NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑭-1

   「これまで12回開かれた公主嶺小学校同窓会に1,2度出席されただけだった。しかし、毎年年賀状を交換している山田典子さん(38回生、旧姓大宮、84歳)に、NHKのドラマの予定のハガキを出したところ、長文のお手紙が届いた。それは驚くべき内容で、旧満州・吉林省伊通県・伊通街に、たった1軒だけ残った日本人の消息だった」(土屋洸子さんから)。  (前略)お知らせくださいましたので、ドラマの前編、後編とも、無事にTVの前に座ることができました。1945(昭和20)年の敗戦後のことは、ドラマと同じで、孤児になったお子さんや、被害に逢われた女の方など、極寒の中、本当に大変でした。ドラマを拝見し、涙が流れて困りました。  (中略)父の大宮基成(もとなり)は、伊通で開業医をしておりました。私が小学校に入学するころ(昭和15年4月)、伊通に小学校がなかったので、公主嶺の知人(中村さん=37回生中村祐将、40回生樋廻明子の父)を頼り、公主嶺小学校に通学しました。当時伊通に子どもが50人ほどいたので、父が「伊通に小学校を作って」と文部省に嘆願して、2年生のときに伊通に小学校ができました。それで、私は伊通の自宅から通学できるようになりましたが6年生の夏休みが昭和20年8月で、日本人小学校は終わりました。 【注】『満洲 1945年』(地久館)によれば、20年8月当時、伊通街には250人の日本人が在住。8月17日、伊通街の邦人約100余人は長春へ避難。他は満系警察官の護衛により公主嶺へ避難。8月下旬、満系自…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑬

 NHK・TVドラマ「どこにもない国」を見て、押野礼子さん(39回生、旧姓若林)が感想を寄せてくれました。押野さんは、1941(昭和16)年5月(1年生1学期)から44年6月(4年生1学期)まで、公主嶺い住んでいた。公主嶺を離れたのは、父上に沖縄への出動命令が出たためで、病弱の母は、、3人の子どもを抱えて満洲に残れない、との判断だったらしい。 ▼ポール・マルヤマさん(毎日新聞から)       頭が下がる 凄まじい努力    先ず、丸山邦雄氏、新甫八朗氏、武蔵正道氏の3人の、在満残留日本人の救助に対する、全身全霊を打ち込んだ凄まじい努力に、頭が下がりました。日本政府高官は、彼ら3人に「国内は食糧不足、輸送用の船が不足している」との理由で「現地に留まって、これまでの生活を続けるように」と領事館に伝えたと言い、そして「3人の話を聞いて、、初めて現状を知った」との発言に、自分たちは「まぼろしの国」に生活していたのかと激怒しまいた。映像を見ていても、怒り心頭です。  丸山氏たちの働きがなかったら、150万人は難民扱いでしょうか。GHQ、マッカーサー元帥への在満同胞の救助を訴える熱意に、圧倒されました。丸山さんを演じた内野聖陽さんの、英語スピーチの熱演は、素晴らしかったです。  150万人もの日本人を救った丸山邦雄氏ら3人を、私たち日本国民は、誇りに思い、感謝いたします。 【注】なお、押野さんから「毎日新聞の4月27日付夕刊」の切り抜き(一面全面特集)を送っていただきました。以下冒頭部…

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ほどなく 公主嶺小学校 37回生同期会 

 若葉の緑もすがすがしい頃となりました。公主嶺小学校37回生(昭和7、8年生まれ)の皆さまにはお元気でお過ごしのことと存じます。去る3月に、ご案内をお送りしてから、今日までに皆さまからのご返事が次々に届きました。ご出席者は、次の6名です。大塚文昭、永井至正、栗林重夫、田口恵敏、小林千栄子、土屋洸子(敬称略)。 ◆日時:2018年5月19日(土)       PM12時~15時 ◆場所:東京・上野ターミナルホテル      地階「水車」(椅子席です)      電話:03-3831-1110 ◆会費:3000円(予定)  なお、昨年10月に開かれた「公主嶺会」に、「満洲の記憶」研究会に所属する方々が出席され、現在土屋洸子さんが取材を受けております。その折に、37回生同期会のことを話したところ、是非出席させてほしいとのことで、次の3名の方が参加されます。満洲のことをいろいろ伺うと思いますので、よろしくお願いいたします。 【注】「満洲の記憶」研究会:一橋大学社会学研究科 佐藤仁史研究室、大学院生を中心に2013年7月30日に発足した。 ■大石 茜(おおいし・あかね) つくば大学大学院 人文社会学研究科 博士後期課程、現代語・現代文化専攻 現在、公主嶺の幼稚園について調査中。 ■管野智博(かんの・ともひろ) 一橋大学大学院 社会学研究科 博士後期課程、慶應義塾大学総合政策学部 非常勤講師。13歳の時に中国・長春から日本へ。 ■甲賀真広(こうが・まさひろ 首都大学東京…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑫

