「引揚船の幼児 私が重なって」 読者の広場 

 NHKドラマ「どこにもない国」「旧満州(中国東北部)から生きのびて帰国できたいとこたちと、「見ようね」とよびかけあってみました。(しんぶん「赤旗」10月1日付<読者の広場>)    続・私の戦争体験       大坂・八尾市 野田雪江(78歳)    引き揚げ船から降りてくる幼児に、私が重なりました。  引き揚げの途中で生まれ、赤ん坊のまま乳の出ない母の胸の中で死んだ弟。声もなく泣きながら、いつも口元を指でちいさくたたき食べものを乞いながら病死した2歳のいとこ。  深い森中を歩き続けるかたわらの草むらに置かれていた赤ちゃんの運命を、6歳の私は知っていました。今、手を引いて歩いてくれる母の手が、外されることもあるのだとおそれました。  頭、腹、背とDDTをまかれ入国した私たちに、地元の人がミカンをひとつづつ下さいました。私は皮ごとむさぼり食べました。母は自分のを皮をむいて中身を私に与え、母は皮だけを食べました。このようなことは、二度とあってはならないと強く思います。 【注】3月にNHKで放映されたどラマ「どこにもない国」。引揚者にとっては強く印象に残ったものです。あれから半年たってもあのときの悲しい体験は思いだされ続きます。 【どこにもない国】 http://38300902.at.webry.info/theme/a2f3771482.html

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NHKドラマ「どこにもない国」にまつわる話 ⑤

 2014年に公主嶺小学校同窓会事務局長・土屋洸子さんに届いたアメリカ・コロラド州のポール丸山さんからの書簡です。周知のように、今では映画化もされ好評を博している丸山氏著の「満洲 奇跡の脱出」をめぐって交された土屋・丸山両氏の往復書簡の始終を書き記しました。    公主嶺小学校同窓会事務局                     土屋洸子様 前略  突然のお便り失礼致しますが、小生はアメリカ・コロラド州在住のポール丸山です。実は、著書「満洲 奇跡の脱出」出版社柏艪舎社長の奥様、山本基子様が先日コロラド州を訪問され、先週昼食を一緒にする機会がありました。食事中に去年土屋様が読売新聞文化部に送付されたお手紙を日本から持参され渡して下さいました。  一年近くも前に土屋様が送付されたお手紙なので、覚えていらっしゃるか分かりませんが、小生はお手紙をつい数日前に初めて読ませて頂きました。返事が全く遅くなりましたが、小生の感謝をお伝えしたい旨返答させて頂きます。  まず最初に、著書を読んで頂き、ありがとうございました。引揚者でいらっしゃる土屋様のような方々に著書を読んで頂くこと程著者である自分にうれしいことはありません。また、土屋様の伯父様が自分の父が勤めていた鞍山で働いていたことに小生は非常に興味があります。更に1987年に公主嶺小学校同窓会の皆様が記念誌に纏められ、土屋様が父、新甫八郎、武蔵正道三氏の活躍を同誌に載せられたことに小生は感動、感謝致しております。三氏の活躍は未だに日…

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NHKドラマ「どこにもない国」にまつわる話 ④

 読売新聞(2013年7月11日、8月28付け)の「ポール丸山氏の記事」(「満洲 奇跡の脱出」)を見た満洲・公主嶺会の土屋洸子さん。感動のあまり、すぐさま同記事の執筆者である文化部・辻本芳孝記者を介して次のような感謝の手紙を丸山氏におくりました。   ポール丸山様    貴方の父上、丸山邦雄様の、満洲i引き揚げ者に対するご尽力は、私ども公主嶺小学校同窓会が1987(昭和62)年11月18日に編集発行した、学校創立80周年記念誌『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(自費出版:朝日新聞東京本社出版サービス)の488ページに、感謝の意を込めて『なぜコロ島を開いたか』から引用、記載させていただいています。  父上様、新甫八郎様、武蔵正道様のお名前は忘れることはありません。ありがとうございました。  私は、1933(昭和8)年に鳥取で生まれ、36年に公主嶺に父母と移りました。公主嶺小学校(当時は国民学校といいました)を45年3月に卒業し、新京(現在の長春)の女学校に進学、8月に終戦、46年夏、6歳の妹と2人で札幌に引き揚げました。父(池田 実)、母(雪江)と2人の妹(当時5歳、3歳)たち4人は47年冬に引き揚げてきました。  母の弟(小谷祥二)が鞍山製鋼所に勤務していたこともあり、丸山様の父上が鞍山と伺って、親近感を感じておりました。  1986(昭和61)年から公主嶺小学校同窓会の編集委員となり、『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』の発行に係わり、とくに大東亜戦争下(太平洋戦争=昭和16…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑮

