「私の戦後70年」 東京新聞ー発言 ⑩

東京新聞が毎月第4金曜日に掲載する「私の戦後70年」。10月も6人がよせています。いずれも貴重な戦争体験、平和への強い思いが記されていますが、今回はその中から「満洲」関連のものを転載します。「『私の一枚』父の残したアルバム」も加えます。    母と大連旅行 苦労癒せた          伊藤修一(77) 東京都新宿区   父母が南満洲鉄道に勤務していた1937(昭和12)年、旧満州(中国東北部)奉天市(瀋陽市)で私は生まれました。終戦後の46年、家族5人で大連港より引き揚げ船で長崎県佐世保港へ帰国、初めて日本の土を踏みました。東京に向かう列車で焼け野原の広島を通過する際、被爆地に全員が黙祷をささげた記憶は、子どもながらも今も忘れうことはできません。  東京都足立区の引き揚げ寮に入居、厳しい生活を経験しました。今でも忘れることができないのが、生活も一段落した82年、今はなき母親を連れて36年ぶりに終戦前に住んでいた思い出の地・大連に旅したことです。  当時住んでいた家屋はそのまま残っていました。地元の方が住んでいましたが、事情を知ると家の中を案内してくれ、当時の生活を思い出して母と涙した日のことが思いだされます。  母が青春を過ごした思い出の場所を何カ所もめぐり、母の喜ぶ姿を見て、戦後の苦労を癒し、少しは親孝行ができたのではないかと、戦後70年の今、あらためて思っています。

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「ソ満国境 15歳の夏」 テーマは日中友好

果てしなくひろがる大平原。地平線を真っ赤に染める夕日。終戦の夏、ソ連との国境に近い農場に勤労動員として送られた15歳の中学生たち。彼らには過酷な道のりが待ち受けていました。(しんぶん「赤旗」16日付・コラム「潮流」) ▼8月9日、ソ連軍侵攻。置き去りにされた120人の日本人中学生は爆撃の中を必死に逃げます。荒野をさまよい、捕虜となり栄養失調の体で放り出され、餓死寸前でたどりついた寒村。そこで中国人に救われます▼侵略者の憎い日本人を助ける必要はないという村人を説得する村長。彼は「中国の村人が日本人を助けたことによって、これからの世代にどんな新しい歴史 15歳のが生まれるのか楽しみにしている」と。公開中の映画「ソ満国境 15歳の夏」です▼映画では原発事故で避難生活を強いられる福島の中学生が中国東北部を尋ね当時のことを取材します。松島哲也監督は本紙日曜版のインタビューに「テーマの一つは日中友好」と答えています▼みずからの体験が原作になった田原和夫さんは、人として語り継ぐべきことがあるといいます。国の犠牲になった人びとや国境をこえた友情と絆。そこには戦争への痛切な反省と和解の道筋が示されています▼戦後70年の安倍談話。主体のないキーワードをまぶすだけで、戦争の過ちや侵略した国々へのおわびを自身の言葉で語りませんでした。「私たちの子や孫、その先の世代の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」。口にするあなたこそが、和解の壁になっていることがまだ分からぬか。(2015・8・16) …

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -33-

東京新聞掲載の「平和の俳句」が今回で33週目に入った。昨日は「終戦記念日」。紙面は「平和の俳句」を軸に、多彩な企画、句の英訳あり、瀬戸内寂聴さんへのインタビューありで、読み応え充分の編集だった。ここでは11日に行われた9月掲載分についての選者の感想を冒頭に紹介しよう。 」        中高生ならではの句  金子さん        深く考えた作品多い   いとうさん    東京新聞一面通年企画でで毎日掲載されている「平和の俳句」ほ9月掲載分の選考会が8月11日、開かれた。俳壇の長老金子兜田さん8959と作家のいとうせいこうさん(549が、4721通の応募作品から掲載句を選んだ。  今回は夏休み中の中高生の俳句が多く寄せられた。平和学習の一環で俳句をつくった生徒たちや、部活単位での応募もあった。  いとうさんは「ただ五七五をつくるというのではなく、平和とは何か、真剣に深く考えて詠んだ句が多かった。上っ面ではない内容で、読みでがあった」とたたえた。金子さんは「この年代ならでっはの句が面白い」と話しながら選句し、「子どもや若者にこそ、平和の俳句をぜひつくってほしい」と話した。  選考委員二人は、何度でも選ばれるような”平和の俳人”の出現に期待を込めている。一方で、いとうさんは「初めて俳句に挑戦したのだろうなと感じる作品もたくさんあった。年内にあt3回の選考会がある。新しい人にどんどん参加してほしい」と語った。 ◆郭公が啼く原爆などいらない 小川 千里(65) 東京都小平市 …

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「『万歳』で送る姿に憤り」 堀 文子さん

もうすぐ終戦記念日。先の戦争では夫や息子、兄弟を失った多くの女性が涙に暮れた。一方で、女性たちは「総力戦」の戦時体制の下、戦争遂行の一翼を担いもした。(東京新聞・8月8日付ー特集「戦争と女性」から)以下は今年97歳になる日本画家・堀文子さんのメッセージ。 ▼ほり・ふみこ(1918~)東京生まれ  先の戦争中、女たちがわが子や夫、兄弟を戦場に出す時に「万歳」と言わされた。その無残で愚かな姿をよく覚えています。人を殺しに行き、最後は殺されるというのに、名誉の出征だと言わされる。そのことに怒りもしない。その様子を憤りながら見ておりました。  だから私は、女とマスコミがしっかりしていれば、戦争は防げると思ったんです。次の時代にはそれを訴えなきゃと思っていた。それが最近では両方駄目になってきました。メディアは政府の言いなりですし、女はきれいになりたい、いいものを食べたいということばかり考えている。まるで幼児化したようです。女として、母親として力を失ってしまった。日本の衰亡の証しだと思っております。  背景には日本文化の劣化があるように思われます。日本語は乱れ、敬語が失われた。食べ物も家の造りも変えてしまった。弱者を思い、「もののあわれ」を感じる日本人は、強い者や派手な者を礼賛するように成り下がった。そのことを自覚してほしい。  昨年1月、東京新聞(右コピー)に投書をしました。政府が(特定)秘密保護法などという戦前の治安維持法のような法律を作ったので、黙っていられなくなったんです。そ…

