「深川自由日記 6」 鈴木康吉著 -1-

久しぶりに我が家に顔をだした旧友の鈴木康吉さん。6番目の自著(エッセイ、投稿集)を差し出して、「少し高いが千円」。「・・・・・・」とけげんな顔をすると「売上は全部熊本に送るんだ」という。すぐさま「そう」といって手にした本の「はしがき」がこうだ。     「ばっきや のたより」  <はしがき>  「蕗のとう とりにくると欠いてましたが、まだ雪があってー私がとってきたのを送ります」。3月半ば、90歳を超えた秋田のおばさんからこんな手紙と可愛い「蕗のとう」がどっさり送られてきた。お嫁さんにパソコンを習い、「中房のばあより」と、時々手紙をくれる。蕗味噌や、てんぷらにしてもなかなかの珍味ー郷里の春を堪能した。  秋田の「多喜二祭」に参加予定が、抜けられない用事が入って残念ながら断念したのだった。  この度、文章教室の仲間たちに励まされて書き貯めたエッセイ「深川自由日記 6」を発行することになった。猪狩章先生をはじめみなさんには随分お世話になったが、教室は都合により3月でひとまず終わりになる。それでも書きつづけようと思う。  いま、政権がたくらむ危険な国づくりから目が話せない。自分の出来ることは「なんでも」-。これからも社会と係わっていきたい。  秋田では蕗の薹を「ばっきゃ」という。「ばっきゃのたより」としたのだが・・・ご意見・ご批判を戴ければ幸いである。

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「深川自由日記4」 鈴木康吉著 ②

元江東区議の鈴木康吉氏がこの7月に自費出版された「深川自由日記」の第4弾。さる8月に本ブログに紹介した際、順次掲載する、などといいながら既に一月も過ぎてしまった。その間、わたしの体調不良もあって、のびのびになっていたが、ここに二回目をご紹介する。 ■はしがき  梅雨空けも近 また熱い夏がやってくる  娘のひとりが、はじめて広島の原水禁大会に参加すると張り切っている。わたしは広島に原爆が投下された8月6日が誕生日、4歳だった。間もなく73歳になる。若い時から平和運動にも参加し、広島・長崎には何度も行った。若い者が後を引き継いでくれると何となくほっとする。  そんな夏、文章教室の猪狩先生や仲間たちの声に押されて、この『深川自由日記4 散歩に行こー』を発刊することになった。読者のみなさんのご批判・ご意見を仰ぎたい。    ところで、今朝のしんぶん赤旗に、ノーベル物理学賞(2008年)の益川敏英先生が載った。名古屋生まれの先生は、なんども空襲を体験し、自宅が焼夷弾の直撃を受けたそうだ。戦争をしないことを宣言した憲法9条は簡単には変えられないと思っていたという。  いま、安倍内閣の危険な解釈改憲とその流れを心配し、「安倍内閣をつぶせば・・・」「選挙で決着を!」と呼びかけている。エネルギッシュな博士のことばに感銘を受け、「ボーとしてはいられない」と反省したところである。        2014年7月22日       鈴木康吉 【注】誕生年は昭和16年。8月6日とあわせれ…