 「旧満州・公主嶺小学校第40回生(終戦時4年生)の田中元夫さんからの『どこにもない国』を見ての感想を送ります」。(土屋洸子さんからのレポート)  お知らせ下さったNHK・TVドラマ「どこにもない国」の前編・後編を鑑賞しました。「どこにもない国」は13年余りの短命だった満洲のことでしょうか。小生はその10年余りを満洲にいて、お世話になりました。そんな気持ちが、今なお潜在します。  丸腰で着の身着のままで翻弄された方々、その臥薪嘗胆を、改めて目を凝らして、ドラマを見た次第です。フィナーレの、主人公と其の家族の再会の一こまに、心底安堵しました。(田中元夫) 【注】田中元夫さん:昭和10年生 82歳  私(土屋)の手紙には「TVドラマに誘われて、脳裏に点在する満洲・公主嶺を整理しようと、資料をそろえることにしました。下記に資料の一例を書きます」とのこと。 『世界史のなかの満洲』(宮脇洋子著 PHP新書 2006年) 『流れる星は生きている』(藤原てい著 中公文庫 1949年) 『満洲 奇跡の脱出』(ポール・邦明・丸山著(柏艪舎 2011年) 『運命の人』(山崎豊子著 文春文庫 2011年) ■藤原てい(1918~2016)年、11月15日98歳で没。  長野県茅野市出身。夫は作家の新田次郎氏。1943年に新京の気象台に赴任する夫とともに満洲に渡る。帰国後。満洲からの引き揚げ体験を遺書のつもりで書いたという。  

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑪

 「昭和20年8月当時、旧満州・四平市にいた谷口欣司さん(鳥取出身、昭和3年生まれ、公主嶺農業学校に昭和18年4月入学)から昨日、ドラマを見た感想や四平市の終戦時の様子などが送られてきました」。土屋洸子さんのレポート。 ■谷口欣司さんの感想   NHK・ドラマ「どこにもない国」を見て、苦難の往時を思い起こしました。  日本人引き揚げ実現のために、危険を顧みず、満洲を脱出して帰国し、政府や連合国総司令部(GHQ)に邦人引き揚げを陳情した勇気ある2組がありました。在満日本人会高碕達之助会長が新京(現長春)から特使3人を派遣したAチームと、今回NHKが2回にわたり放映した丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の3人のBチームです。  今回の放映で、BチームがAチームより先に、引き揚げ実施の回答を得たと思いました。また、日本への引き揚げが実現した事情を知って、3人のヒーローが命をかけた勇気ある行動に、感謝いたします。 【注】谷口さんは「昭和21年7月4日に出発、5日、錦州の元関東軍馬小屋の収容所に入る。15日、コロ島に向かい、16日、アメリカの貨物船リバティVO68号に乗船し、17日朝出航、21日に舞鶴に入港した。24日に上陸、25日に父の故郷鳥取に到着したという。 ■四平市のこと   四平市は昭和20年当時の人口は約9千人で、8月9日ソ連参戦後は1万人以上の避難民が四平に入った。日本への引き揚げは21年7月1~9日にかけて、2万2千人を21大隊に分けて行われ、奥地からの避難者を優先した。前号…

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NHKドラマ「どこにもない国」にまつわる話 ③

 「3月24日(土)と31日(土)にNHK・TVドラマ「どこにもない国」が放送される、と知って、満洲公主嶺関係者や海外からの引き揚げ経験者に、放送の日時を知らせるハガキ150枚を出しました」。(土屋洸子さんからのお手紙)  同時に、このドラマの原作『満洲 奇跡の脱出』(柏艪舎 2011年)の著者ポール・邦明・丸山氏とのいきさつを書き(ブログ3月21日付ー注1)、3月14日にアメリカの丸山氏へ手紙を出した(ブログ3月23日付ー注2)。  ところが4月11日にアメリカから住所不明として、丸山氏あての手紙が戻ってきた。さて、どうしたものかと考えた揚げ句、本の発行元・柏艪舎(はくろしゃ)へ、今までのいきさつを書いて、FAXで丸山氏の住所を問い合わせた。10分もしないうちに、柏艪舎の担当者から「手紙は弊社でアメリカへ送ります」との返事が来た。有り難いと思って電話をかけた。  「よろしくお願いいたします。丸山様とのいきさつは、ブログ『満洲っ子 平和をうたう』を見ていただきたいのですがと言うと、「そのブログは、時々見ています」とのこと。  驚いた! 嬉しかった! 満洲のご縁で繋がっている、と実感した。ドラマを見た方々が、さらに原作のこの本を手にとってくださることを願っている。 【注1】http://38300902.at.webry.info/201803/article_60.html 【注1】http://38300902.at.webry.info/201803/article_65.…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑨

 「ここのところ毎日のように、NHK・TVドラマ『どこにもない国』を見た感想が届きます。電話で話したり、新聞の切り抜きを同封してくださった方がいます」旧満州・「公主嶺会」の事務局長・土屋洸子さんのレポートです。     高畑 順子さん(旧姓江連)   私もコロ島から引き揚げてきました。元々斎斎哈爾(チチハル)に住んでいて、1945(昭和20)年8月7日の夜、急にリュック一つでトラックの荷台に押し込められて、南へ向いました。終戦後、ソ連兵が押し寄せてきましたが、特別危害も受けず、四平街の官舎のようなところで過ごしました。コロ島から貨物船のような大きな船に乗せられて舞鶴港へ入港。日本の島影が見えたときの大人たちの感激の様子はまさにドラマそのものでした。  コロ島からの引き揚げの裏に、丸山、新甫、武蔵様たち3方のような働きがあったことは、全く知りませんでした。今このドラマを見て、この方たちの行動に涙がとまりません。本当に有難う、ご苦労様でしたと感謝の気持ちでいっぱいです。もっと多くの人に、この事実を知ってほしいです。 【注】私(土屋洸子)への手紙に「1945(昭和20)年8月当時10歳。チチハルから四平に南下し、越冬。46年のコロ島から引き揚げた。父がチチハルで応召(軍属だった)ので、家族はチチハルを早く出ることが出来た、と今は理解できる」とあった。  それで、満洲の軍隊、四平の官舎・・・などが分かる『満洲 1945年』(地久館 1986年)のコピーを送ったところ、ポール・邦明・丸…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑧