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「平和を語り合う夕べ」ー青年学習講座

被爆70年の節目の年に長崎市で開催された「原水爆禁止世界大会」に参加した若者が大会の様子をスライドショーを交えて報告します。また、今回は趣向を凝らし、涼を感じるソーメンを食べ、ビールを飲みながら交流したいと考えています。皆さまお誘いあわせてご参加ください。      若者を戦場へ送るな! ◆と き:2015年8月22日(土) ◆ところ:江東区産業会館 展示室 ◆会 費:1000円  「戦争法案許さない!」今、空前の世論と運動が広がっています。平和都市を宣言している江東区からさらに平和の声を響かせるために、区内の若者の力を結集して暴走する安倍政権を包囲しえいきましょう。    原水禁大会報告!        平和ムービーを上映             ソーメン$ビールで暑気払い   【お問い合わせ】03-3648-5151

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「仔羊たちの戦場」 ソ満国境 新京1中生 続

「安達君が下痢をしていて、歩けなくなった。ソ連兵が『早く歩け』と怒鳴る。(私は体の具合が悪くて)背負ってやることができない。『一緒に死んでやるから』と肩へ手を回して励ましたんです」。(読売新聞・1988年9月4日付「編集手帳」) ▼4日前の東京での「仔羊たちの戦場」(谷口佶著)の出版記念会で、旧満州・新京1中の教え子たちを前に斉藤喜好さんが、そういう趣旨のあいさつをした。昭和20年夏、斉藤さんは生徒隊を引率してソ満国境からの逃避行を続けていた。40歳を過ぎていた▼すさまじいばかりの飢えと病気と敗戦下の地獄絵図--そのことは先月7日付でもこの欄に書いたが「安達少年」は発疹チフスを併発、昏睡状態に陥ったまま東満の野戦病院で亡くなっている。14年余の生涯だった▼谷口さんのいう、カゲロウのようなはかない命だった。その死を、斉藤さんは本を手にして初めて知ったという。教え子たちと話されて「18歳以上」の斉藤さんは、ソ連軍の「使役」要員として連行されてしまったからだ。その時以来、先生の消息はぷっつり絶えてしまう▼「記録を書きとめておく、それを(私が)やるべきだった。が、食うに精一杯だった。それが、今度読んでみて、やっと私は一種のやすらぎを覚えた」。斉藤さんは、続けて「教師の責任とは、こんなにも重いなかと・・・・・・。だが、もっと深い愛情があって死んでやることができていたら」とも言った▼43年ぶりに姿を見せてくれた恩師の話に、白髪が目立つ。”生徒”たちが耳を傾ける。先生に、もう”身を隠す歳月”はないだろ…

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「戦争と女性」 怖かった満州の出来事

東京新聞の発言欄に掲載されている「私の戦後70年」のテーマ投稿「戦争と女性」の中から満州関連のものを一遍転載いたします。東京小金井市の若林高子さん(79)が「怖かった満州の出来事」を書いています。(同紙8月10日付)  敗戦時、私は旧満州(現・中国東北部)長春市に住み、小学校4年生だった。ソ連兵は8月20日には長春に進駐し、連日、民家に軍靴のまま入り込み、時計や着物など、あらゆる物を強奪し持ち去った。私は目の前にピストルを突きつけられた恐怖を、今でも強烈に思いだす。  生き延びてかろうじて内地に引き揚げても、夫が戦死、あるいはシベリア抑留などで行方不明の場合、女でひとつで家族を養うのは大変だった。  伴侶を失った男性は戦後、再婚したケースが多いが、女性の場合は古い道徳に縛られて独身で過ごした人が多いように思う。私の知り合いの女性(当時20代)は、目の前で夫がシベリアへ連行され、消息不明になった。ひたすら帰りを待ち、60余年の生涯を終えた。  戦後70年、満州は幻の国とされ、そこで暮らした155満員の人びとは、敗戦と同時に見捨てられた。特に女性の場合、母体に及ぼした影響は、はかり知れないものがあると思うが、その実態は明らかにされないままだ。

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -32-

東京新聞の毎日掲載「平和の俳句」も32週目に入った。敗戦記念日が近づくに連れ作品のトーンも迫真迫るものになってきた。例にによるトップの「私が選ぶー平和の俳句」(伊藤美津子作)はテレビでお馴染み立川志の輔さんに登場願おう。              「平和とは坂に置かれたがガラス玉」   【評】みんなが大事にし、大切に思っているけれど、いつ壊れるのか分からない。それが平和。平和ぼけして争っているうちに、その大事なものが今にも坂を転がり出そうとしている様子が目に浮かぶ句です。  「シャーロット」と名付けられた猿のことが世界の一大事のように報道されたり、繰り返し流れるダイエットのCMを見たりすると、思わず「平和だな」とつぶやく。平和なんだから今の状態のままでいいという人と、平和のために変えなくちゃという人があれこれ議論をしているのを聞きながら「あれっ? 」でも、平和だから議論ができるんだな」って飢餓ついたりして。  折に触れ思います。平和の時しか知らない私が、本当に平和が分かっているのかなって。世界中で今日も多くの人が命を落としています。そんな中、平和とは、憲法とは、という言葉や映像が毎日、紙面や画面に踊り続けています。昭和29(1954)年生まれの私は、今のこの平和が永遠に湯づくことを、絶対に戦争が起きないことを、ひたすら願うしかありません。  ひとたび有事が起これば、文化や演…