 3月にNHK・TVドラマ「どこにもない国」の放映を知らせるハガキ150枚を出して以来、その反響がまだ続いている。日頃は、満洲の話など誰も聞いてくれない、満洲の話をしたくないと口を閉ざしている人から、昨日手紙が届いた。(土屋洸子さんから)  溝口庚子(みちこ)さんは、公主嶺小学校41回生。福岡市在住。新聞の切抜きが同封されていたので、電話を掛けたところ、約1時間も話し込み、手紙の内容とは大違いだった。   溝口さんの手紙、(  )内は電話    お手紙、ありがとうございました。(土屋さんからの葉書の)お知らせがなければ、絶対に(TVのドラマを)見ていません。私は、満州の話が嫌いで、本も読みませんし、テレビもみません。(ツアーで長春や笵家屯に行った時、笵家屯が『大地の子』で有名なところといわれたけれど、自分は本を読んでいなかったので知らなかった)。  でも、お手紙をいただいたので、(テレビを)見ました。見て、良かったです。今日、こちらの西日本新聞に投書がありましたので、切り取って送ります。「満州」という言葉が目に入ったので、新聞を切り抜きました。(5月11日付) いつもお世話様で有難うございます。 【注】「大地の子」-山崎豊子原作、NHKテレビドラマ

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑭ー3

 父は、1852(昭和27)年10月3日に結核で、臨月の母と子ども6人を残して、46歳で亡くなりました。それから2カ月後、突然日本から船が迎えにくる、と知らされました。母は、父の故郷が樺太だったので、日本に帰っても行くところがありませんでした。(山田典子さん)  どうするか心配していましたが、私たち子どもは「皆で乞食をしても帰りたい」と言い張り、28年の春に、父の墓の土まんじゅうを開けて、髪の毛と爪を持ち帰りました。  1953(昭和28)年5月に伊通を出発し、吉林、奉天(現瀋陽)などに寄り、秦皇島に到着しました。なかなか船が来ないので、私が(19歳になっていた)臨時の先生になって、小さい人を教えました。7月に秦皇島から高砂丸で舞鶴港に引き揚げ、東京の引揚者住宅に入れていただきました。  (中略)私たちの前にご苦労された方たちが、どのように帰国されたか知りませんでした。ドラマを拝見して、丸山邦雄さまたちの奮闘を感謝いたします。  生まれたばかりの妹を置いてこなかったことも、一番の幸せだと思っています。職もなく大変でしたが、なんとか頑張りました。弟は亡くなりましたが、5人の妹は健在です。  子どもや孫たちが、いつまでも平和な国に住めることを、心から念じております。

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑭ー2

 (中略)1945(昭和20)年8月15日以後、日本人は「日本人小学校で自決する」と決めましたが、母親たちが「子どもを連れて日本に帰る」と反対して、馬車を雇って、公主嶺へ行きました。残ったのは、副県長、協和会の方、日本人会会長等々7軒ほどで、召集された兵隊さんが帰ったときに備えてでした。(山田典子)  父は、日本人会会長でしたので、伊通に残りました。  8月29日夕方、暴動が起きた時、わが家のみ助かりました。私たち子ども(弟、4人の妹)や祖母、母、いとこのお嫁さんは、中国人の家にかくまってもらいました。翌朝、大広場に連れていかれて、もうだめかと思いましたが、中国人が「大宮先生は、中国人も日本人と同じに病気を見てくれたから、殺さないで」と言って下さいました。それで、生後3日の妹も、警察の牢獄に夕方まで入れられましたが、助かりました。診察室も、住居も、全部掠奪されていました。父は、中国人のボーイさんの家に逃げて、翌日戻ってきました。この日から日本に帰るまで、伊通の日本人は、わが家1軒のみでした。  私は、伊通の中学校、長春の高校(寄宿舎に入寮)に入り、勉強しました。1950(昭和25)年に朝鮮戦争が始まり、高校の同級生も志願して戦争に行きました。高校の1500名ほどの生徒の中で、日本人は一人でしたので、よくクラスに「どの人?」と見にきたものでした。

