の大黒柱だった井本稔さんを失いましたが、公主嶺会のご縁を大切にしたいとのお気持ちをご遺族からいただき、会場を決めました。ぜひともご参加ください。            ー記ー ■日時:2015年10月16日(金)18時~ ■場所:上野ターミナルホテル・水車 ■会費:9000円 ■宿泊:適宜 ●世話人 戸井義衛(33回生)、天笠幸雄(39回生)、 土屋洸子(37回生:042-410-3855) 【井本稔さんブログ】http://38300902.at.webry.info/theme/4ea3594a75.html

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土屋洸子さん関連のブログ 一覧

旧満州「公主嶺会」の世話人である土屋洸子さん.関連のブログ。以下にそのアクセス数のベスト10を表示します。総数では前回(4・27)より1425件の増で、今日現在で6459件となりました。なお、ページ数は78です。 ①934 雲ながるる果てに ② ②565 公主嶺よ永遠に 井本稔さん逝く ③204 井本稔さんを偲ぶ 土屋洸子 ④189 革新的理想主義に生きる 井本稔 ⑤174 夢でなかった 公主嶺との再会 ⑥165 13・12土屋洸子さん関連ブログ ⑦162 満洲。公主嶺っ子 井本稔さん ⑧152 「公主嶺っ子永遠に」 井本稔さん ⑨140 写真で見る 公主嶺小の同窓会 ⑩123 満州・公主嶺”過ぎし40年の記録” 【関連ブログのアドレス】http://38300902.at.webry.info/theme/86fb75d94c.html 【写真】昨年(2014・10・20)の「公主嶺会」でのもの。左から2人目、土屋洸子さん。

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濃緑の満洲・公主嶺小 37回生 同窓会終わる

「例年より気温が高い毎日ですが、皆さまにはお元気でお過ごしのことと存じます」。このほど開かれた公主嶺小学校の同窓会、幹事を務められた栗林重夫君、土屋洸子さんから同窓会が無事に終了したことのお礼のあいさつ状が当日の写真を添えて送られてきました。 ▼幹事の土屋洸子さん  先日5月30日(土)、東京上野ターミナルホテル地階「水車」で開かれた37回生第36回同期会に北は北海道、南は鹿児島から、また、新潟、関東各地から12名もご出席くださいまして、ありがとうございました。  一人、一言のはずが、次々に話が弾み、12時30分から16時過ぎまで、長時間のクラス会でしたが、時間切れになってしまいました。全員で懐かしい「公主嶺小学校校歌(濃緑の野は晴れて・・・)」を合唱して、三々五々、お別れしました。  当日の写真を同封いたしました。全員の集合写真(右掲)の氏名は下記の通りです。(敬称略)  後列左から:栗林重夫、稲垣玲子、宮島雅一、永井至正、長浜自明、土屋洸子 前列左から:浜崎裕子、鹿子嶋 悦、村上笑子、村上幹雄、山田和行、大塚文昭。  公主嶺小学校37回生の第37回同期会を来年開くことができますように、くれぐれも健康にご留意の上、お過ごしください。       井本稔さん一家あってこそ・・・ 【追記】上野ターミナルホテル社長、井本理恵さん(39回生 井本 稔さんの長女)、井本知子さん(井本稔夫人)、井本美穂さん(次女)をご紹介しました。  井本稔さんは、昨年10月20日…

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ブログ 「満州っ子」 3400に そして井本美穂さん

私のブログ「満州っ子 平和をうたう」が今日3400ページになりました。そしてこの五月だけで5074件のアクセス増。スタート以来この6月8日で、7年目を迎えるだけに感慨深いものがあります。加えて畏友、井本稔さんのご家族との交流もできるなど新しい展開も見通せて嬉しい限りです。 ◆期間=15年5月1日~15年6月3日 ◆ページ数=3357→3400 ◆テーマ数=46→46 ◆アクセス数=316980→322054 ◆PV数=1082912→1102930 ①1716→1727 狩野光男画 東京大空襲㊥ ②1547→1547 モンテスキュー・法の精神 ③1402→1412 狩野光男画 東京大空襲㊦ ④1338→1362 淡谷のり子さんと特攻隊 ⑤1292→1324 なかにし礼の「赤い月」を見て ⑥1311→1312 マハバーラダ大叙事詩 ⑦1276→1276 来年の「赤旗」カレンダー ⑧1123→1135 狩野光男画 東京大空襲㊤ ⑨1119→1120 あの「東京大空襲」と私 ⑩ 946→ 946 樋口一葉 にごりえ ⑪ 910→ 913 雲ながるる果てに② ⑫ 905→ 910      〃    -序文ー ⑬ 854→ 873 千田夏光さんと不和哲三氏 ⑭ 776→ 807 俺の言葉に泣いた奴が一人 ▼にこやかに 井本稔さんの次女、美穂さん ⑮ 738→ 747 私とあの「東京大空襲」㊤ ⑯ 739→ 744 佐藤真子さんと「満州っ子…