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土屋洸子さん 「引き揚げ体験」語る 新宿

東京・新宿の「平和祈念展示資料館」では、毎月海外からの引き揚げ者などから貴重な体験談を聞く会が開催されています。その語り部の一人として、このほど「公主嶺会」の土屋洸子さんが招かれ、この夏は、8月19日(水)にお話しすることになりました。以下はそのご案内です。 戦後70年     聞いておきたいー体験者の話ー ■日 時:2015年8月19日(水)       午後2時~(約60分) ■場 所:平和祈念展示資料館 ビデオシアター       新宿住友ビル48階 ■語り部:土屋洸子さん(「満州・公主嶺会」       事務局長) <お問い合わせ>03-5323-8709 ●入場無料        土屋洸子さん    <プロフィール> ・1933(昭和8)年1月、鳥取県生まれ。 ・1936(昭和11)年、父が満洲(現・中国東北部)・公主嶺の農事試験場に赴任することになり、家族で公主嶺に移住。 ・1945(昭和20)年4月、新京(現・長春)の敷島高等女学校へ進学のため寄宿舎に入る。8月、ソ連参戦のため、寄宿舎から公主嶺の両親の元に戻る。以後公主嶺で集団生活を送る。 ・1946(昭和21)年7月、父が技術留用者となったため、両親の引き揚げが許可されず妹と二人で日本引き揚げ団に加わる。7月末、コロ島から福岡県の博多港に上陸。翌22年、両親と北海道・札幌で再会。(平和祈念展示資料館HPから) 【リンク】「満洲からの引き揚げ秘話」 土屋洸子…

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -31-

年初来、このブログに掲載してから31回目になる「平和の俳句」。今回のトップ掲載の1句は東京・武蔵野市の小学4年生の「一人の手何もできない可愛い手」だ。愛知県で開かれた「平和を願う市民典」に紹介されたのを契機に祖父との交流があり、平和への思いが受け継がれた、という話だ。  小桜さんは毎朝、自宅の郵便受けに東京新聞を取りに行き、一面に掲載される平和の俳句に目を通すという。  福島第一原発事故後、母親に連れられて参加した国会前での反原発デモで何千もの人が抗議する姿を思い起こし、「戦争も一人ではなくすことはできないけど、たくさんの人が手をつなげば、できるかもしれないと思った」と詠んだ  句は3月に、東京新聞と中日新聞にも掲載sれ、市民展の主催団体メンバーの目に留まった。戦争に関わる絵手紙や風刺漫画とともに会場に展示されることになった。  祖父の花井さんは太平洋戦争の開戦当時、小桜さんと同じ9歳。兵士を万歳で戦地に送り出し、旧制中学二年のときには学徒動員で工作機械メーカーで手りゅう弾などを製造した。今回の俳句作りをきっかけに、小桜さんに戦争体験を話したという。  市民展を見た小桜さんは「食べ物が少なかったり、空襲におびえたりしながら暮らすのは大変。家族が死んじゃうかもしれないのは怖い」と平和の尊さを実感した様子。花井さんは「それぞれが感じる違和感を、民意を結集させて示すことは大切だと、あらためて思った」とかたった。 ◆老鶯の平和欣求(ごんぐ)の声ならん 久保 善信(69) 三重件伊賀…

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -30-

年初からスタートして今回で30週目に入った東京新聞の「平和の俳句」。本ブログでは一句残さず転載してきたが、ここに来て若干の息切れを覚えてきた。しかし、全句掲載すると決意した手前、終止符を打つわけにはいかず、さらに進めることにした。例により冒頭の一句から紹介しよう。     最高齢入選 101歳橋本カズイさん    「平和の俳句」で「戦災の後の平和の有りがたさ」を詠んだ福井市の橋本カズイさんは百一歳。これまでの入選者の中で最高齢だ。30歳の時、東京大空襲に遭って三男を亡くした。「本当に火の海でした。今でも夢に見ます」。忘れることのないあの日の記憶をたどり、戦争のない平和に感謝している。  1945(昭和20)年3月10日未明。東京の下町を約33万発の焼夷弾が襲った。福井から東京に出て結婚し、現在の墨田区本所で夫と共に理髪店を営んでいた。夫は徴兵され、長男長女は疎開中だった時に、橋本さんは6歳の次男、3歳の三男らと空襲に遭った。  焼夷弾が降り注ぐ中、トタンをかぶって地面に伏せた。腹の下に次男を入れ、三男をおぶった。二人には、はんてんを三枚着せ、防空ずきんをかぶせた。  「かあちゃーん、熱いよー、熱いよー」。背中の三男が訴えた。ずきんとはんてんが燃えていた。自分の服も燃えていた。急いで脱がせた。あちこち逃げ惑った末、焼け焦げた三男は息を引き取った。  「頭はからっぽでした。どうしていいか、何も分からなかった。三男をすぐに寝かせて(手当てをして)いれば、命は助かったのではないか。今…