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鈴木康吉さん「深川自由日記」4冊目

元江東区議の鈴木康吉さんから随筆集・「深川自由日記」の4冊目をいただきました。題して「散歩に行こー」。その巻頭に、鈴木さんが「文章教室」で師と仰ぐ猪狩 章さん(朝日新聞社社友・元編集委員)が推薦の言葉を寄せています。鈴木さんの110ページにわたる軽妙なエッセーは順次掲載するとして、先ずは猪狩さんの賞賛の言葉を紹介しましょう。      鈴木康吉さん            ますます快調の第四作    本書の著者、鈴木康吉さんは(公財)江東区文化コミュニティ財団・古石場文化センターの自主講座『自分史を書く』の同人で、『深川自由日記』シリーズも早や四冊目となりました。  講座で私は毎回のように『継続は力なり』と言っておりますが、鈴木さんの執筆活動は、まさにその生きた証拠です。おかげで私の紹介文も今回で4度目となりました。。大変うれしいことです。  私は鈴木さんの著作シリーズ名の『自由』という文字に大きな意味を感じています。それは「自由」こそが人類普遍の理念だからです。しかし国際的にも国内的にもあらゆる局面で「自由」が制約されています。鈴木さんはそうした状況に強い怒りを持っています。  若いころから働く仲間たちの権利を守るため労働組合づくりに奔走し、その実践が人びとに支持されて江東区議会議員となり、7期28年もつとめました。この間の地域への貢献、社会不正義との闘いぶりは、これまでに『深川自由日記』3冊によく出ていますが、4冊目でますます磨きがかかったようです。  しかし冊数を重ねる…

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夏の花 夾竹桃 鈴木康吉

紫陽花の花がくすみ始めたこのごろ、夏一番の花はなんだろうか? そんなことを思いながら朝の散歩。猿江公園を一周して途中柔軟体操をして帰るのだが45分、5800歩の行程ですっかり汗ばんでくる。夜遅くまで調べ物などパソコンに向かうから鈍ったカラダには丁度いい刺激になる。  夏の花といえばコスモスや朝顔、ヒマワリなどたくさんあるが緑色の細長い葉に赤い花、白い花が咲き乱れる夾竹桃がいい。インド原産というが、花言葉は「美しき善良」「友情」などがある一方、「危険」や「油断大敵」など過激な言葉もあわせ持つ。  ヨーロッパ伝説によれば、色の白い「白砂姫」が相手方の父親に「色が白すぎて人間と思えない 夾竹桃のような淡紅色の頬を・・・」と言われ、毎日欠かさず花の汁をを顔にすり込んだ結果、頬に紅が差してきて幸せな結婚ができたという。  ところで、昔お世話になったが、近所に永井和子さんという詩人がいた。いま、札幌に住んで創作活動を続けていると聞いたが、華奢な体形に似合わずどっしり落ち着いた人手で、自宅にも呼ばれ夫君ともども何かと相談に乗ってくれた。彼女は何度も沖縄を訪ね、「反戦平和」の詩を書いていたことを知っている。その中に夾竹桃を詠った詩があった。地域の集会などで自作の詩を朗読して参加者に感動を与えていたことを知っている。夾竹桃の赤い花を沖縄県民の祖国復帰や基地撤去の闘いの焔に重ね、詠いあげた詩にいたく感動したものである。  沖縄は、普天間飛行場の移転問題で「県内、いや県外!」といまも揺れ…

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「七加子さんと長話し」 鈴木康吉

元共産党江東区議を7期28年務めた鈴木康吉さん。この程三冊目の自著を自費出版された。このブログでも何回か紹介してきたが、今日は17ページ所載の「七加子さんと長話し」を転載しよう。ぼくも部外者ではないので興味心々、一エピソードだが、当時のことが生きいきとつたわってくる。  「ね!どうしてる? 」「こないだはありがとう」先日夜、わが家の「家電」にこんな電話が掛かってきた。あの不破哲三さんの奥さん、七加子さんだ。  不破さんと言えば、衆議院議員11回当選、共産党書記局長、委員長、議長もつとめ、中国やソ連の党などと激しい論争をリードし、現在党社会科学研究所長だ。日本共産党の代名詞みたいな人だ。  その夫人なのだがー 秋田に帰郷した際、東京の自宅に上田七加子著『道ひとすじ』が送られてきたと妻から電話があったので、「ありがとう」のメモを添えて郷里の土地「稲庭うどん」を送った。それへのお礼の電話だった。聞き覚えのある懐かしい声にびっくり「うどんおいしかったでしょう」「ウーン、まだ半分残ってるわよ」。(不破さんも『時代の証言』を出していたので)「読んだよー二人の本、三日で全部読んだ。素晴らしかった=泣いちゃった」と、言葉がつまった。「泣かせないでよ! わたしのはね!」と謙遜するが、どうして、中央公論社刊で『革命的熱愛人生』と各メデイアが紹介し、絶賛している。  さあ!それからが大変。「○○さんどうしてる?」とか「○○ってね、私の頭、ずいぶん白くなったわね! なんていうの」「白く染めてん…