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑭-1

   「これまで12回開かれた公主嶺小学校同窓会に1,2度出席されただけだった。しかし、毎年年賀状を交換している山田典子さん(38回生、旧姓大宮、84歳)に、NHKのドラマの予定のハガキを出したところ、長文のお手紙が届いた。それは驚くべき内容で、旧満州・吉林省伊通県・伊通街に、たった1軒だけ残った日本人の消息だった」(土屋洸子さんから)。  (前略)お知らせくださいましたので、ドラマの前編、後編とも、無事にTVの前に座ることができました。1945(昭和20)年の敗戦後のことは、ドラマと同じで、孤児になったお子さんや、被害に逢われた女の方など、極寒の中、本当に大変でした。ドラマを拝見し、涙が流れて困りました。  (中略)父の大宮基成(もとなり)は、伊通で開業医をしておりました。私が小学校に入学するころ(昭和15年4月)、伊通に小学校がなかったので、公主嶺の知人(中村さん=37回生中村祐将、40回生樋廻明子の父)を頼り、公主嶺小学校に通学しました。当時伊通に子どもが50人ほどいたので、父が「伊通に小学校を作って」と文部省に嘆願して、2年生のときに伊通に小学校ができました。それで、私は伊通の自宅から通学できるようになりましたが6年生の夏休みが昭和20年8月で、日本人小学校は終わりました。 【注】『満洲 1945年』(地久館)によれば、20年8月当時、伊通街には250人の日本人が在住。8月17日、伊通街の邦人約100余人は長春へ避難。他は満系警察官の護衛により公主嶺へ避難。8月下旬、満系自…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑬

 NHK・TVドラマ「どこにもない国」を見て、押野礼子さん(39回生、旧姓若林)が感想を寄せてくれました。押野さんは、1941(昭和16)年5月(1年生1学期)から44年6月(4年生1学期)まで、公主嶺い住んでいた。公主嶺を離れたのは、父上に沖縄への出動命令が出たためで、病弱の母は、、3人の子どもを抱えて満洲に残れない、との判断だったらしい。 ▼ポール・マルヤマさん(毎日新聞から)       頭が下がる 凄まじい努力    先ず、丸山邦雄氏、新甫八朗氏、武蔵正道氏の3人の、在満残留日本人の救助に対する、全身全霊を打ち込んだ凄まじい努力に、頭が下がりました。日本政府高官は、彼ら3人に「国内は食糧不足、輸送用の船が不足している」との理由で「現地に留まって、これまでの生活を続けるように」と領事館に伝えたと言い、そして「3人の話を聞いて、、初めて現状を知った」との発言に、自分たちは「まぼろしの国」に生活していたのかと激怒しまいた。映像を見ていても、怒り心頭です。  丸山氏たちの働きがなかったら、150万人は難民扱いでしょうか。GHQ、マッカーサー元帥への在満同胞の救助を訴える熱意に、圧倒されました。丸山さんを演じた内野聖陽さんの、英語スピーチの熱演は、素晴らしかったです。  150万人もの日本人を救った丸山邦雄氏ら3人を、私たち日本国民は、誇りに思い、感謝いたします。 【注】なお、押野さんから「毎日新聞の4月27日付夕刊」の切り抜き(一面全面特集)を送っていただきました。以下冒頭部…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑫