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「私の戦後70年」 東京新聞ー発言 ⑦

今年初から東京新聞が毎月第四金曜日の発言欄に掲載している「私の戦後70年」。今回は7回目になる。6本の投稿の内埼玉県鳩山町の近藤 凱和さん(77)による「今こそ声を上げて闘う時」を転載する。  私は1937(昭和12)年12月9日に生まれました。あの忌まわしい日中戦争での「南京陥落」の数日前のことで、両親は日本軍の南京攻略を記念して「凱和」(よしかず)と名付けました。この命名の由来を知って以来、私は「戦争は二度と嫌いだ」と思い、選挙は革新政党へ一票を投じ続けてきました。  安倍政権は昨年、集団的自衛権の行使容認を閣議決定、今春には米国に自衛隊の海外派遣を約束するなど立憲主義を否定する独裁政治そのものです。安保関連法案も衆院で強行採決し、野党は無論、市民の反対のうねりは日追って高まりを見せています。  五味川純平の小説「人間の条件」お中で、主人公の梶は「多数の人間がね、俺と同じように憶病で、ほんのちょっとした勇気を持つべき時に持たないから、(略)人間として失格してしまうんだ。勇気なんて、考えているだけでは出てこないんだね。思い残すところがないだけ充分生きて、行動していなければね」と言っています。  私たちは今こそ、声を上げて闘う時だと言い聞かせています。 、

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -29-

東京新聞が年初から一面に掲載している「平和の俳句」。本ブログでは一週間分をまとめて転載しているが今回で29週目に入った。恒例による冒頭部分のリードは7月15日に載せられた「8月分選考会」の模様を紹介しよう。  作り手に余裕出てきた 金子さん  さまざまな手法に関心  いとうさん    「平和の俳句」の8月掲載分の選考会が14日、東京都千代田区の東京新聞で開かれた。俳壇の長老金子兜太さん(959と作家のいとうせいこうさん(54)が、4千65通の応募作品から掲載句を選んだ。  今回は八月ということで、原爆忌や終戦の日にちなむ句も多く選ばれた金子さんは選考後、「作り手に余裕が出てきた感じがする。柔らかで幅が広く、たっぷりした印象の句が増えた」と評価した。いとうさんも「季語をうまく使った句、定型に縛られない句など、さまざまな手法が使われるようになったなと寒心する」と語った。  企画は今年12月まで続く。金子さんといとうさんは「二人が選ぶ句の傾向はそれぞれ違っていて面白い。このまま良い句が増えていけば、きっと新たな”平和の俳人”が生まれてくると思う」と期待した。 ◆九条を吸ってェ吐いてェ生きている 兼子 明(55) 浜松市北区 2015・7・12 【評】<金子兜太>九条が日常感のなかで生きている。かるがると呼吸している。 <いとうせいこう>この表記は面白い。あの抑揚が浮かんできて確かに現在のこの瞬間を味あわせる。 ◆十五歳散りし彼らと鬼百合と 橋本真梨子(16) 愛知県…

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -26-

東京新聞のシリーズ「平和の俳句」も本ブログに転載すること、今回で26度目を迎える。同紙26日付の報道ではこれまでの応募数は3万通に達したという。また同日付13ページには「皆で紡ぐ 言葉の力」と題して特集を組んでいる。選者の金子兜太さんといとうせいこうさんの対談が読ませてくれる。       「平和の俳句」スタート半年          -応募3万通にー  東京新聞の通年企画「平和の俳句」が、1月1日のスタートから半年でを迎える。俳人金子兜太氏(95)と作家いとうせいこう氏の提案がきっかけで、二人が選者になって始まり、これまでに国内外の幅広い年齢層から約3万通の作品が寄せられた。  二人は昨年の対談で、さいたま市の女性が詠んだ俳句「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」を、、同市の公民館が月報への掲載を拒否した問題を議論。「国民による軽やかな平和運動」(いとう氏9として、俳句で平和を表現していこうと意気投合した。  平和の俳句は教育現場でも注目されている。「平和について考える機会になれば」と、学校の部活動や授業で俳句作りに取り組み、作品を応募するなど広がりを見せている。 ◆九条は青い幽鬼を解く標 山田 英俊(36) 愛知県春日井市 2015・6・21 【評】<金子兜太>人間には争いを引きおこす青い鬼がいる。憲法九条はその鬼の鎮め。 <いうせいこう>戦争と、その前にうごめくあさましさ、あとに残る恨みを鬼と呼ぶ。 ◆過労死も戦死もごめん初鰹 金沢 敬明(56) 京都…

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「私の戦後70年」東京新聞ー発言 ⑥

東京新聞が年初来、毎月第四金曜日の「発言欄」で特集している「私の戦後70年」。今回で6回目。いつものように6本が掲載されている。その内の一本というといずれも捨て難い力作だが、今回は福井大空襲の壮絶な光景を描写した体験談を転載する。       大空襲一夜で町が消えた             若葉 淳(77)                    (東京都町田市)    米軍が投下した照明弾が夜空を真っ赤に染めた。その中を、大型爆撃機B29の編成が、黒いシルエットになり飛行しているのが見えた。当時7歳だった私は、恐怖心よりも好奇心の方が強く、上空を見上げていると、母が無言で私の頭を強く押さえ付け、水田の中に身を伏せた。  1945(昭和20)年7月19日深夜にあった福井大空襲は、福井市街地の95%を焦土と化し、死者千六百人というすさまじいものであった。  やっと空襲が収まり一夜が明けた。母は2歳の弟を背負い、私たちは自宅の方角に歩き出した。その途中、大きな川の堤防を歩いた。黒く焼けた材木が無造作に積み上げてあるのが見えた。だが、近づいてみると、それは焼け焦げて炭化した遺体の山であった。それは、男女の判別もできなかったが、頭部や手足がかろうじて人間の形を保っていた。  私たちはその場を離れ、自宅に急いだ。しかし、そこにわが家はなかった。目にしたのは、町全体が一面焼け野原になった光景だった。      