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深川自由日記3 鈴木康吉②

僕は新しい書籍を手にしたとき、決まって、最初に「まえがき」「あとがき」「推薦文」から読み始めるのを常としている。それはそのことによって、著者のその本を書く意図が掴め、また推薦人の称賛の言葉によって「さわり」が示唆されるからだ。元朝日新聞の編集委員・猪狩 章氏はこう推奨している。     鈴木康吉さん 内容充実の第三作    早いもので、鈴木康吉さんのエッセイ&投稿集『深川自由日記』が三冊目になりました。年一冊のペースで、鈴木さんの執筆力・文章力には心から敬服しています。  三冊目の本書は「こころとばばの休日」というタイトルがつけられ、おばあちゃん(つまり鈴木夫人)が、かわいい孫のこころちゃんに一日付き合った日のことが書かれた一篇からとられています。  「また、孫のこころの話になるが、『爺バカ』だから仕方がない」と書きだされたその文章は鈴木さんらしい。やさしい筆致ですが、「この子が成人する頃、私は80をとうに超える。どんな時代になっているだろうか? 今日もテレビが雇用労働者の四割が日正規雇用と報道していた。  鈴木さんのエッセイは常に右のごとく、暖かさとともに、冷静な社会観察をそなえているのが特徴です。  それがマスコミへの投稿となると一転、今日の政治、経済、社会、さらには権力に対する厳しい批判とないます。これらは、地元・江東区議会議員を7期つとめるなど、積極的な地域活動を長年してこられた実績と経験が根底にあるからです。鈴木さんは、「自ら働く者」に共感し、努力しても貧し…

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深川自由日記3 鈴木康吉①

鈴木康吉さんが「深川自由日記3」を自費出版された。題して「こころと パパの休日」。身辺雑記と東京各紙への投稿などが37ページにわたって書き連ねられている。三作目ともなると、それはもう筆致はなめらか、読みすすむうちに合点するくだりも多々あって感嘆させられる。      「深川自由日記3」も読んで!                                                                                        鈴木康吉     身よう見まねでエッセイを書き始めて6年になる。江東区、古石場文化センターの社会人の文章教室(月2回)に通い始めてからだ。  もともと人間が横着に出来ているらしく誰かに強制されないと動き出さない習性がある。先生が「宿題」を出してくれるから、次回まで一篇の文章を書く羽目にになる。当初「思いつき」で書いていたが、そんなものは長続きしない。題材に関する資料をネットで探したり、図書館通いもする。・・・と言うとさぞ読みごたえのある「作品」を期待する向きもあろうが、なかなかそうもいかない。  それでも、新聞や雑誌への投稿を続け、たまに掲載されることもあるから止められない。先日、東京新聞に載った他人の投書に噛みついて、「ミラー」(東京新聞の長文掲載欄)に送ったところ、これが掲載された。他流試合とでもいうのだろうか? これがまた楽しいのだ。  昨年4月、深川自由日記2「意地悪爺さんの小言」を発刊し、身に余…