 「3月31日(土)午後9時からの『どこにもない国』(後編)が終わって、20分後に電話がかかった。公主嶺小学校の同窓生で、私より2年後輩のOさん。父上は公主嶺農事試験場で、当時は10歳でした」(土屋洸子さんから)  「1945(昭和20)年8月13日夕方、公主嶺駅から貨物列車で南下し、北朝鮮の南市に着き、過酷な越冬を経験した。46年の夏頃、朝鮮半島の西側に出て、小さな船で38度線を越えようとしたが、船を乗り替えなければならなかった。夜、海岸に着く手前で船を降ろされたとき、地元の人がカンテラで足元を照らしてくれて、無事海岸にたどり着いた。船を借りて南下するなどの配慮や多額にかかったはずの資金は、誰が計画し、準備してくれたのだろう。多分ドラマの丸山氏のような人がいたに違いない。その人がいなければ、自分は今ここにいない。感謝する」という内容だった。

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑦

 NHKが去る3月24、31に放映したドラマ「どこにもない国」が満洲からの引揚者はもとり視聴者から多大な感動をもって見られたようだ。読売新聞はこの4月15日に「放送塔から 国が突然亡くなったら?」と題してコラムを載せ、紹介している。    放送塔から 国が突然なくなったら?   敗戦で旧満州(中国東北部)に多くの日本人が置き去りにされた。ソ連軍が侵攻し殺傷、掠奪、連行が多発する。栄養不良や病気も流行し、次々命を落としていく。同胞の帰国を実現させなければと、奔走した民間の男たちがいた。命がけで満洲を脱出し、早期の引き揚げを求めて吉田茂外相やマッカーサー元帥らに直談判する・・・・・・。  そんな戦後秘話をドラマ化した「どこにもない国」NHK3月24、31日)に反響が集まった。家族4人で引き揚げ船第1便で帰国したという三重県の主婦、逵(つじ)美穂子さん(76)は「彼らの大変な勇気と苦労の上に今の自分がある」ことを知った。ただただ感謝の気持ちでいっぱい」とつうる。  福島県の無職、遠藤雍子さん(82)は「私も父が連行され、残った家族で1年以上逃げ回り、佐世保港に上陸できた。やっぱりお国のお蔭だなと子ども心に思っていたが、実態がよくわかった」という。引き揚げ者自身にも、帰国の背景に市井の人の奮闘があったことは意外だったようだ。  東京都の主婦、大西国子さん(73)は、「終戦直後は想像を絶する混乱状態だった。残酷な場面も多かったが、それが戦争というもの」と痛感したという。戦争を体験しない世代…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑥

 「NHK・TV特集ドラマ『どこにもない国』の放送日時を旧満州・公主嶺の同窓生150人ほどに知らせたところ、ドラマを見た感想が続々届いていて、嬉しい毎日を過ごしています」と、土屋洸子さんからのお便りです。    丸山氏たち3人のおかげ   敗戦後、棄民されていた満洲の日本人の引き揚げを、実現に導いて下さった丸山氏たち3人の方々に、心より御礼申し上げます、数々の困難、ご苦労の中、満洲を脱出し、帰国後はマッカーサー元帥に直訴し、政府を動かし、私たちを祖国に引き揚げさせる道筋を立てて下さり、誠に有難うございました。渡満40年の祖父は、中央軍と八路軍の内戦のドサクサの中、1946(昭和21)年3月28日に銃殺され、満洲の土となりました。父は昭和20年7月26日に応召され、シベリア抑留のあと復員。兄妹8人、いとこ3人、祖母、叔母たちの家族の女、子ども合計18人が、だれ一人欠けることなく、引き揚げることができたのは、丸山氏たち3人のおかげと、感謝申し上げます。(木村晃子) 【注】木村晃子さん(旧姓 高取) 82歳  公主嶺生まれ。1946(昭和21)年7月22日に公主嶺を出発し、24日錦州に着く。31日コロ島から乗船し、博多港に入港、8月7日に上陸。9日に本籍地の岡山に到着する。 【追記】この頁を見て木村晃子さんから土屋洸子さんにメール。  「『満洲っ子 平和をうたう』で私の原稿や則次美弥子さんの分をみました。私の文章を印刷して、娘たちにに読んでもらいました。パソコンで続きを見るよ…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑤