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 ー25-

今好評の東京新聞の「平和の俳句」シリーズ。今回で25週目に入りました。18日付同紙「応答室だより」では多くの読者の方から「毎日ノートに書き写しています。、私の日々の楽しみです」などと感想が寄せられているようです。     「平和の俳句」多くの人に愛され     企画が始まって半年弱。連日、たくさんのご応募をいただいています。  13日一面でもお伝えしましたが、この「平和の俳句」が先日、実力派の俳人が集う「件(くだん)の会」が選ぶ第12回みなづき賞に決まりました。選評には「日本人の生の声を聞く気がする」とありました。読者の皆さんからの投句で成り立っている企画です。受賞を共に喜びたいと思います。  そんな「平和の俳句」について、読者応答室には17日、数十年来の読者という都内の70代の女性から電話がありました。「平和の俳句を、元日から毎日、ノートに書き写しています。私の日々の楽しみです」とうれしそうに話してくださいました。8日発言欄では、こんな投稿を掲載しました。「1月以来、ほぼ全部を切り抜き、短冊として保管、折に触れて読んでいます。選者の評を読ませえもらい、句をあらためて読み、なるほどと、俳句の奥深さを学ぶ教科書となりつつあります」(川崎市、元大学教員)  こうした読者の皆さんの声を聞き、思いを知るにつけ、新聞を読むことが、日々の暮らしに自然と溶け込んでいる様子がったわってきます。(鈴木貴彦) ◆この村の戦死者の数盆あかり 水谷 洋子(66) 三重県いなべ市 2015・6・1…

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戦後70年 「全空連」が大集会のお知らせ

「早くも6月を迎えました、戦後70年東京大空襲70年の節目にあたって、『まだ戦後は来ていない』と戦争被害のすべての解決を願い、下記のように大集会を開きます」、と全国空襲被害者連絡協議会からのご案内です。           時代は動いている    -戦争被害のすべて解決のときだー 日 時:2015年8月14日(金)      18時開場 18時30分開会 場 所:台東区民会館 9F 資料代:500円 講 師:小林 節(慶応大学名誉教授)     :大前 治(大阪空襲訴訟弁護団) 【おはなし&プロフール】       「今」をどう見るか ●小林 節(慶応大学名誉教授)   自称「護憲的改憲論者」であxったが、安倍政権」による憲法破壊に直面して明確な護憲派に転じた。あらゆる不平等・理不尽と闘うことを信条としており、最近は空襲被害者の救済にも熱心に取り組んでいる。著書「『憲法』改正と改悪」(時事通信社)、「『白熱講義』・集団的自衛権」(KKベストセラーズ)他多数。   国策によって拡大した空襲被害者  -防空法と情報統制 ●大前 治(大阪空襲訴訟弁護団)   「空襲は怖くない」という情報統制と、「逃げずに火を消せ」という防空法制を調査研究。日本弁護士連合会・立法対策センター参事。著書「検証 防空法:禁じられた避難」(法律文化社) ■高校生・青年の平和への声 ■合唱 「合唱団この灯」 <連絡先>全国空襲被害者連絡協議会 TEL/F…

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ハルビン同窓 9条も話題に

昭和9年、北朝鮮生まれで終戦時は旧満州のハルビンで迎えた映画俳優の宝田 明さん(80)。同級生が先だって開かれた同窓会の模様をしんぶん「赤旗」に投稿しています。(福岡・仲山公政さん)  京都で5月27日、旧「満州」ハルビン市の元白梅国民学校5年生の同窓会に妻とともに参加しました。俳優の宝田明さんが同級生幹事で、全国から14人が集いました。  終戦時の悲惨さや引き揚げの苦労、近況も出されましたが、話題は宝田さんのデビュー3作目の「ゴジラ」(1954年)がビキニ環礁でのアメリカの水爆実験への警告であることや憲法9条を守る発言の各紙報道などでした。  同級生が7人も亡くなっているなか、次回の元気な集いが楽しみです。

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -23-

23週目に入った東京新聞一面に掲載されている「平和の俳句」。日に日にいやます平和への想いあふれる句の連続だ。恒例による冒頭の句の紹介は、開拓団で満州に渡った東京港区の田代チズ子さんが父親の壮絶な体験談を詠む。     水ぜめの刑に耐え父女性(ひと)守る                   田代 チズ子(79)   「肥後もっこす」で反戦を貫いた父は召集を避け、開拓団として家族で満州に渡った。敗戦でロシア兵が「女を出せ」とやって来たとき、父はあおむけにされ、両手両足を踏まれて、やかんで水ぜめに遭いながらも口を割らなかった。女たちは丸刈りに男装をして、干し草を保管する穴の中に隠れていた。ロシア兵は剣で干し草を突いて探したが、わずかな隙間で助かった。 ◆立ち止まり犬と平和の風を嗅ぐ 前寺 滋子(77) 愛知県一宮市 2015・5.31 【評】<いとうせいこう>どちらかを向いて主人と犬が立つ。風はそよ風か。味わう風の香り。 <金子兜太。風のなかでいちばん甘いのは、立ち止まっては犬と嗅ぐ平和の風。 ◆郵便に赤紙はなし春の宵 荒石由記美(46) 浜松市中区 2015・6・1 【評】<金子兜太>「赤紙」は戦争への召集令状。こんなもののない平和な春の宵。 <いとうせいこう>この当たり前の安心は戦時にもない。なぜそれを捨てる? ◆夜勤明け青葉芳しああ平和 木村 昌資(45) 名古屋市中村区 2015・6・2 【評】<金子兜太。会社勤めをしている人…