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江東オンブズマンが行く 2月号㊥

「江東オンブズマンが行く」2月号下欄の「コラム=『声』」が毎号読ませてくれる。執筆者は事務局長の鈴木康吉さん。元江東区議で今は著述に精をだしている。暮れに東京新聞に掲載された「ホームレスへの区の対応」についての氏と投稿者の「発言欄」でのやりとりが興味深い。奇しくも今回の「声」がその解説になっている。  暮れの東京新聞に「ホームレスを追いだした冷たい江東区」と投書(下右)が載った▼堅川河川敷公園(高速下)を鋼板で仕切り、ホームレスを200人のガードマンで排除したとある。同紙が書いた記事を見た人の投書らしいがボール遊びの子らとも共存できると同情していた▼私は、ホームレスを容認し「共存」するより「なくす社会づくりが大事」と書いて投書(下左)したがこれが掲載された▼先日、山崎区長に会ったら「あなたに始めて褒められた」という。書かれてよほどこたえたのだろう。公権力を使いホームレスを排除したのだから、批判は当然だろうが、私の投稿を東京新聞への反論と受けとったらしい▼それにしても若者を含め貧困が広がり深刻な事態というのに、安倍自公政権は生活保護の切り下げを強行するという。(康)

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「源さん」のこと  鈴木康吉

 元江東区議の鈴木康吉さんから先頃、突然メールが飛び込んできた。そこには大先輩区議で、今は病床にある鈴木源太郎さんのお宅を訪ねた時の心づかいの思いがつづられていた。同時代に私もご一緒しただけに懐かしく、また身につまされる思いもあって原文どおりご紹介しよう。    久しぶりに議員時代の先輩「源さん」(元江東区議、鈴木源太郎さん)を訪ねた。東雲のUR住宅にひとり暮らしの源さんは、高齢でほとんど寝たきりだが、頭脳は明晰。耳は少し遠くなったが、大きな声で話すとキチンと受け答えする。姪御さんが世話をしてくれているらしいし、同じ棟にいる息子さんの哲ちゃん夫婦が食事など「良くしてくれる」と目を細めていた。  かっての同僚議員の名前を上げて話すと「ウンウン ○○か、いたなー」「あいつまだやって(議員を)るのか」と笑う。江東区では日本共産党が安定した議席を持てなかった時代、1967年最初に源さんと小原うめ子さん(故人)が議席を得たのだった。以来七期二八年、党を支えるとともに区当局や他党と厳しい論戦をリードした闘士だ。源さんにとって厳しい歳月だっただけに、昔のことを鮮明におぼえているのだろう。 ところが、突然「俺はダメだよ!」「こんあことのなって!」と、やせた脚を見せてため息をつくのである。新聞や本を読んでいるというが、時代をしっかり見つめているのだろう。「何の力にもなれなくて!」という。この歳になってもまだ、燃えるような闘志があるから、思うようにならない体の衰えを悲観しているに違いない。   …

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鈴木康吉さんが綴る 「冬隣」

総選挙がいよいよ始まりましたが・・・、心配です。ところで先頃都庁に調べものがあって行きましたが、帰りの電車で「アコちゃん」に似た人に出会いました。よほど声をかけようと思いましたが・・・、あの人がそうなら元気そうでした。さて、月2回、文章教室で、こんな出題が出て書いてみました。乞うーご批判なりご感想を。 ▼あれから2週間、柿の木を撮って来た        冬 隣         鈴木康吉   夕方、何かの用事でひさしぶりに知人のKさん宅の前を通った。尾ナガ鳥だろうか、数羽がせわしく飛び回って庭の柿の木に群れている。そうだ、熟した実を食べに来ているのだ、と足を止めた。もういくつも残っていないから、鳥たちは競ってついばんでいるのだろう。私は、これが渋柿ということを知っている。以前たくさんの実を付けたと言って、Kさんに収獲を頼まれたことがある。その際、「小鳥たちに少し残しといてネ!」と言われたのに、あらかた採ってしまい、「なーによ!」と、叱られたことがある。  この時期、毎年訪れる鳥たちを気遣うKさんに「すごい優しい人なんだ」と感心したことがあった。彼女はひとり暮らしだが、地域の老人会や民主的な運動にもかかわっている逞しい人だ、赤く染まった葉を殆んど落とし、熟した柿の木は晩秋の風物詩としてもよく謳われる。あの暑かった今年の夏がうそのように、冷たい風が頬を叩くこの頃である。  晩秋といえば、なぜか故郷秋田を想う。朝、霜が降りて吐く息が白い。かじかんだ両の手に「ハァ!」と息を吹き…