 「NHK・TVドラマ『どこにもない国』の放送日時を旧満州・公主嶺の同窓生150人ほどに知らせたところ、ドラマを見た感想が続々届いていて、嬉しい毎日を過ごしています」と、土屋洸子さん(公主嶺会・事務局長)からのお便りです。      よく敢行されたと思う    私は1946(昭和21)年1月から10月にかけて、母方の祖父母や叔母たち親族8人を満洲・安東(現在 丹東)で失いました。終戦の混乱の中、人々の窮状を見て、民間人の丸山氏らが、よく敢行されたと思います。よほど知力、能力、胆力のあった方々なのでしょう。国の指導者は、方針を誤って、他国や自国民に迷惑をかけないように、苦しみをもたらさないように、願うばかりです。(本多啓一) 【注】本多啓一さん 祖父は、1940(昭和15)年から20年春まで公主嶺農事試験場長を勤められた満田隆一氏。1945(昭和20)年8月13日、公主嶺から南下して北朝鮮の南市着。安東に戻り、4人が病死、安東から船で脱出するが、沈没して4人が命を落とす。

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NHKドラマ 「どこにもない国」を見て ③

 冒頭の引き揚げ船甲板の映像に、72年前のことが鮮明によみがえった。何んともいえない不思議な感動を覚えた。博多であろうか、埠頭では白衣の看護婦(当時)がやけに目につく。国も医師たちも違法を承知でやっていた堕胎行為に関したものかと、勝手に想いを巡らした。  引き揚げに尽力した三人の日本男子                   岡山  則次美弥子                                                     満洲の引き揚げが遅れたのは無理もない。満洲は国家として国際連盟(当時)に認められていなかった。関東軍の暴走した傲慢(ごうまん)さと、民間人の心ない横柄さに、現地人に疎(うと)まれていたお返しが、残された在満一般人に背負わされた。  軍関係、満鉄関係者は八月九日(ソ連参戦日)には、すでに南下を始めた、満洲にいた日本の政府高官は早々に遁走(とんそう)。一般市民は本国日本から棄民扱いを受け、抵抗の術(すべ)もなかった。特に満蒙開拓団の悲劇は多くの手記に残されている。  一言(ひとこと)では言えないほどの無残で、悔しく、悲しいことを、戦勝国にやられている。その在満邦人の心をしっかり汲み取ってほしい。原作者は事実を伝え、併せてそれに係わる人の心情を訴えたかったに違いない。  私はある時点で、あの人たちの存在を少し知ってはいたが、今回はその奔走の全てを十分に知ることができた。15…

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NHKドラマ 「どこにもない国」にまつわる話 ②

 「満州 奇跡の脱出」(ポール・邦明・丸山著)がNHKで映画化、放映されることを知った、満州・公主嶺会事務局長の土屋洸子さん。すぐさま著者丸山氏にメッセージを送りました。丸山氏はアメリカ。コロラド州に在住。  ポール 邦明 丸山様    平成30年3月14日     暑さ寒さも彼岸までと申します。東京の桜の開花予想は3月22日と発表されました。その後お元気にお過ごしのことと存じます。  2014(平成26)年8月にお手紙をいただいたまま、ご無沙汰を重ねておりましたことをお許しをくださいませ。  この年の10月20日に開かれた「公主嶺会」で、御著『満洲 奇跡の脱出』を参加者に紹介し、公主嶺小学校同窓会が編集・発行した『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(略称:記念誌:学校創立80周年記念に発行したため)の第10章 P488に「日本人がコロ島から引き揚げられた事情」を記述したことや、貴方様からお手紙をいただいたことなどを報告しました。   この日の公主嶺会の参加者40名は、1945(昭和20)年8月当時、すでに日本にいたもの(戦役についていたので)、朝鮮半島の38度線の南側にいたもの、北側にいたもの、公主嶺に残っていたものなど様々で、「1946年7月21・22日に公主嶺から約5000人が出発し、コロ島から船に乗って日本に到着した」ものは10名ほどでした。  しかし、ほとんどの人が記念誌を持っているので、「帰宅したら読んでみる」などの感想をいただきました。また、同年11月24日の…

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「あのころ」 伊藤 聖さん語る 満洲・公主嶺⑩

 このたびの訪中(1983年)では、できたらロシア人墓地にも行ってみたいという希望がかなえられた。ハルビンの中央寺院や墓地もそうだったが、公主嶺のロシア人墓地は、文化大革命のときに破壊しつくされ、その跡には農業科学院の生物物理研究室の建物が建っていた。ただ、その敷地の塀は昔のロシヤ人墓地の塀があったところに再建されたものと思われ、その塀を回ったところに、射撃場の射梁がそのままの形で残っていた。  「武士道」という変わった名前の小暗い道を行くと、その先に旧独立守備隊の官舎があり、いくつかの連隊があった。私たちのころには敷島台の連隊のほうが規模は大きかったが、それは昭和9(1934)年以降のことで、それまでは公主嶺には独立守備隊1個大隊と駐剳師団の騎兵2個中隊が置かれていただけだった。だからこのあたりは軍都公主嶺の発祥の地であった。  その連隊の先は明るい草原になっていて、そこに射撃場があった。昭和2年4月現在の公主嶺付属地平面図には「射的場要地」と書いてあり、600mの距離がとってある。600mといえば、鮫島通りの端から端まであるが、父によるとそれが正規の射撃場の広さだったとのこと。ただし、一般の射撃訓練は300mで行われたという。  子供のころの私たちは、よくそこえ弾拾いに行った。小山になった射垜の斜面からは臼のような形をした空砲の弾が出たが、ときには先のとがった小銃の実弾が見つかることもあった。先が丸くなったピストルの弾や薬莢はめったになく、子ども達にとっては宝物だった。…