 「旧満州・公主嶺小学校第40回生(終戦時4年生)の田中元夫さんからの『どこにもない国』を見ての感想を送ります」。(土屋洸子さんからのレポート)  お知らせ下さったNHK・TVドラマ「どこにもない国」の前編・後編を鑑賞しました。「どこにもない国」は13年余りの短命だった満洲のことでしょうか。小生はその10年余りを満洲にいて、お世話になりました。そんな気持ちが、今なお潜在します。  丸腰で着の身着のままで翻弄された方々、その臥薪嘗胆を、改めて目を凝らして、ドラマを見た次第です。フィナーレの、主人公と其の家族の再会の一こまに、心底安堵しました。(田中元夫) 【注】田中元夫さん:昭和10年生 82歳  私(土屋)の手紙には「TVドラマに誘われて、脳裏に点在する満洲・公主嶺を整理しようと、資料をそろえることにしました。下記に資料の一例を書きます」とのこと。 『世界史のなかの満洲』(宮脇洋子著 PHP新書 2006年) 『流れる星は生きている』(藤原てい著 中公文庫 1949年) 『満洲 奇跡の脱出』(ポール・邦明・丸山著(柏艪舎 2011年) 『運命の人』(山崎豊子著 文春文庫 2011年) ■藤原てい(1918~2016)年、11月15日98歳で没。  長野県茅野市出身。夫は作家の新田次郎氏。1943年に新京の気象台に赴任する夫とともに満洲に渡る。帰国後。満洲からの引き揚げ体験を遺書のつもりで書いたという。  

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑪

 「昭和20年8月当時、旧満州・四平市にいた谷口欣司さん(鳥取出身、昭和3年生まれ、公主嶺農業学校に昭和18年4月入学)から昨日、ドラマを見た感想や四平市の終戦時の様子などが送られてきました」。土屋洸子さんのレポート。 ■谷口欣司さんの感想   NHK・ドラマ「どこにもない国」を見て、苦難の往時を思い起こしました。  日本人引き揚げ実現のために、危険を顧みず、満洲を脱出して帰国し、政府や連合国総司令部(GHQ)に邦人引き揚げを陳情した勇気ある2組がありました。在満日本人会高碕達之助会長が新京(現長春)から特使3人を派遣したAチームと、今回NHKが2回にわたり放映した丸山邦雄・新甫八朗・武蔵正道の3人のBチームです。  今回の放映で、BチームがAチームより先に、引き揚げ実施の回答を得たと思いました。また、日本への引き揚げが実現した事情を知って、3人のヒーローが命をかけた勇気ある行動に、感謝いたします。 【注】谷口さんは「昭和21年7月4日に出発、5日、錦州の元関東軍馬小屋の収容所に入る。15日、コロ島に向かい、16日、アメリカの貨物船リバティVO68号に乗船し、17日朝出航、21日に舞鶴に入港した。24日に上陸、25日に父の故郷鳥取に到着したという。 ■四平市のこと   四平市は昭和20年当時の人口は約9千人で、8月9日ソ連参戦後は1万人以上の避難民が四平に入った。日本への引き揚げは21年7月1~9日にかけて、2万2千人を21大隊に分けて行われ、奥地からの避難者を優先した。前号…

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NHKドラマ「どこにもない国」にまつわる話 ③

 「3月24日(土)と31日(土)にNHK・TVドラマ「どこにもない国」が放送される、と知って、満洲公主嶺関係者や海外からの引き揚げ経験者に、放送の日時を知らせるハガキ150枚を出しました」。(土屋洸子さんからのお手紙)  同時に、このドラマの原作『満洲 奇跡の脱出』(柏艪舎 2011年)の著者ポール・邦明・丸山氏とのいきさつを書き(ブログ3月21日付ー注1)、3月14日にアメリカの丸山氏へ手紙を出した(ブログ3月23日付ー注2)。  ところが4月11日にアメリカから住所不明として、丸山氏あての手紙が戻ってきた。さて、どうしたものかと考えた揚げ句、本の発行元・柏艪舎(はくろしゃ)へ、今までのいきさつを書いて、FAXで丸山氏の住所を問い合わせた。10分もしないうちに、柏艪舎の担当者から「手紙は弊社でアメリカへ送ります」との返事が来た。有り難いと思って電話をかけた。  「よろしくお願いいたします。丸山様とのいきさつは、ブログ『満洲っ子 平和をうたう』を見ていただきたいのですがと言うと、「そのブログは、時々見ています」とのこと。  驚いた! 嬉しかった! 満洲のご縁で繋がっている、と実感した。ドラマを見た方々が、さらに原作のこの本を手にとってくださることを願っている。 【注1】http://38300902.at.webry.info/201803/article_60.html 【注1】http://38300902.at.webry.info/201803/article_65.…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑩