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元区議 鈴木康吉さんが投稿

区議を7期、28年をつとめあげた江東区の鈴木康吉さん。今旺盛に執筆活動を続けている。なかでも新聞各紙への投稿は数えきれないほど。一昨年には自費出版で「深川自由日記」(計2冊)を出すほど、その熱中度には驚いている。今回は「赤旗」16日付「読者の広場」に掲載されたものをご紹介。    「スモン病」とカルテの開示    「スモン・公害センター設立30周年記念のつどい」の記事(10月29日付)を読んで、思い出しました。三十数年前、区議になりたての頃、近くのおばあさんが相談に見えました。「7,8年前に入院して整腸剤のキノホルムを投与された。以来、体調が悪くスモン病では」と言うのです。  新聞記事を目にしていたので、私は早速、薬の投与を受けた病院に薬品名の開示を求めました。ところが「カルテの保存期間は5年なので出ません」と冷たい返事。  そこで「5年ですべてのカルテを廃棄するんですか」と食い下がったのです。根負けした事務局長さんが、倉庫を探してカルテを見つけてくれたのです。おばあさんは思いがけない賠償金を手にすることができ、家族ともども大変喜ばれたことがありました。

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4年前の畔上三和子さん

江東区議では先輩にあたる鈴木康吉さんが4年前(08年6月25日)、現都議の畔上(あぜがみ)三和子さんについて「頼れる母さん」「そばにいるだけで安心できる」と、自著・「深川自由日記」に書きました。題して「ひまわり母さんの挑戦」。読んでみましょう。      ひまわり母さんの挑戦  かっての後輩が来年の夏の都議選に立候補することになった。街にポスターも貼りだした。「頼れる母さん」のキヤッチフレーズで、イメージフラワーは「ひまわり」だという、彼女にぴったりだ。ひまわりは夏を代表する花で「あなたは素晴らしい」が花言葉だとか。その名は太陽の動きにつれてそれを追うように花が向きを変えて回ることに由来すると聞いたが、ギラギラする真夏の太陽に向かって凛として立つひまわりは頼もしく差し詰め「ひまわり母さん」というところだろう。  彼女、区議六期のベテラン議員だが、20年前、初挑戦した時はまだ20歳代の若者で障害児の保育士だった。初めて紹介されたときジーパンにTシャツ姿、赤いホッペで「もぎたてのリンゴ」のような娘さんだった。それが今では地域になくてはならない大きな存在なので。結婚・出産の相談、入学卒業など学校行事への参加、保育や障害者、老人福祉、環境・ゴミ問題、街づくり。ゆりかごから墓場までというが、とにかく何でもこなすスーパーウーマン議員だ。  ベテラン行政マンとも堂々渡り合う姿を知っている。「そばにいるだけで安心できる人」という人が多い。一人暮らしのお母さんの介護や…

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朝日新聞 鈴木康吉さん投稿

元江東区議の鈴木康吉氏が朝日新聞の「声」(Voice)欄に投稿し掲載された。11月2日、見出しは「働きたい高齢者に妥当な賃金」。現在地元江東区で高齢者を対象にしたNPO法人の理事長ならではの論旨でずばり斬りこんでいる。    働きたい高齢者に妥当な賃金を    社説「生活保護から就労へ」(10月22日)は、自給者が自分を肯定できる「自尊感情」の回復を支援の中心に据える釧路市の取り組みを紹介していた。自給者心理も分析し、なるほどと思った。ただ、自給者増の背景には不況に加え、非正規雇用や雇い止めなどの拡がりがある。政府や企業の責任も問うてほしかった。  私は今、働きたい高齢者に仕事を紹介するNPOに参加している。自治体にはたくさんの仕事があるのに、競争入札や見積もり合わせなどを経て、最終的に仕事の単価がかなり引き下げられているのが現状だ。  たとえば公園の清掃では、下請けで仲間と仕事を分け合うことにもなるため月額6万円程度にしかならず、生活保護の受給額にはまず及ばない。  働きたい高齢者はたくさんいる。NPOなどには随意契約でそれなりの額で発注してほしい。せめて生活保護並の賃金を払ってあげたいと願っている。(団体役員 鈴木康吉 東京都江東区 71)