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NHKドラマ 「どこにもない国」にまつわる話 ①

 「つい数日前の10日に、友人からの電話が鳴った。原作『満洲 奇跡の脱出』(ポール邦明・丸山著)が、『どこにもない国』としてNHKで放映される、という内容だった」,と、満洲・公主嶺会の事務局長・土屋洸子さんからの手紙。彼女は「満洲からの引き揚げ秘話がドラマになる。多くの人に知ってほしいとの願いが実現する、と思うと心から嬉しさがこみ上げてくる」と続ける。       NHK・TVドラマ「どこにもない国」  と き:3月24日(土) 午後9:00~     前編 「命をかけた満洲からの脱出」     :3月31日(土) 午後9:00~     後編 「引き揚げは実現するか               150万同胞祖国へ」  ■原 作:「満洲 奇跡の脱出」 ポール・邦明・丸山著、高作自子訳、柏艪舎出版、2011(平成23)年12月31日発行    「満洲 奇跡の脱出」と私(公主嶺)   私は、1987(昭和62)年11月に発行した『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(公主嶺小学校創立80周年を記念して編集発行したため、略称を『記念誌』という)の第9章と第10章を執筆したとき、第10章P487~488に「10-10 公主嶺からの引き揚げ」として、、引き揚げの事情を書いた。  1946(昭和21)年春ごろ、大連はソ連軍、共産軍の管轄下にあって、日本人の引き揚げが難しく、コロ島から引き揚げることになったが、「コロ島」は誰も知らない港だった。丸山邦雄さんたちが東京の…

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「あのころ」 伊藤 聖さん語る 満州・公主嶺⑨

 夜汽車というと、なによりもまず、鐘のひびきを思いうかべるのは、大陸育ちの共通の体験だろう。渺茫とした広野の果てに、遠く尾をひいて夜汽車の鐘が消えていくと、わけもなく、郷愁に誘われたものだった。       夜 汽 車 の 鐘 かねを鳴らして夜汽車が通る からんからんと、鳴らして通る かねはかれ山、かれ野にひびく 空の遠くの 月にもひびく 鳴って、鳴らして ずんずん通る       (満洲唱歌5年 「夜汽車」)  私たちが子どものころに聞いた汽車の鐘は、実はアメリカ大陸の横断鉄道からもたらされた。  日露戦争の後、満鉄が狭軌のゲージを再び広軌の1435mmに直したとき、アメリカやイギリス、ドイツから多くの機関車を輸入した。大正6(1917)年末に満鉄が所有していた機関車は270輌で、アメリカ210、イギリス47、ドイツ4、ほかに沙河口工場製9となっている。(「南満洲鉄道十年史」P228~P230)  これでもわかるように、あの土地のきびしい冬の気候に最も適していたのが、米大陸の機関車であった。お手本としたのも、アメリカ・ロコモティブ社の1D1テンダ(炭水車が一体となった機関車)であり、これがのちの「ミカイ」になった。鐘も、ヘッドライトも、何にもかもそっくり真似て、つけられたものであろう。  誠文堂新光社の「おもいでの南満洲鉄道」(1970年刊)には、たくさんの「ミカイ」「ミカロ」型機関車がのっている。これでみると、鐘がついていている位置もさまざまなのがわかる。…

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満洲・公主嶺小37回生 2018年同期会 

 今年も花の季節を迎える時期となりました。お元気にお過ごしのことと存じます。さて、下記のように「37回生の39回目の同期会」を開きますので、ご多用とは存じますが、皆さまのご参加をお待ち申し上げます。 *日 時:2018年5月19日(土)       12:00~15:00 *会 場:東京 上野ターミナルホテル       地階「水車」(椅子席です) *会 費:3000円(予定)          幹事:栗林重夫、土屋洸子 ■3月24日(土)と31日(土)午後9時からNHK・TVをご覧下さい。満洲にいた150万人の日本人の引き揚げを実現させた、3人の日本人を描いたドラマが放映されます。 【注】37回生は昭和7~8年生まれ。

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「あのころ」 伊藤 聖さん語る 満洲・公主嶺⑧

 山本勝郎さんの「中国再訪」の8ミリでは、公主嶺駅にさしかかった列車が、昔のままの古びた泰平橋をくぐるところが映っていて、なつかしかった。ただ、泰平橋から駅前の広場に降りるなだらかなスロープは、すっかり生長した木のかげになっています、よく気をつけてみないと分からないくらいだった。「変わらないでいて、やはり30年の歳月は、それなりのことがあるのだな」というのが、そのときの感じだった。  あのころ、このスロープのたもとには、いつも物売りのニイヤがたたずんでいた。季節によって、売るものもさまざまだったが、着ぶくれた防寒服の面袖に手をつつこんで、客を待っていた「タンホーロー」売りは、最も印象深い。赤いサンザシやナツメ実を五つ六つ串にして、それに飴をかけ、高粱のつとに差して売っていた。ガラス細工のように赤い飴がきらきらと光って、ひどく魅力的にみえた。だが、衛生的でないという理由で、一度も買ってもらえず、心残りだった。サンザシの甘ずっぱい味を想像しながら、いつも横目でにらんで通りすぎたものである。このタンホーロー売りは、10月ごろから春の蒙古風が吹きはじめるころまで、どんな寒い日でも、同じ場所を動かなった。  公主嶺の日本人町は鉄道を隔てて、北側の官公署とその官者、南側の商店街とに別れていた。したがって、南の人たちにとって、この橋は何よりもまず通学、通勤の路でもあった。しかし、北側の私たちにとっては、橋は何か楽しみな世界への通路であった。  徳永先生も「回想の満洲公主嶺」で「毎月1回の給料日…