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「公主嶺っ子」・井本 稔さん関連のブログについて

井本稔さん関連のブログを一覧にして表示するのはこれで6回目になりましょうか。それは彼と僕が、あの満洲という大地の小学校で子どものころご一緒したことからだけではなく、このブログの閲覧者(アクセス)数の伸びが驚くほど急テンポだからです。そして昨日(20)は彼の命日でした。 ①482 満洲 公主嶺よ永遠に井本稔さんが逝った ②191 井本稔さんを偲ぶ 土屋洸子 ③185 革新的理想主義に生きる 井本稔さん ④157 満州・公主嶺っ子 井本稔さんをしのぶ ⑤148 随想 「駅前旅館」 井本稔 ⑥143 「公主嶺っ子」永遠に 井本稔さんブログ④ ⑦140 夫の心には赤い夕陽が・・・井本知子 ⑧129 「満州公主嶺」はわがルーツ 井本稔さん ⑨126 「   〃   」井本稔さんブログ③  ⑩115          〃          ② 【注】今日現在(5月20日)のアクセス数のランキングです。件数は18、アクセス総数は2490。昨月より215件の増です。⑤の「随想 駅前旅館 井本稔」(4月11日投稿)は148をカウント、一気にランキングに入ったことが注目されます。 ▼井本稔さんが編集委員として携わった公主嶺関連の四部作

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畏友 井本 稔さん逝って6ヵ月

上野ターミナルホテルの前会長・井本稔さん。「私の体の中には、今も赤い夕陽の残光が住みついて離れない」と言い遺して逝った「満洲・公主嶺っ子」。あれからもう6カ月。彼の言葉の余韻が繰り返し脳裡をよぎり、ブログで再現させてきた。以下はそのひとコマである。 ①477 「満州・公主嶺よ永遠に」 井本稔さん逝去 ②186 井本稔さんを偲ぶ 土屋洸子 ③180 革新的理想主義に生きる 井本稔 ④152 「公主嶺っ子」井本稔さん偲ぶ ⑤139 「   〃   」永遠に 井本稔さん ⑥135 夫の心には赤い夕陽が 井本知子 ⑦125 「満州・公主嶺」はわがルーツ 井本稔 ⑧119 満州・「公主嶺」井本稔ブログ三度 ⑨113 「公主嶺っ子」井本さんブログ再び ⑩ 93 「公主嶺会」の土屋洸子さん お便り 【注】今日現在(4月20日)のアクセス数順位を列挙した。件数は17、総数は2275。このひと月で311の増。ブログの開始以来半年になるが、これほどの急伸はまれに見る。 【リンク】http://38300902.at.webry.info/theme/4ea3594a75.html

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随想 「駅前旅館」 井本 稔 ㊤

旧満州(現中国東北部)の公主嶺という町の国民学校(現小学校)で同窓だった井本稔さん。昨年、10月急逝された彼の随想をご遺族からいただいた。題して「駅前旅館」。よどみない筆致で描かれている読み応えのある一文。彼が東京の旅館業界で過ごした「来し方」の一端が偲ばれます。  昭和30年代と言えば日本映画の全盛期。数々の名作が生まれているが、その中に頭に駅前のつく喜劇シリーがあった。その第一作が「駅前旅館」である。  森繁久弥、フランキー堺、三木のり平、山茶花究ら喜劇人が総出演して大ヒットした。以後、シリーズ化されたのだが、この第一作はひと味違っていた。番頭に扮した森繁を初めとする俳優達の軽妙な演技もさることながら、舞台となる駅前旅館の楽屋裏、背景となる社会相が的確に描かれていたからだろう。    意外に知られていないが、原作井伏鱒二、監督豊田四郎であり、共に寡作だが名人肌の作家として定評があった。  「私、駅前の旅館柊元旅館の番頭でございます。名前は生野次平と申します。生まれは能登の輪島在、早くから在所を離れました」。  小説「駅前旅館」の書きだしの文章である。番頭生野次平が思い出話を坦坦と語る形で進められている。旅館の女中部屋から小学校へ通う生い立ちから本帳場に座る番頭になるまで、彼の目をとおして見た旅館の内幕とそこで働く人達の人間模様が生き生きと描かれている。  江の島旅館街の客引き合戦や修学旅行の添乗員のシーンなどは特に秀逸だったが、エピソードの積み重ねがそのまま、旅館の歴…