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東京に平和祈念館早期に 東京民報が報道

戦後70年に「東京都平和祈念館(仮称)」の建設を求める運動を大きく広げようと、同館の「建設を進める会」はポスターを作成し(写真),活用を呼びかけています。(東京民報5・31付)       広島、長崎、沖縄にあって東京にはない   戦争末期の東京大空襲では、死者10万人を超える犠牲が生まれました。広島や長崎、沖縄には公立の平和資料館が建設されており、会では東京にも大空襲をはじめとした戦争体験を伝え、平和を発信する施設を作ろうと求めえいます。  都は94年にしました。しかし、「東京都平和祈念館(仮称)に建設計画を発表しました。しかし、、99年に都議会で「議会の合意を得たうえで実施する」との付帯決議が採択され、建設が凍結されています。都民などから集めた約5千点の資料も、倉庫に保管されたままになっています。      進める会がポスター作成 普及を    ポスターは「平和のために戦争を伝える」という文字とともに、戦時中の防空頭巾をかぶった少女と、現代の少女が虹をが結んでいるデザイン。東京大空襲かあ70年を迎え、戦争の体験者が高齢化するなか、一日も早く平和祈念館の作成を実現しようというものです。  会では、ポスターを町角や店、事務所などに貼って建設の機運を盛り上げることや、カンパ、署名への協力を呼びかけています。  <問い合わせ>03-5927ー1485 東京都平和委員会気付  ●沖縄祈念資料館↓

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -21-

東京新聞の「平和の俳句」も今月で21週目に入る、今回は5・17~23日の7句。多数の投稿の中から選ばれただけに「ハッ」とさせられるものばかり、ご覧ありたい。なお、来月分搭載の選考会が行われ、その模様が20日付の紙面で報じられている。先ずはご紹介しよう。    若い世代 もっと寄せて <いとうさん>    戦争体験の視点で選ぶ  <金子さん>    「平和の俳句」選考会が19日開かれた。金子さん、いとうさんが3816通の応募作品から掲載分を選んだ。選考後、いとうさんは「回を重ね、ぐんと厚みのある句がでてきた。今後は、大学生など若い世代の句が多くなるといいと思う」と評価した。月に一度は福島に赴くといういとうさんは「福島の原発事故や沖縄の基地問題も平和の俳句のだいざいになる」とか語った。  戦争体験がある金子さんは「たとえば世間に忘却されてれきしに埋もれかけているシベリア抑留の句を選ぶなど、自分だからこそ注目する句を意識している」と説明。いとうさんが戦後世代であることに触れ、「役割分担して、うまいバランスで選べていると思う」と話した。  句の余白にびっしりと体験談や思いが書かれているはがきも少なくない。2人は「ひしひしと思いが伝わってくる文章は、貴重な第一級の歴史資料。大事にしたい」と口をそろえた。 ◆文旦の中裂くやうな九条論 伊藤 斉(74) 浜松市中区 2015・5・17 【評】<金子兜太。現政府の九条の扱いは乱暴極まりない、と憤る作者。同感。 <いとうせいこう>中身…

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「私の戦後70年」東京新聞ー発言 ⑤

戦後70年。東京新聞が年初来、毎月第4金曜日「発言欄」に掲載する「私の戦後70年」。今月も六本、いづれも読むほどに胸に迫るものばかり。今回は旧満洲関連の投稿を転載いたします。     必死に子育て 母の人生は                  関 美智子(77)              東京都東久留米市     父は南満州鉄道の社員でした・弟が生まれて間もなく国に召集され、戦後はシベリアに抑留。その後日本に帰国する途中、北朝鮮で死亡したことを、無事生き残り日本に帰られた戦友が、わざわざ遠路はるばる父の鹿児島の実家に訪ねてこられ、父の最後の状況を知らせてくださいました。  母は旧満州(中国東北部)で父を待ち続けていましたが、父の死を知り、終戦翌年、着の身着のままで旧満州を後にしました。その時弟はまだ三歳。私たち母子は死ぬ思いで引き揚げてまいりました。舞鶴港に着く途中に、船の中で引き揚げ者の一人が命を落としました。亡きがらは透けるような青い海へ水葬されました  鹿児島に帰り、母は女手一つで四人の子どもを育て上げ、やっと何とか落ち着けるか、と思った時、54歳の若さで亡くなりました。一体母の人生h何だったのでしょうか。  戦争は日本人だけでなく、中国、韓国、北朝鮮など多くの人々の人生をめちゃくちゃにしたことを身をもって体験しました。戦争は絶対嫌です。

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -20-

続けて、続けている20週目に入った東京新聞の「平和の俳句」。今回の冒頭の句は、一面に掲載されなかった中から同紙・事務局が選んだ2句を紹介しましょう。4月24日付け「平和の俳句」の特集ページ52句からのものです。    孤児生きて未だ親の名知らぬまま                                      田中 和子(72) 埼玉県蕨市   昭和17年、私が生まれたときに父は既に戦士。母も生後三カ月の私を残して病死した。和歌山県海南市の新婚夫婦に引き取られた私は三歳のときに空襲に遭い、多くの人が逃げ込んだ防空壕の中でただ一人助かった。育ての母は私を覆うように抱いて死んでいたという。私はその体験を語り継ぐことが恩返しだと想い、紙芝居や慰霊碑を作る活動をしてきた。    水槽の弟には無き捜査隊       矢満田智康(78) 埼玉県狭山市    終戦から一年余り、作者は旧満州から家族と日本に引き揚げたが、五歳の弟は途中で命尽き、水葬されたという。東日本大震災の津波の犠牲者を探す人々の姿に、海に流される小さな遺体と、それを呆然と見ていた自らの姿を浮かべる作者。深い悲しみが胸に迫る。 ◆「あの日から」「あの日」ぼくらは知りたくない 佐伯 遥菜(11) 愛知県尾張旭市 2015・510 【注】<いとうせいこう>こんな見事な言葉の使い方を小学五年生が。その日をどこと取るかは我々読み手次第。しかし子供の不安、思いはよく伝わる。 ◆啓蟄や這い出してき…