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むのたけじの著書に感銘

江東区議を務めて7期28年。引退してからは悠々自適と思いきや、あれやこれやと相談ごとなどに奔走している鈴木康吉さん。昨今は執筆活動にも精を出しているようです。昨年、自費出版された「深川自由日記」のなかからの一編を紹介しよう。       反戦平和への情熱 読者に感銘    むのたけじの近著「戦争絶滅へ、人間復活へー」93歳・ジャナリストの発言」(岩波新書)を読んだ。むのたけじは郷里秋田の横手市が生んだ著名な文士だ。「まだ生きてるんだ!」と、懐かしさも手伝って読み始めたのが、その迫力に押され、一気に読み終えました。むのは従軍記者としての体験から、かっての戦争を「狂気」とし、これを引き起こした者を鋭く糾弾して、平和のためにはこれらと命がけで戦わなければならないと説いています。  戦時中、新聞記者として、「間違った報道をした」として朝日新聞を退社し、筆を折った気骨あるジャーナリストとして知られているが「朝日にに残って本当の戦争はこうでした」と報道し「(国民に)詫びるべきだった」と書いています。著名な記者が93歳にしてこれほどまで謙虚に自分を振り返ることができるだろうか?いま、政権党を中心に憲法を変えて戦争できる国につくり変えようとする勢力が台頭してきても、かって「反省したはず」の大新聞からはその危機感はかけらも伝わってこない。それだけに氏の反戦平和への情熱は読む者に感銘を与えずにはおかない。  むのたけじはまた、次の戦争は人類を破滅に導く戦争になるとして核兵器の廃絶を訴え、5年…

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維新持ちあげ 憤りを覚える

江東区議を長年務めあげ、引退後は区内の民主団体の役員として、今なお、矍鑠(かくしゃく)たる勢いで区民の相談役として奔走している親友・鈴木康吉さんが昨日しんぶん「赤旗」の「読者の広場」に登場した。大阪の「維新の会」の危うさをその鋭い目で指摘、国の行く末を、メデイアの在り方などを強く憂えている。  民主、自民を「体たらく」と批判してみせて、国政に打って出ようとする橋下・「維新の会」を「新鮮」と大新聞の社説が書きました。世論調査の高支持率を理由にあげる一方、過去に「国民の支持を理由にあげる一方、過去に「国民の支持を得た新党が、あっという間に失速して姿を消す。そんな例をこれまで何度も見てきた」とあり、橋下氏の身の振り方と政策のあれこれに注文をつけてはいるが、持ち上げと氏への激励が透けてに得ます。  大阪では、露骨に職員の政治参加を禁止し、市民に密告を奨励、福祉切り捨てをすすめ、憲法改悪まで言ってのける人物です。でもなぜかメデイアの批判は影をひそめています。  地方政治を足がかりに、国民から離反した政治の間隙(かんげき)をぬって中央政界に出ようという魂胆はみえみえです。総選挙を前に、これを激励するメディアに、「またか」と憤りを覚えるとともに、国の行く末が心配になります。こうした勢力に絶対負けてはなりません。

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禁酒令は過ぎる労務管理?