 NHKの特集ドラマ「どこにもない国」(3月24日、31日に放送)。このドラマにクギ付けになりました。終戦直後、満洲に取り残された150万人もの日本人の帰国を命がけで実現させた丸山邦雄という人物を内野聖陽が熱演。「同胞を救えるのは武力ではない。人間の信念だけです」のセリフに感動。私も満洲で生まれた一人として伝えていきたい。(大阪府 森本とく子=「赤旗」日曜版4月22日付)

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑨

 「ここのところ毎日のように、NHK・TVドラマ『どこにもない国』を見た感想が届きます。電話で話したり、新聞の切り抜きを同封してくださった方がいます」旧満州・「公主嶺会」の事務局長・土屋洸子さんのレポートです。     高畑 順子さん(旧姓江連)   私もコロ島から引き揚げてきました。元々斎斎哈爾(チチハル)に住んでいて、1945(昭和20)年8月7日の夜、急にリュック一つでトラックの荷台に押し込められて、南へ向いました。終戦後、ソ連兵が押し寄せてきましたが、特別危害も受けず、四平街の官舎のようなところで過ごしました。コロ島から貨物船のような大きな船に乗せられて舞鶴港へ入港。日本の島影が見えたときの大人たちの感激の様子はまさにドラマそのものでした。  コロ島からの引き揚げの裏に、丸山、新甫、武蔵様たち3方のような働きがあったことは、全く知りませんでした。今このドラマを見て、この方たちの行動に涙がとまりません。本当に有難う、ご苦労様でしたと感謝の気持ちでいっぱいです。もっと多くの人に、この事実を知ってほしいです。 【注】私(土屋洸子)への手紙に「1945(昭和20)年8月当時10歳。チチハルから四平に南下し、越冬。46年のコロ島から引き揚げた。父がチチハルで応召(軍属だった)ので、家族はチチハルを早く出ることが出来た、と今は理解できる」とあった。  それで、満洲の軍隊、四平の官舎・・・などが分かる『満洲 1945年』(地久館 1986年)のコピーを送ったところ、ポール・邦明・丸…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑧

 「3月31日(土)午後9時からの『どこにもない国』(後編)が終わって、20分後に電話がかかった。公主嶺小学校の同窓生で、私より2年後輩のOさん。父上は公主嶺農事試験場で、当時は10歳でした」(土屋洸子さんから)  「1945(昭和20)年8月13日夕方、公主嶺駅から貨物列車で南下し、北朝鮮の南市に着き、過酷な越冬を経験した。46年の夏頃、朝鮮半島の西側に出て、小さな船で38度線を越えようとしたが、船を乗り替えなければならなかった。夜、海岸に着く手前で船を降ろされたとき、地元の人がカンテラで足元を照らしてくれて、無事海岸にたどり着いた。船を借りて南下するなどの配慮や多額にかかったはずの資金は、誰が計画し、準備してくれたのだろう。多分ドラマの丸山氏のような人がいたに違いない。その人がいなければ、自分は今ここにいない。感謝する」という内容だった。

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑦

 NHKが去る3月24、31に放映したドラマ「どこにもない国」が満洲からの引揚者はもとり視聴者から多大な感動をもって見られたようだ。読売新聞はこの4月15日に「放送塔から 国が突然亡くなったら?」と題してコラムを載せ、紹介している。    放送塔から 国が突然なくなったら?   敗戦で旧満州(中国東北部)に多くの日本人が置き去りにされた。ソ連軍が侵攻し殺傷、掠奪、連行が多発する。栄養不良や病気も流行し、次々命を落としていく。同胞の帰国を実現させなければと、奔走した民間の男たちがいた。命がけで満洲を脱出し、早期の引き揚げを求めて吉田茂外相やマッカーサー元帥らに直談判する・・・・・・。  そんな戦後秘話をドラマ化した「どこにもない国」NHK3月24、31日)に反響が集まった。家族4人で引き揚げ船第1便で帰国したという三重県の主婦、逵(つじ)美穂子さん(76)は「彼らの大変な勇気と苦労の上に今の自分がある」ことを知った。ただただ感謝の気持ちでいっぱい」とつうる。  福島県の無職、遠藤雍子さん(82)は「私も父が連行され、残った家族で1年以上逃げ回り、佐世保港に上陸できた。やっぱりお国のお蔭だなと子ども心に思っていたが、実態がよくわかった」という。引き揚げ者自身にも、帰国の背景に市井の人の奮闘があったことは意外だったようだ。  東京都の主婦、大西国子さん(73)は、「終戦直後は想像を絶する混乱状態だった。残酷な場面も多かったが、それが戦争というもの」と痛感したという。戦争を体験しない世代…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑥

