“なでしこ”の呼称には抵抗
「サッカーの女子ワールドカップで、日本代表がアメリカを破り優勝し世界一となりました。私も早起きし、勝利した瞬間、思わず「やった」と快哉(かいさい)を叫びました。」との書き出しで、畏友・佐藤いわおさんが、しんぶん「赤旗」の読者欄に投稿しているのをみて、懐かしさと彼らしい想いに共感を覚えました。
▼秋の七草のひとつ「なでしこ」
“なでしこ”の呼称には抵抗
世界一になったあと、テレビ等の取材に応じた選手たちの冷静で理性ある態度に心から好感を持ちました。逆に、取材する側は狂喜乱舞選手たちを期待していたのか、それを求めるかのような取材態度は気になりました。
マスコミは日本代表をなでしこジャパンなどと言いましたが、私はそういう呼称には抵抗を感じていました。戦前政府と軍部は銃後の守り手は女性と位置づけ「大和撫子(やまとなでしこ)と呼び、戦争に協力させました。結果的に沖縄のひめゆり部隊のように悲惨な状態が全国各地でひき起こされた歴史があるからです。(東京・江東区ー佐藤 巌・77歳)
【注】写真は太平洋戦争の末期、鹿児島県の知覧基地から飛び立つ特攻隊員を見送る「知覧高女」の少女たち。当時毎日新聞がスクープした映像だが手に手に桜の小枝を持って死地に赴く学徒兵に打ち振り、悲壮な思いで祈りを込める。勤労学徒として出撃まえの数週間を隊員たちの世話にあけくれていたという。この時の彼女たちの名称を「なでしこ隊」といった。