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上野ターミナルホテル前会長 故井本稔さん関連ブログ

上野ターミナルホテルの前会長だった井本稔さんが亡くなって今日で5ヵ月。氏は私と同じく旧満州「公主嶺市」生まれの同郷のよしみ。彼への想いをネットに掲載して今回で16回目。思はぬアクセス数の急伸ぶりに驚くばかり。なんと今日でもう2000件になんなんとしている。 ▼上野ターミナルホテル 全景      <井本稔さん関連ブログアクセス数一覧> ■  0→ 44 満州「公主嶺小」37回生同窓会 ■  0→108     〃     井本稔ブログ③ ■ 66→174 革新的理想主義に生きる 井本稔 ■ 43→ 59 土屋洸子さん関連ブログ 4000超 ■ 80→104 「公主嶺っ子」井本稔さんブログ再び ■115→132 「公主嶺っ子」永遠に 井本稔さん ■140→178 井本稔さんを偲ぶ 土屋洸子 ■106→131 夫の心には赤い夕陽が 井本知子 ■122→149 「公主嶺っ子」 井本稔さんを偲ぶ ■ 72→ 83 「満洲・公主嶺」苦難の引揚げ井本稔 ■ 63→ 67 「満州っ子 平和をうたう」ブログ11月 ■ 84→ 91 「公主嶺会」の土屋洸子さん お便り ■ 67→ 83 「満州・公主嶺」 亡き妹に 井本稔 ■ 93→109 「満州・公主嶺」はわがルーツ 井本稔 ■334→452 「満州・公主嶺よ永遠に」 井本稔逝去 【追記】はじめの数字は2月20日、ついで3月20日のアクセス数。計1964件に。このひと月で576件の増となりました。なお、井…

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旧満州「公主嶺小学校37回生」(昭和20年卒業)の同窓会

「ひと雨ごとに春めいて参りましたが、その後、いかがお過ごしでしょうか。下記のように『37回生同期会』を開きますので、ご多用とは存じますが、皆さまのご参加をお待ちしています」。幹事の栗林重夫、土屋洸子さんからの案内はがきを頂いた。 ▼昨年同期会の集合写真=東京・市ヶ谷で ■日時:5月30日(土)12:30~15:00            受付:12時~ ■会場:東京・上野ターミナルホテル            「水車」 (椅子席です) ■会費:5000円 *ご出席の方へ:後日、会場への地図などの資料をお送りします・          幹事:栗林重夫 土屋洸子  【注】かつて、南満洲の公主嶺というところの小学校(当時は国民学校)を終戦の年(1945年3月)に卒業した面々。この小学校は創立が遠く、日露戦争直後の明治40年。従って私たちは37回生になる。戦後バラバラで引き揚げ、同窓会を初めて開いたのが確か昭和47年ごろ。今回は36回目となる。  場所は上野ターミナルホテル。昨年、惜しまれて亡くなった二年後輩の井本稔さんが経営していた駅前ホテル(現社長は長女の理恵さん)。地下にある「水車」は界隈では有数な割烹料理店。