 「NHK・TV特集ドラマ『どこにもない国』の放送日時を旧満州・公主嶺の同窓生150人ほどに知らせたところ、ドラマを見た感想が続々届いていて、嬉しい毎日を過ごしています」と、土屋洸子さんからのお便りです。    丸山氏たち3人のおかげ   敗戦後、棄民されていた満洲の日本人の引き揚げを、実現に導いて下さった丸山氏たち3人の方々に、心より御礼申し上げます、数々の困難、ご苦労の中、満洲を脱出し、帰国後はマッカーサー元帥に直訴し、政府を動かし、私たちを祖国に引き揚げさせる道筋を立てて下さり、誠に有難うございました。渡満40年の祖父は、中央軍と八路軍の内戦のドサクサの中、1946(昭和21)年3月28日に銃殺され、満洲の土となりました。父は昭和20年7月26日に応召され、シベリア抑留のあと復員。兄妹8人、いとこ3人、祖母、叔母たちの家族の女、子ども合計18人が、だれ一人欠けることなく、引き揚げることができたのは、丸山氏たち3人のおかげと、感謝申し上げます。(木村晃子) 【注】木村晃子さん(旧姓 高取) 82歳  公主嶺生まれ。1946(昭和21)年7月22日に公主嶺を出発し、24日錦州に着く。31日コロ島から乗船し、博多港に入港、8月7日に上陸。9日に本籍地の岡山に到着する。 【追記】この頁を見て木村晃子さんから土屋洸子さんにメール。  「『満洲っ子 平和をうたう』で私の原稿や則次美弥子さんの分をみました。私の文章を印刷して、娘たちにに読んでもらいました。パソコンで続きを見るよ…

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NHKドラマ「どこにもない国」を見て ⑤

 「NHK・TVドラマ『どこにもない国』の放送日時を旧満州・公主嶺の同窓生150人ほどに知らせたところ、ドラマを見た感想が続々届いていて、嬉しい毎日を過ごしています」と、土屋洸子さん(公主嶺会・事務局長)からのお便りです。      よく敢行されたと思う    私は1946(昭和21)年1月から10月にかけて、母方の祖父母や叔母たち親族8人を満洲・安東(現在 丹東)で失いました。終戦の混乱の中、人々の窮状を見て、民間人の丸山氏らが、よく敢行されたと思います。よほど知力、能力、胆力のあった方々なのでしょう。国の指導者は、方針を誤って、他国や自国民に迷惑をかけないように、苦しみをもたらさないように、願うばかりです。(本多啓一) 【注】本多啓一さん 祖父は、1940(昭和15)年から20年春まで公主嶺農事試験場長を勤められた満田隆一氏。1945(昭和20)年8月13日、公主嶺から南下して北朝鮮の南市着。安東に戻り、4人が病死、安東から船で脱出するが、沈没して4人が命を落とす。

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NHKドラマ 「どこにもない国」を見て ④

 NHKのドラマ「どこにもない国」が放映されて今日はもう2週間あまり、圧倒され、感銘を受けた視聴者の感想文が各紙に寄せられている。以下は東京新聞(4月11日付)のテレビ欄「反響」に載せられたもの。 ◆「どこにもない国」(3月24、31日・NHK) 終戦直後に、ソ連に侵攻された旧満洲にいた日本人たちの悲劇は想像以上。残酷なドラマだった。残された人々の引き揚げに奔走した三人のことは、もっと早く知っておきたかった。配役も素晴らしく、吉田茂を演じた萩原健一さんに圧倒された。(栃木県佐野市、加藤安子 59歳)