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「私の戦後70年」 東京新聞 -発言・特ー

東京新聞が毎月第4金曜日の「発言欄」に掲載している「私の戦後70年」。今月は特に8日にも載せることになりました。例月同様寄せられた投稿は6本、その中から横浜市の細嶋敬三さん(81)の思いを取り上げましょう。       歴史の歯車 逆転させるな    「八紘一宇」「滅私奉公」「一億玉砕」などの四字熟語が今でらかも頭の中に散らばっている。すべては国家優先で軍閥が政治を牛耳り、大東亜共栄圏の旗印の下、国民は戦争のための消耗品にすぎなかった。  長兄が20歳で収集された時、ビール瓶と空き缶を持参するように指示された。すでに軍隊には水筒も飯ごうもなかった。ルソン島から「・・・満天の星が降るように綺麗で、果物はたわわに実り・・・」と一度だけ極楽の地にいりょうな便りが来た。ハガキには検閲の印が六つも押してあった。  やがて1945(昭和20)年春、白木の箱が届いた。中には階級と氏名、玉砕地を書いた紙切れが一枚入っていた。あれから70年、戦争を肌身で経験していない為政者たちは歴史の歯車を逆転させようとしている。  いつの、もっともらしい理屈から始まり、やがて抜き差しならない状態に追い込まれ、国民全体が集団催眠状態に陥れられる。あれだけの犠牲を払った悲劇を再び繰り返す愚は絶対に避けなければならない。

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -19-

「平和の俳句」も今回で19回目。トータルすると、もう百句を超えている。投稿者の年齢分布を詳細に調べたわけではないが、20~30代が極めて少ないことが分かった。何故だろうか? それはともかく、今回も同紙「発言欄」に掲載された感想文から紹介しよう。      背景に泣いた 「平和の俳句」            保母 富栄(74)    4月25日付「平和の俳句 戦後70年」(8面9はへいわを見直す機会を与えてくれた。戦争体験者、家族を失った人たち、それぞれの思いが静かに、痛恨として語られている。  私は埼玉県の田中和子さんの「孤児生きて未だ親の名知らぬまま」の句が心に染みた。防空壕でただ一人助かったことなど背景を読み、涙があふれた・沖縄のガマ(洞窟)で終戦を迎えた「白旗の少女」と重なったのだ。少女はガマで出会った夫婦に作ってもらった白旗を掲げて助かった。  当時3歳だった田中さんも、育ての母の腕に抱かれて助かったという。小さき者を助けたいという思いは人間の本質だと思う。 ◆譲りえぬ自分軸なり九条は 大久保已司(62) 愛知県設楽町 2015・5・3 【評】<金子兜太>憲法九条は自分の生活軸、いや生きてゆく基本軸、生きてゆく支えです。これだけは人に譲れません。妥協しません。 ◆平和とは声出すことぞ揚雲雀 柴田 隆一(89) 愛知県豊田市 2015・5・4 【評】<金子兜太。まったくその通りです。大事なことには大声を出せ。空の雲雀のように高らかに。「平和」を忘れ…

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サイタ サイタ サクラガサイタ 「南船北馬」

文科省発表の中学校で使う教科書の検定結果について、「戦争する国づくりめざす安倍カラーを強めた」という批評が相次いでいる(日中友好新聞・5月5日付ーコラム「南船北馬」) ▼戦前の国定教科書「サクラ読本」世代の筆者だが、80年前の小学校入学の朝、教室で配られた国語教科書が美しい色刷り本だったのにびっくりしたことを、今も覚えている。いつも近所の腕白少年たちが回し読みしている手垢で黒くなったよれよれのマンガ本などとは雲泥の差だ▼開くと1~2㌻にわたり、色刷りのサクラの絵をバックに大きなカタカナ文字で「サイタ サイタ サクラガサイタ」と書いてあった。担任の先生のサクラの話も楽しかった。新入生も付き添いの親たちも、この日はのどかな雰囲気に緊張がほぐれ安心して帰宅した。 ▼ところが、翌週の国語に出てきたのは「ススメ ススメ ヘイタイススメ」。この世代の児童はやがて数年後、連日、先生から聞かされるのは、「天皇陛下のためにサクラの花にようにいさぎよく戦場で散っていく君らと同年代の少年兵を見習おう」「君たちも少年兵、特攻隊員、満蒙開拓少年兵に志願を」という話だった▼軍事教練、勤労奉仕の日々も続いた。戦後70年の今年こそ、こうした戦争体験談を1人でも多くの少年たちに聞いてほしい。と切に思うのである。(橋)