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旧満州「公主嶺っ子」の井本稔さん ブログ一覧・三度

今日は2月20日。井本稔さん(昨年の10月20日)が逝かれた命日。もう4ヵ月、いや、まだ4ヵ月。月日が刻まれるごとに彼のことがよみがえります。あの日、あの頃の立ち居振る舞いが・・・。僕のブログで井本稔さんを偲ぶアクセス数が1300件を超えてきました。 □  0→ 66 革新的理想主義に生きる 井本稔 □  0→ 43 土屋洸子さん関連ブログ 4000超 □ 69→ 80 「公主嶺っ子」井本稔さんブログ再び □ 76→115 「公主嶺っ子」永遠に 井本稔さん □101→140 井本 稔さんを偲ぶ 土屋洸子さん □ 72→106 夫の心には赤い夕陽が 井本和子 □ 92→122 満州・公主嶺っ子 井本稔さん偲ぶ □ 62→ 72 満洲・公主嶺・苦難の引揚げ井本稔 □ 57→ 63 「満州っ子 平和を唄う」ブログ11月 □ 78→ 84 「公主嶺会」の土屋洸子さん、お便り □ 58→ 67 満州・公主嶺 亡き妹に 井本稔 □ 70→ 93 満州・公主嶺はわがルーツ 井本稔 □276→334 満州・公主嶺よ永遠に 井本稔逝去 【注】1月20日からのアクセス推移、計1388に。このひと月で453件という著しい増です。 ●アドレスーhttp://38300902.at.webry.info/theme/4ea3594a75.html 【公主嶺を思う】    公主嶺は現在の中国東北部(旧満州)のほぼ中央にあった小さな町である。いや、「あった」と過去形で書くの…

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革新的理想主義に生きる 井本稔さん

昨年の10月20日、家族の涙で見送られ、多くの友人に惜しまれて亡くなった井本稔さん(上野ターミナルホテルの前会長=80歳)。このほどその生い立ちと人柄を、という声があり、紹介します。昭和が終わる前の年、昭和63年10月31日に、彼にとっては日本の郷里(心の故郷は満洲・公主嶺)・「山口新聞」がシリーズ・「ふるさと有情」で取り上げています。      上野駅前 乱開発反対の先頭に     上野の街を抱える東京・台東区は、いまポスト新幹線を目指して「上野再開発基本構想」を掲げている。その目玉は、延べ面積23万平方㍍という巨大な上野駅ビル建設計画だ。中でもとりわけ目を見張らされるのが60階建てで、千百室を誇るステーションホテルの建設計画。日本一のノッポビル、池袋のサンシャインビルを上野にも建てようというものだ。  現在、上野に構える旅館・ホテルは、60軒(合わせて2300室)、もちろん黙って建てさせるはずはない。その計画反対派の中で、ひときわ激しい抵抗運動を繰り広げているのがわが長州健児だ。  上野旅館組合副会長、東京都旅館組合連合会理事、「全上野駅周辺整備協議会」広報委員。ホテル業に身を投じて21年、上京して足かけ35年になる。        旧満州・公主嶺に生まれる      阿武郡吉部村(現・むつみ村)の出身。父・茂、母・芳子の二男二女の長男。旧満州吉林省公主嶺で生まれ、戦後母の実家、吉部に引き揚げた。父の実家は、山口市名田島の造り酒屋で、祖々父は奇兵隊の志士。父…

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土屋洸子さん関連ブログ 4000を超える

ブログ「満州っ子 平和をうたう」のうち土屋洸子さん関連のブログが本日(15・1・29現在)そのアクセス数で4010になりました。前回の集計は昨年11月21日の3038。したがってこの二ヵ月で972件という著しい増加です。以下ベスト10を紹介します.。 ▼上野ターミナルホテル前での土屋洸子さん ①901 雲ながるる果てに② ②286 公主嶺よ永遠に 井本稔さん逝く ③164 夢がかなった 公主嶺との再会 ④162 ’13・12 土屋洸子さん関連ブログ ⑤129 写真で見る 公主嶺小の同窓会 ⑥127 井本稔さんを偲ぶ 土屋洸子 ⑦115 ’14・5 土屋洸子さん関連ブログ ⑧106 満洲・公主嶺 過ぎし40年の記録 ⑨103 満洲・公主嶺 井本稔さんを偲ぶ ⑩101 ’14・1 土屋洸子さん関連ブログ 【土屋洸子さん関連ブログ】  http://38300902.at.webry.info/theme/86fb75d94c.html