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満洲・公主嶺からの引揚げ体験語る 土屋洸子

 来月2月14日から25日の間、新宿で「マンガでみる抑留。引揚げ」の特別展示会が開かれます。18日(日)には「特別イベント」として土屋洸子さんが満洲からの引き揚げ体験を語ることになりました。      「特別イベント」 語り部お話し会    平和祈念展示会で活動している語り部が自身の戦争体験について語ります。  ◆;土屋洸子さん(満洲・公主嶺からの引揚体験者)  ◆:2月18日(日)14:00~(約60分)  ◆:新宿区立新宿歴史博物館 2F講堂   <主催> 平和祈念展示資料館     <ミニプロフール>  昭和8(1933)年 鳥取県生まれ。昭和11年家族で満洲・公主嶺に移住。昭和20年8月ソ連参戦、集団避難生活を送る。昭和21年7月、妹と二人でコロ島から博多へ。

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年賀状 満州・公主嶺がよみがえる その3

 「賀春 本年もよろしくお願い申し上げます 平成30年 元旦」 岩手県二戸在住の(公主嶺小学校の同期生)田口恵敏君からの絵つき年賀です。同君は子どものころより「絵」をよくしていたことで知られていました。  添え書きに「昨年は東京新聞をいただき、永井さんの平和を希求する姿を二戸の政治家に紹介することが出来、良かったと思っています」と書いてあります。  彼は8月16日付東京新聞一面に僕の「ブログ」の紹介記事が掲載されていることを知って一早く、同新聞社に電話で直接申し込み、地元政界の方たちに配布したといいます。ありがたいことです。 【注】  左絵は「初秋の立待岬」函館(油彩)。北の国の優雅な風情が漂ってきます。

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年賀状 満洲・公主嶺がよみがえる その2

 「明けまして おめでとうございます。 平成30(2018)年元旦 今年もよろしくお願いします。」 「公主嶺会」事務局長の土屋洸子さんからの年賀状です。  昨年は「平和祈念展示資料館」(東京・新宿住友ビル)で、満洲(現中国東北部)公主嶺から引き揚げた体験を、これまで6回お話しいたしました。戦争体験者が零になる日に備えて、資料館では体験談の映像化をいそぎ、資料館のホームページで[ライブラリー、語り部のお話、引揚体験者]の順に検索すると、私の映像が流れます。私にとっては終活の一つとなりました。今年もより健康で過ごしたいと願っております。 【写真説明】昨年の「公主嶺会」で司会をつとめる土屋洸子さん。右は長崎の坪井泰助さん。 【土屋洸子】  http://38300902.at.webry.info/theme/86fb75d94c.html

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年賀状 満州・公主嶺がよみがえる その1

 「明けましておめでとうございます 新しい年が素晴らしい年でありますよう 心からお祈り申し上げます 2018年 元旦」 遠く、長崎県上五島の坪井哲也、久美ご夫妻から新春早々年賀状をいただいた。  お会いできて良かったです。お体に気をつけて、ブログの更新を続けてください。楽しみにしております。またお会いしたいです。哲哉  お世話になりました! 私もお会いしたいです。久美 【追記】旧満洲・公主嶺に祖父のルーツをたずねて、昨年1月から心情あふれるメールで交流を続けてきた孫の坪井哲哉ご夫妻。昨年10月東京上野で開かれた「公主嶺会」にお招きしたところ父の泰助さんとともに哲哉さん(久美さんは第2子誕生のため来られがなかった)が来京しました。。  昭和20年7月3日、公主嶺に生まれた泰助さんの切々としたお話が参加した会員の涙をさそいました。 【イラストと写真説明】上 長崎県上五島の目を見張るような海。子犬が見上げています。下 昨年10月27日、上野ターミナルホテルで開かれた「公主嶺会」。挨拶にたった坪井泰助、哲哉親子。左端は司会で事務局長の土屋洸子さん。 【坪井久美】  http://38300902.at.webry.info/theme/39a2308e6a.html

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歴史にみる12月 人々の生と死

 今年も最期の月、12月。古くは師走(師も走る気ぜわしい月)。英語はディセンバー。花は何でしょう。決して忘れられないのは12月8日。多くの若者を死に追いやった太平洋戦争。さて公主嶺小同期生の田口恵敏提供のカレンダーにそって古今東西の「生と死「を追ってみよう。 ■7日 与謝野晶子(1878~1942) この日生まれた歌人。夫、鉄幹とともに「明星」の中心となり、肉体と感情の解放をうたいあげた。代表作『みだれ髪』。また」「君しにたまふことなかれ」は反戦詩として有名。 ■13日 ハイネ(1797~1856) この日ドイツのデュセルドルフに生まれた。甘美な恋愛詩にすぐれると同時に、また人類の進歩と祖国愛にもえる革命的詩人だった。 ■16日 サンタヤナ(1863~1952) この日生まれたアメリカの詩人的哲学者。文学者としても有名だった。神秘主義的な清教徒的良心によって国民的人気をもつ。 ■19日 蘇東坡(1036~1101) この日四川省眉山に生まれる。宗代の文豪。あけっぱなしの放胆さ。しかも志を曲げぬ強靭さがある。作品の幅は広く、かつ爽快。 ■24日 与謝蕪村(1716~1783) この日京都に死んだ天明期の俳壇の代表者。摂津毛馬村に生まれ、各地を放浪した。文人画家としても有名。『蕪村七部集』がある。 ■25日 キリスト(B.C4頃ーA.D29頃)この日ユダヤのベツレヘムに生まれる。30歳頃から福音を説き、3年後十字架にかかったが、復活したとされる。キリスト教の始祖。 ■26…