先ごろ福岡市の市職員に対する「禁酒令」が話題になった。そのことについて江東区の鈴木康吉氏が表記の題名で「毎日新聞」(みんなの広場)に投稿した。江東区民オンブズマン事務局長ならではの鋭い突っ込みに多くの共感が得られたようだ。紹介しよう。 ▼福岡市・高島市長  職員の飲酒がらみの事故続出で福岡市長が一カ月の禁酒令を出したという。21日(6月)解かれたというから、今頃職員は大ハシャギ「乾杯!」してるに違いない。ユニークな発想で拍手を送ろうと思ったが、待てよ!本紙(毎日新聞)「記者の目」にもあったがやりすぎだ。    行政のトップは権力なのだ。交通事故が多いから車での通勤禁止。職場恋愛も業務に支障(?)と、禁じられたらたまらない。たかが一カ月の禁酒と笑えない。危険な目論みが透けて見えるからだ。  ウチの区で、区長の目にとまった「提案」者を海外研修の名目で7日間のヨーロッパ旅行に招待する、職員褒賞制度が話題になっている。区民が対象ならいざ知らず、特定の職員を特別待遇するのは如何なものか? 禁酒令と職員褒賞は裏表だが、アメとムチで職員をコントロールする行政トップのやり方は昔から「労務管理」の常道だ。(12・6・21)

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鈴木康吉「深川自由日記」-2-

鈴木康吉著「深川自由日記」-2-を紹介しよう。前回「-1-」(5月26日)以来二回目である。題して「2万人の集会が載らない新聞」。昨年の7・8日の朝日新聞に投稿されたもの。誰しもが共感するに違いない。(62頁より)      2万人の集会が載らない新聞    先日、東京・明治公園で反原発の大規模な集会が開かれた。都合で参加できなかったが、なぜかこの記事がどの新聞の夕刊にも朝刊にも1行も載っていなかった。これって一体なんだろう?  2万人が「脱原発」をかかげて集会を開き、デモ行進までしたのだ。明治公園のご近所も沿道も騒然としたに違いない。ところが大新聞メディアは申し合せたように一切これを無視した。新聞に「原発なくせ!」の投書が載るから、新聞社の方針に反するからでもなさそうだ。特定の団体の集会だからなのか? なるほど、この集会は労働団体が呼びかけたものだった。労働団体だろうが政治団体や宗教団体だろうが大勢の人がそれに共感して集まるのだから、これは「ニュース」のはずだ。  もし近所の公園に十数人の若者が集まって「声」を挙げたらきっとお巡りさんが飛んでくる。新聞も書いてニュースになるだろう。歌舞伎俳優が復帰したとか殺人事件の裁判のこと余程ニュース性があると思うが。 (11・7・5-朝日新聞「声」欄 投稿)

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鈴木康吉 「深川自由日記」ー1-

「鈴木康吉さんの文章は、難しいテーマも筆致がやさしく、読者の共感を誘うでしょう」とは元朝日新聞編集委員の猪狩 章氏の言葉。昨年から今年にかけて上梓した随筆集2冊、題して「深川自由日記」①と②。総数200筆以上は、いずれも捨てがたいものだが、私なりに、これはというものを順次紹介しましょう。      望 郷     「芋」     「芋」といえば私は、「収獲の芋」を真っ先に思い出す。ザクッーと鍬を入れ掘りおこすと真っ白い新ジャガがいくつも土の中から顔を出す。わくわくする一瞬だ。  私は、太平洋戦争に突入した年、秋田県の農家で6人兄弟の2番目に双子で生まれた。父が応召を繰り返し、後に満州を転戦し、シベリアに抑留されたこともあって、私達兄弟は母を助けてよく働いた。  小学校に入った頃からだったろう。芋の植え付けもやった。種芋を半分に切って稲わらの燃えがらをまぶし、製地した畑に等間隔に植え付けるのである。学校を早退してよく畑に引っぱり出されたものである。肥やしをやり、害虫の「虫取り」もした。  戦後の食糧難時代、芋のたくさん入ったご飯だったが聞くようなひもじい思い出はない。(07・10・25)      <プロフール>     鈴木康吉(すずき・こうきち) 1941年8月 秋田県八沢木村(現、横手市)に生まれる 1953年3月 東京・深川の木材・合板会社等で働く 1973年3月 東京木材合同労組書記 1975年4月 東京、江東区、区議会議員(7期28年) 2…

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