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「公主嶺っ子」・井本稔さん 関連ブログ再び

満洲・「公主嶺小学校同窓会」の世話人井本稔さんが、昨年の10月20日に亡くなられて今日で3ヵ月。これまで私のブログに10回載せてきましたが、今日でそのアクセス数が900件を超えました。その急増ぶりに、同じく世話人だった土屋洸子さんともども驚き、感動しています。 ① 16→ 69 井本稔さん関連ブログ一覧 ② 55→101 井本稔さんを偲ぶ 土屋洸子 ③ 55→ 72 夫の心に赤い夕陽が 井本知子 ④ 73→ 92 「満洲・公主嶺」 井本稔さんを偲ぶ ⑤ 52→ 62 「   〃   」 苦難の引き揚げ ⑥ 46→ 57 満州っ子 平和をうたう 11月 ⑦ 70→ 78 「公主嶺会」土屋洸子さんの便り ⑧ 53→ 58 「満洲・公主嶺」亡き妹に 井本さん ⑨ 64→ 70 「   〃   」 わがルーツ 井本さん ⑩255→276 「   〃   」 井本稔さんが逝った 【注】最初の数字は昨年12月26日のもの、続いて2015年1月20日のアクセス数で計935。このひと月で196の増となっています。特に土屋洸子さんの「井本さんを偲ぶ」の倍増が目立ちます。「多くの人が見てくれてるんですね・・・!」と驚きの様子、土屋洸子さん。 【井本稔さんブログのアドレス】  http://38300902.at.webry.info/theme/4ea3594a75.html       ◆公主嶺駅を通過する特急「あじあ号」⇒

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「公主嶺っ子」 永遠に 井本稔さんブログ一覧

「満洲 公主嶺会」の世話人井本稔さんが多くの人の悲しみのなか逝かれたのが10月20日。あれからもう2ヵ月も過ぎ、やがて新年を迎えようとしている。井本さんが久遠の思いをもつあの公主嶺。その大地と彼が関連したブログをまとめてみた。これで10頁になった。 ① 16 井本稔さん関連ブログ一覧 ② 55 井本稔さんを偲ぶ 土屋洸子 ③ 55 夫の心に赤い夕陽が 井本知子 ④ 73 「満洲・公主嶺」 井本稔さんを偲ぶ ⑤ 52 「   〃    」 苦難の引揚げ ⑥ 46 満洲っ子 平和をうたう 11月 ⑦ 70 「公主嶺会」の土屋洸子さんの便り ⑧ 53 「満洲・公主嶺」亡き妹に 井本さん  ⑨ 64 「   〃    」 わがルーツ 井本さん ⑩255 「   〃    」 井本さんが逝った   ◆井本さんの次女・井本美穂さんからのメール(12月23日) 父が満洲の記録を一冊の本にしたいと言って、テープ6本 満州のことを話した記録が残っているのです。ついに、まとめることができませんでしたが、このように書いていただけて本当に光栄です。今後も利用して頂けると父が喜びます。 【注】ブログへの総アクセス数は12月26日現在739。なお、右下写真は旧満州の満鉄・公主嶺駅 ●井本稔さんのアドレス⇒http://38300902.at.webry.info/theme/4ea3594a75.html

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井本 稔さんを偲ぶ 土屋洸子

公主嶺小学校39回生の井本 稔さんが、10月20日朝、旅立たれた。その日は、夕方から公主嶺会が開かれるその日だった。いつもなら井本さんが司会されるのだが、その人がいない。私がマイクを握った。声が出なかった。涙とつばを飲み込んだ。  昭和61(1986)年11月の第5回同窓会で「学校創立記念誌を作る」ことが決まって以来、62年11月に『満洲公主嶺ー過ぎし40年の記録』、平成元(1989)年の写真集『満洲公主嶺ーその過去と現在』、10年11月の創立90周年記念ビデオ『満洲公主嶺ー100年の変貌』の3部作の編集・発行、さらに、19年11月の「創立100周年記念大会」の開催、21年8月の「同窓会会報合本」発行まで、毎月1回の編集会議や学年委員会が、上野ターミナルホテルのバンケットルームで開かれた。  また、昭和63(1988)年12月から平成20(2008)年3月まで、年に1~2回発行された『同窓会会報』の編集会議や発送業務も同所で行われた。各学年から1~2名ずつ出た約30名の学年委員で、編集や同窓会運営について、話し合ったり郵便物の発送を行った。         「公主嶺の記録」残せたのは・・・    私たちは、この30年近くを毎月のようにホテルのバンケットルームに集まり、作業をしたが、記念誌、写真集、ビデオテープの3部作ができたとき、旧満州の同窓会の人から「なぜ公主嶺はそのような仕事ができるのか」と質問されたことがあった。  それは「作業ができる場所を提供してくれる人がい…