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NHKドラマ 「どこにもない国」を見て ③

 冒頭の引き揚げ船甲板の映像に、72年前のことが鮮明によみがえった。何んともいえない不思議な感動を覚えた。博多であろうか、埠頭では白衣の看護婦(当時)がやけに目につく。国も医師たちも違法を承知でやっていた堕胎行為に関したものかと、勝手に想いを巡らした。  引き揚げに尽力した三人の日本男子                   岡山  則次美弥子                                                     満洲の引き揚げが遅れたのは無理もない。満洲は国家として国際連盟(当時)に認められていなかった。関東軍の暴走した傲慢(ごうまん)さと、民間人の心ない横柄さに、現地人に疎(うと)まれていたお返しが、残された在満一般人に背負わされた。  軍関係、満鉄関係者は八月九日(ソ連参戦日)には、すでに南下を始めた、満洲にいた日本の政府高官は早々に遁走(とんそう)。一般市民は本国日本から棄民扱いを受け、抵抗の術(すべ)もなかった。特に満蒙開拓団の悲劇は多くの手記に残されている。  一言(ひとこと)では言えないほどの無残で、悔しく、悲しいことを、戦勝国にやられている。その在満邦人の心をしっかり汲み取ってほしい。原作者は事実を伝え、併せてそれに係わる人の心情を訴えたかったに違いない。  私はある時点で、あの人たちの存在を少し知ってはいたが、今回はその奔走の全てを十分に知ることができた。15…

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NHKのドラマ「どこにもない国」を見て ②

 3月24日、31日にNHKで放送された実話ドラマ「どこにもない国」にとても感動しました。満蒙(まんもう)開拓団の一員として満洲に渡り、敗戦で引き揚げてきた両親と姉、その後生まれた私です。(しんぶん「赤旗」・4月5日付ー「読者の広場」)    戦争を伝える 貴重なドラマ                   東京・立川市 香田玲子(70)  その逃避行がいかに悲惨だったかは断片的に母や姉から聞き、テレビドラマや映画で知っていたつもりです。その引き揚げのために、命懸けで政府に働きかけてたたかった、丸山邦雄さんら3人の方々。そのことを、公表することをあえてしてこなかった丸山さんの矜持(きょうじ)。  戦争がいかに悲惨で愚かなことか、それを体験した人、それを直接聞いた人もどんどん少なくなっている今、とても貴重なドラマだったと思います。  憲法9条をないがしろにしようとしている動きを少しでもストップさせるためにも、このドラマの再放送を心から願うものです。

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NHKのドラマ「どこにもない国」を見て ①

 3月24日、NHK特集ドラマ「どこにもない国」(前編)。73年前の終戦の日を、大連市で迎えた私の原体験をタイムスリップするような画面が続いた。(しんぶん「赤旗」-4月2日付・「みんなのアンテナ」)    戦争しない国へ 改めて決意した            長崎市 黒崎晴生(83)  終戦から祖国への引き揚げまでの出来事。引き揚げ後の困難な生活。これらはすべて、軍国主義「日本」が生み出したもの。旧「満洲(現中国東北部)に残された日本人の帰国に寄与された丸山邦雄さんの活動に感謝しながら、戦争をしない国「日本」をと、決意している。 [注]FBでアップした後篇のお知らせ

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「どこにもない国」(後編) 31日 NHK放送

 ポール・邦明・丸山原作によるテレビドラマ「どこにもない国」。今日(31日)NHKで午後9時からその後編が放映される。「150万同胞の引き揚げ実現に命を賭けて奔走する男たち!満洲で待つ妻と子との再会の日は来るか?」  旧満州(現中国東北部)から帰国した丸山(内野聖陽)らは、占領下の日本政府に権限も力もないことに憤りながら、世論を盛り上げるキャンペーンを繰り広げ、引き揚げの実現を訴える。一方、大連に残された万里子=木村佳乃)とマツ(蓮佛美沙子)は、夫の丸山、新甫(原田泰造)の消息が分からない中、必死に子供たちを守っていた。やがて、丸山のラジオ演説が大連に届き、無事を知った万里子は歓喜する。(東京新聞・3月31日ー「今日の番組から」)