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戦後72年 旧満州「公主嶺会」 まとめ

 さる10月27日(金)、上野ターミナルホテルで開かれた旧満州の「公主嶺会」。戦後72年というのに40名の参加者が全国から集い、新参加者も5名が加わるなど大盛会でした。本ブログではこれまで11回に渡って発信してきましたが、ここで「まとめ」のページを組みました。 ◆ページ数=12 ◆写真数=37枚 ◆総アクセス数=894 ◆ナイス印=71 ・11・29  18  5 戦後72年 「公主嶺会」 まとめ ・11・16  58  3 戦後72年 「公主嶺会」に行った 終 ・11・15  60  4          〃           ⑦ ・11・ 8 114  7          〃           ⑥  ・11・ 7  81  6          〃           ⑤ ・11・ 5  88  8          〃           ④ ・11・ 2 100 13          〃           ③ ・10・30  95 10          〃           ② ・10・28 126 12          〃           ① ・10・19  69  5 いよいよ 2017年度 公主嶺会」 ・10・14  32  1 「同窓会 県人会」 「公主嶺会」 ・ 9・ 4  53  2 2017年度 「公主嶺会」のご案内  【注】数字は左から・日付・アクセス数・ナイス印・題名。(2017年11月30日) …

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戦後72年 「公主嶺会」に行った 終

 落葉が風に舞う頃となりましたが、その後お変わりなくお過ごしのこととお慶び申しあげます。先日の、2017年度公主嶺会(10月27日、上野ターミナルホテル「水車」)に、ご参加くださいまして、ありがとうございます。(土屋洸子さんからのお便り)  北は宮城県、南は長崎県から40名が集まって、さまざまな人生を語り合いました。  祝電をいただいた山田 昭さん(32回生)は、『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(略称:『記念誌』、写真集『満洲公主嶺 その過去と現在』、ビデオ『満洲公主嶺 100年の変貌』の三部作の学年委員として、公主嶺小学校同窓会でお世話になった方で、公主嶺会にも参加されたことがありました。    当日の係は次の方々です。(敬称略)司会進行は宮崎 迪(39回生)、受付は渡辺令子(39回生)、星 憲子(40回生)、会場準備は狩野満子(40回生)、遠藤教子(38回生)、写真は風野基子(46回生)。ご協力に感謝申し上げます。事務連絡及び会計は、土屋が担当しております。  公主嶺会の懇親会会場と宿泊については、これまでと同様に、故 井本稔さん(39回生)のご遺志を受け継ぎ、井本理恵 社長(長女)、知子 稔氏夫人(女将)、美穂 副社長(次女)、染谷紘一 水車支配人、田村 優 公主嶺会担当をはじめ、同ホテルの皆様のご配慮をいただきましたことに、お礼申し上げます。(敬称略で失礼いたします)  来年も、皆様にお目にかかれることを、楽しみにしております。年末年始を、ご自愛の上、お過…

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戦後72年 「公主嶺会」に行った ⑦

 10月27日に開かれた「公主嶺会」。参加者40人全員の写真が事務局(土屋洸子事務局長)から送られてきました。全員を6ブロックに分けています。なお、かっこ内の数字は、公主嶺小学校卒業年度期。(敬称は略) ●左から 田切恒夫(31回生) 坪井泰助(長崎県から 初参加) 細谷和子(31) 坪井哲哉(長崎県から 初参加) 則次美弥子(35) 中島守敏(42) 永井至正(37) 小林千栄子(37) 大石 茜(「満洲の記憶」研究会) 栗林重夫(37) 土屋洸子(37) 稲垣玲子(37) 湯川真樹木江(「満州の記憶」研究会) 長浜自明(37) 大塚文昭(37) 村越愛策(36) 戸井義衛(33) 田中 勇(33) 山崎重子(38) 遠藤教子(38) 金井マサ子(38) 本道博良(38) 岩間千恵子(38) 石倉 久(38) 大塚和徳(39) 長沢寿美枝(39) 小原 明(39) 渡辺令子(39) 天笠幸雄(39) 宮崎 迪(39) 笹川冨美子(40) 狩野満子(40) 星 憲子(40) 荒川明夫(40) 浅野兼迪(40) 長沢寿美枝(39) 天満秀寿(41) 荒川明夫(40) 木下吉子(41) 狩野満子(40) 小野美恵子(42) 笹川冨美子(40) 星 憲子(40) 安倍孝雄(42) 風野甚子(45)