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夫の心には赤い夕陽が・・・井本知子

「~生涯、夫の心には赤い夕陽と そして、同じ色の情熱が消えることはありませんでした~・・・」井本知子さんからの喪中の書状をいただきました。永久の愛と哀切こもったその文面にしばし見入りました。  新年のご挨拶に代えて      十月二十日 夫 井本稔 が八十歳にて   永眠いたしました。   生涯、夫の心には赤い夕陽と   そして、同じ色の情熱が消えることは   ありませんでした。   今後も皆様と「公主嶺会」でお会いできることを   夫の心と共にお待ちしております。   寒い日々になりました。   どうか、ご自愛くださいませ。     平成26年 12月        井本知子 人生の最終幕にたった今、友に確信を持って伝えたいことがある 愛して、笑って、泣いて 手に入れたこともあった、失うこともあった 泪が乾いた後には、そのどれにも感動が残っていた 過ぎ去った日々を思いおこし、誇りと共に口にしたい 「私は自分の信じる道を歩いたのさ」 Yes, I did it My Way                 (故人が愛したフランクシナトラ「マイウェイ」より)  井本稔の次女 美穂です  父のことをブログに書いてくださったことを、たまたまネットで偶然見つけました。印刷をして、母に渡したところ大変喜び、家に1部、会社の従業員に1部、「水車」に1部、そして、父が長年お世話になった皆さんに、印刷させていただき、渡しています…

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満洲・公主嶺っ子 井本稔さんをしのぶ

「満洲 公主嶺よ永遠に」の言葉を残され、多くの人に惜しまれて逝った井本稔さん。今日12月7日は49日と聞きます。どうか安らかに眠ってください、あなたの限りないあの大地への思い、そして、日中友好の願いを私たち公主嶺っ子が繋いでいきます。 ▼旧満州・公主嶺市「鮫島通り」、右奥に井本さん生家がー  【公主嶺という町】  公主嶺(こうしゅれい)は現在の中国東北部(旧満州)のほぼ中央にあった小さな町である。いや、「あった」と過去形で書くのは正しくない。現に中国吉林省の主要都市として人口13万人を数え、産業に文化に、新しく発展を遂げつつある。しかし、公主嶺小学校に学んだ私たちにとって、それはもはや過去の、追憶の町でしかない。その町で生まれ、その町で育ったものに「公主嶺」の名の響きは美しく、哀しく、切ないほどの郷愁を呼びおこし、ときとして、望郷の思いに慟哭させるのである。(「満洲 公主嶺 過ぎし40年の記録」1ページから)      井本稔さん関連のブログ 「満州っ子」 ●184 「満洲 公主嶺」よ永遠に 井本が逝った   http://38300902.at.webry.info/201410/article_31.html ● 45 「満洲 公主嶺」は我がルーツ 井本稔さん  http://38300902.at.webry.info/201411/article_22.html ● 37 「満洲 公主嶺」亡き妹に 井本稔さん  http://38300902.at.…

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「満洲・公主嶺」苦難の引揚げ 井本稔さん

終戦時の在満日本人は170万人といわれている。あの年に日本に帰国できた人はごく僅か。厳しい冬を住む所も食べ物もなく、死んでいったのは24万5千人という。ほとんどの人は翌年コロ島から引き揚げ船で苦難の帰国を果たした。その中に幼い弟妹を引き連れていた12歳の少年・井本稔さんが健気(けなげ)だった。           弟妹託され先に帰国    公主嶺第2大隊第○中隊。そして氏名。この名札を胸につけると、引き揚げ者と公認されたことになる。昭和21年7月22日。第一次引き揚げの開始された日である。それまでに何度も引き揚げの命令が出ては取り消され、半信半疑になっていた。  そのころ大人たちの心にあったのは、望郷の思いのみであったろう。会話も内地の話や将来への希望的観測に限られ、内地が焼け野原で住む家もないのでは、親戚が迎えてくれるだろうかという不安を押し殺していた。そして帰国が現実のものになった。  所持金は一人千円。貴金属は一切没収という厳命。その鉄則は最後の引き揚げ船まで貫かれる。リュックに手荷物の難民の群れが駅に集結。だが、この日は私にとっては父母との別れの日でもあった。病床の母と看護のために残る父から、二人の弟妹の責任を持たされた私は、この日から強くなった。  炎熱の貨車、錦県の収容所へ向かう白く長い道、馬小屋のアンペラの臭い・・・・・・そしてコロ島の港に横付けされたLST。マストにひるがえる日の丸をこれほど美しいと感じたことは、その後一度もない。幸い、父母とは三カ月後、…

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