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「どこにもない国」 今日NHKが放送

 引き揚げ船で日本が見えた感激シーンから始まる。敗戦後、旧満州に残された日本人約105万人の引き揚げが1946年にどう実現したのかを描く。脚本・大森寿美男、演出・木村隆文による骨太な実話ドラマだ。(しんぶん「赤旗」3月24日付ー「テレビ・ラジオ欄」)

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NHKドラマ 「どこにもない国」にまつわる話 ②

 「満州 奇跡の脱出」(ポール・邦明・丸山著)がNHKで映画化、放映されることを知った、満州・公主嶺会事務局長の土屋洸子さん。すぐさま著者丸山氏にメッセージを送りました。丸山氏はアメリカ。コロラド州に在住。  ポール 邦明 丸山様    平成30年3月14日     暑さ寒さも彼岸までと申します。東京の桜の開花予想は3月22日と発表されました。その後お元気にお過ごしのことと存じます。  2014(平成26)年8月にお手紙をいただいたまま、ご無沙汰を重ねておりましたことをお許しをくださいませ。  この年の10月20日に開かれた「公主嶺会」で、御著『満洲 奇跡の脱出』を参加者に紹介し、公主嶺小学校同窓会が編集・発行した『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(略称:記念誌:学校創立80周年記念に発行したため)の第10章 P488に「日本人がコロ島から引き揚げられた事情」を記述したことや、貴方様からお手紙をいただいたことなどを報告しました。   この日の公主嶺会の参加者40名は、1945(昭和20)年8月当時、すでに日本にいたもの(戦役についていたので)、朝鮮半島の38度線の南側にいたもの、北側にいたもの、公主嶺に残っていたものなど様々で、「1946年7月21・22日に公主嶺から約5000人が出発し、コロ島から船に乗って日本に到着した」ものは10名ほどでした。  しかし、ほとんどの人が記念誌を持っているので、「帰宅したら読んでみる」などの感想をいただきました。また、同年11月24日の…

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NHKドラマ 「どこにもない国」にまつわる話 ①

 「つい数日前の10日に、友人からの電話が鳴った。原作『満洲 奇跡の脱出』(ポール邦明・丸山著)が、『どこにもない国』としてNHKで放映される、という内容だった」,と、満洲・公主嶺会の事務局長・土屋洸子さんからの手紙。彼女は「満洲からの引き揚げ秘話がドラマになる。多くの人に知ってほしいとの願いが実現する、と思うと心から嬉しさがこみ上げてくる」と続ける。       NHK・TVドラマ「どこにもない国」  と き:3月24日(土) 午後9:00~     前編 「命をかけた満洲からの脱出」     :3月31日(土) 午後9:00~     後編 「引き揚げは実現するか               150万同胞祖国へ」  ■原 作:「満洲 奇跡の脱出」 ポール・邦明・丸山著、高作自子訳、柏艪舎出版、2011(平成23)年12月31日発行    「満洲 奇跡の脱出」と私(公主嶺)   私は、1987(昭和62)年11月に発行した『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』(公主嶺小学校創立80周年を記念して編集発行したため、略称を『記念誌』という)の第9章と第10章を執筆したとき、第10章P487~488に「10-10 公主嶺からの引き揚げ」として、、引き揚げの事情を書いた。  1946(昭和21)年春ごろ、大連はソ連軍、共産軍の管轄下にあって、日本人の引き揚げが難しく、コロ島から引き揚げることになったが、「コロ島」は誰も知らない港だった。丸山邦雄さんたちが東京の…

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「満洲 奇跡の脱出」 NHKがドラマ化

 日本が敗戦後、満州(現中国東北部)からの引き揚げに尽力した3人の男たちがいた事実が初めてドラマ化されました。NHK特集ドラマ「どこにもない国」(24日、31日 後9・0)で私・内野聖陽は主役の丸山邦雄を演じます。(3月10日「赤旗」-休憩室)

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