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「公主嶺を語る」 新宿で土屋洸子さん

 戦後72年、戦争体験者に話を聞く機会が年々減少している中、新宿の平和祈念資料館は、先の大戦が残した悲劇を後世に伝えるための語り部「お話し会」を開催しています。  「戦争を生きぬいた18人の語り部展」・・・その中の一人として、旧満洲「公主嶺」から引き揚げた体験を土屋洸子さんが語ります。 ◆と き:2017年12月3日(日)       14:00~ 約60分 ◆ところ;新宿 平和祈念資料館       新宿住友ビル8階       ☎03-5323-8709 【土屋洸子関連ブログ】500ページを超えました。 http://38300902.at.webry.info/theme/86fb75d94c.html

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戦後72年 「公主嶺会」に行った ⑥

 27日(金)、上野ターミナルホテルで40人が集って開かれた旧満州の「公主嶺会」。諸事情により参加出来なかった山田 昭さん(32回生)から祝電が、また高知県にお住まいのAさん(メールで交流のある)からはお手紙が、土屋洸子事務局長宛てに寄せられました。   土屋洸子さま       2017/10/22  すっかりご無沙汰しています。台風は大丈夫でしたか?  今年も公主嶺会のお知らせを送っていただき、ありがとうございました。残念ながら今年も参加は難しく歯痒い思いをしていたところに、参加者用の資料を送っていただき、おかげで参加している気分を味わえています。  今でも永井さんのブログを訪れ、皆様の活動の様子などを垣間見てとても感心しています。そして、ブログが東京新聞1面に掲載されたという事、感動しました。もちろん内容にもですが、それとともに公主嶺会のことを広く知ってもらえる、そして私のように「知りたい」と思っている人にとっても、とてもいい記事になったと思います。  長崎の坪井さんの事はブログで読んだ時から、数年前の自分ととても重なりました。私の時のように、「必ず土屋さんたちが調べてくれるはず」と、ブログを読みながら思っていたら見事に色々分かったようで、改めて公主嶺会の繋がりの凄さや、土屋さんの資料の貴重さを思い知りました!  今回、坪井さん親子が会に参加されるということ、本当におめでとうございます! 私は坪井さん目線ですが、坪井さんが皆さんに実際に会い、さらに感動するであろう…

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戦後72年 「公主嶺会」に行った ⑤

 10月27日(金)、上野で旧満洲「公主嶺会」が開かれた。特筆したいのは参加者40人のうち二人の若い女性の姿がみられたこと。大石茜さんと湯川真樹江さん。「満洲の記憶」研究会の会員で、取材に来られたという。彼女たちはその夜、早くも「会」のブログに、この日の模様をアップした。 ▼大石茜さん(左)と湯川真樹江さん  本日、上野にて公主嶺会懇親会が開催され、出席させていただきました。参加者は40名。昭和元年生まれの方から、昭和20年7月生まれの方(生後100日で引き揚げ)まで、様々なかたちで公主嶺にルーツを持つ方々の集いでした。  歴史の長い公主嶺会ですが、永井さまのブログ「満洲っ子 平和をうたう」や、今年8月に永井さまが東京新聞で紹介されたことをきっかけに公主嶺会を知り、はじめて出席された方もいらっしゃいました。  会場である上野ターミナルホテルは創設者の故井本稔さまが公主嶺ゆかりの方です。皆さま井本さまを偲ばれながら、思い出話に花を咲かせていました。  公主嶺での経験を丁寧にご説明いただいたり、ご著書や資料をいただいたり、また、今後写真を提供してくださると声をかけてくださったりと、たくさんの方にご協力いただきました。みなさまのご好意に改めて感謝申し上げます。(作成 2017年10月27日 文責:大石茜) 【注】「満洲の記憶」研究会   「満洲の記憶」研究会は2013年7月30日に大学院生を中心に立ち上げた研究会です。  私たちは主に、満洲に関係する様々な「記憶」を収集し…

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戦後72年 「公主嶺会」に行った ④

 ブログなどネットで発信すると、送信者と読み手の間で見知らぬ人同士の新しく、思わぬ交流が生まれる。それがやがて出会いに発展することも。これはその典型、27日の「公主嶺会」に遠い長崎から坪井泰助、哲哉父子が訪れた。この1月、哲哉さんの夫人(久美さん)のメールから始まった涙と歓喜、ドラマティックな物語。その経緯をたどってみる。      公主嶺の情報を知りたいです    初めまして。私はKT(坪井久美)と申します。私の夫(哲哉)の祖父が公主嶺にいたのですが、戦後消息が分からないままと聞きまして、ずっとモヤモヤしています。祖父の情報の中には長崎の師範学校を出て教員として公主嶺にいたそうですが、どこの学校なのかもよく分からない状態です。遺品の中には中国人の名前がたくさん書かれており日本人学校以外に学校ががあったのでしょうか?  また、夫の父(泰助)は公主嶺の病院で生まれ、生後1ヵ月で敗戦を迎え、祖母と二人で引き揚げてきたそうです。私たち夫婦にも息子が産まれ、祖父からの命のリレーに感謝するとともに、一人息子や夫のルーツであり満洲の地に行き、祖父を感じたく思います。どうか、どなたかお力をお貸しいただけないでしょうか?もし良ければ下記に連絡をください。よろしくお願いします。 2017年1月20日 **@***/JP   すぐさま返信して、以後、メールで交流すること8回に及んだ。 http://38300902.at.webry.info/201702/article_17.html …

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