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -18-

東京新聞が毎日一面に掲載の「平和の俳句」。今回は18回目になる。4月26日~5月2日の一週間分を転載する。冒頭の記事は韓国から投稿された女性の朴さん(22)の作品。自分の俳句について込めた思いを次のように語っている。      いつ時分三八なしに紅葉散る    「平和の俳句」に作品を寄せた韓国南部・亀尾(くみ)市の朴志旋(ぱくじそん)さんは「38度線の境に立つ木の紅葉が、南と北に分かれて散るにではなく、統一された国の地面に散る日が来ることを願う気持ちを詠んだ。分断の悲しみと、見藍への希望の両方を込めた」と、流ちょうな日本語で自作を説明した。           若い世代 分断の悲しみ読む    終戦で日本の植民地支配が終わった朝鮮半島では、旧ソ連と米国による冷戦を受け、北部に北朝鮮、南部に韓国が成立。朝鮮戦争(1950~53年)を経て、北緯38度線に沿う軍事境界線で民族が分断された状態が続いている。  大邱大の4年生だった昨年末、同大で川柳を教える栗田英二副教授(61)から「平和の俳句」の募集について教えられ、「分断国家である韓国のことを詠んでみたらいいのでは」と考えて今年1月に応募した。  「北朝鮮の人たちとは同じなのに、38度線の向こうには行けない。統一されたら、平壌にも行けるし、その先のロシアの方まで陸路で行けるのに」  友人の男子学生が兵役で境界線付近の任務に就くこともあり、南北関係が緊張すれば心配になる。統一についてゃ、韓国に生じるとみられる経済負担を思うと、…

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「私の戦後70年」 東京新聞ー発言 ④

東京新聞が毎月第四金曜日の一面に掲載する「私の戦後70年」特集。今月寄せられた6本のうちから横浜の藤倉真美さんの投稿を取り上げます。映画「望郷の鐘」を見た感想文です。       不戦へ息子と歴史学ぼう          藤倉 真美(34) 横浜市港北区    先日、映画「望郷の鐘ー満蒙開拓団の落日」を鑑賞した。この映画のロケ地は、私の祖父母の家のある長野県阿智村である。幼いころから、夏休みになるたびに祖父母宅で過ごした私。数年前に亡くなった祖父が第二次大戦後にシベリア抑留の憂き目に遭った話は知っていたが、阿智村の人々が開拓団として旧満州(中国東北部)に渡ったことは聞かされていなかった。  だから今回、祖母かあ村での映画撮影の話を聞き、実際に映画を見て衝撃を受けた。「だます人とだまされる人がいて初めて戦争は起きた」「日本国民は、被害者であり、加害者である」という言葉が胸にずしんと響く。  スクリーンに映る見慣れた村や山々などの景色は美しかった。まさに平和の象徴だ。国策に翻弄され旧満州に渡り、戦争で故郷に帰ってこられなかった人々の無念を思うと胸が痛む。  四歳の息子が今の私の年齢になるころは戦後百年。二度と戦争を現在進行形にしないために、四歳の息子が小学生になったあ、阿智村にある満蒙開拓平和記念館で一緒に歴史を学びたい。

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -17-

東京新聞一面掲載の「平和の俳句」も回を重ねて今回で17週目に入った。今週もまた珠玉の句ばかりだ。昨日は月に一回選外の句の特集日。その中から特に満州関連の、「満州っ子」にとっては身につまされる句を初めに紹介しよう。             水葬の弟には無き捜索隊            矢満田 智康(78) 狭山市    終戦から一年余。作者は旧満州から家族と日本に引き揚げたが、五歳の弟は途中で命尽き、水葬されたという。東日本大震災の津波の犠牲者を捜す人々の姿に、海に流される小さな遺体と、それを茫然(ぼうぜん)と見ていた自らの姿を浮かべる作者。深い悲しみが胸にせまる。     さしのぼる朝日を受けて和をさとる           武藤 守(90) 東京都北区    中学を繰り上げ卒業し、満州へ渡って満鉄に就職。関東軍の教育隊にいたときにソ連が宣戦布告し、捕虜となってシベリアに送られた。伐採や穴掘りなどをさせられる捕虜が多い中で、経験を買われて測量の仕事に回されたり、若さゆえか栄養失調も免れて、非常に幸運だった。今、どこにいても同じ太陽が昇るのを見て、何をやってもありがたく、生かされていると感謝している。 ◆広島も福島もみな秋津島 横山 淳(68) 東京都世田谷区 2015・4・19 【評】<金子兜太>被爆広島も被曝福島と、みな日本列島。この苦しみを噛みしめよ。 <いとうせいこう>トンボのような形の、瑞穂の国。そこに連なる歴史、記憶、平和。 ◆戦いの種除き…

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戦後70年 「平和の俳句」 東京新聞 -15-

今日で東京新聞のシリーズ「平和の俳句」は15周目に入りました。前回の金子兜太さんに引き続き、選者のいとうせいこうさんのメッセージとプロフイールをご紹介します。(2014年11月14日)  ■いとうせいこうさん    1961年、東京都葛飾区生まれ。早稲田大卒業後、出版社の編集を経て音楽、舞台、テレビ等で活躍。88年に小説「ノーライフキング」で作家デビュー。99年、「ポタニカルライフー植物生活ー」で講談社エッセイ賞。2013年、東日本大震災をモチーフにした「想像ラジオ」で野間文芸新人賞。ほかにもイベント・クリエーター、司会者、作詞家などとして、マルチな才能を発揮している。  平和への切実な希求、戦争の記憶、未来の私たちがあるべき姿、景色、季節の感覚。あらゆる年齢層の方々から、俳句という短詩だからこそいつでも口ずさめる鮮やかな世界を募集いたします。これは国民による軽やかな平和運動です。 ◆戦争を知ってる背中大根引く 大口美代子(68) 東京都あきる野市 2015・4・5 【評】<金子兜太>戦争を体験した人の背中で、戦火が染み込んでいる。 <いとうせいこう>一人の背中が年月をあらわし」、土とつながり、平和を静かに訴える。 ◆大夕焼核の時代に生まれたる 川口 靖子(46) 浜松市中区 2015・4・6 【評】<いとうせいこう>雄大な景色の中の、巨大な哀しみを一句に。人類史を五七五へと。 <金子兜太>詠嘆ではなく、その苦しみを自分に言いきかせている句。嫌な時代なの…

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