“なでしこ”の呼称には抵抗

「サッカーの女子ワールドカップで、日本代表がアメリカを破り優勝し世界一となりました。私も早起きし、勝利した瞬間、思わず「やった」と快哉(かいさい)を叫びました。」との書き出しで、畏友・佐藤いわおさんが、しんぶん「赤旗」の読者欄に投稿しているのをみて、懐かしさと彼らしい想いに共感を覚えました。 ▼秋の七草のひとつ「なでしこ」    “なでしこ”の呼称には抵抗   世界一になったあと、テレビ等の取材に応じた選手たちの冷静で理性ある態度に心から好感を持ちました。逆に、取材する側は狂喜乱舞選手たちを期待していたのか、それを求めるかのような取材態度は気になりました。  マスコミは日本代表をなでしこジャパンなどと言いましたが、私はそういう呼称には抵抗を感じていました。戦前政府と軍部は銃後の守り手は女性と位置づけ「大和撫子(やまとなでしこ)と呼び、戦争に協力させました。結果的に沖縄のひめゆり部隊のように悲惨な状態が全国各地でひき起こされた歴史があるからです。(東京・江東区ー佐藤 巌・77歳) 【注】写真は太平洋戦争の末期、鹿児島県の知覧基地から飛び立つ特攻隊員を見送る「知覧高女」の少女たち。当時毎日新聞がスクープした映像だが手に手に桜の小枝を持って死地に赴く学徒兵に打ち振り、悲壮な思いで祈りを込める。勤労学徒として出撃まえの数週間を隊員たちの世話にあけくれていたという。この時の彼女たちの名称を「なでしこ隊」といった。

続きを読む

芥川龍之介と府立三中

今日7月24日は、かの芥川龍之介が服毒自殺(1927年・36歳)した日である。彼が少年時代、東京の下町・府立三中(現・両国高校)で過しことは余り知られていない。すでにそのころから文才に優れ、貴重な資料が同校の資料室に多数残されており、斯界の注目を集めている。同校同窓会誌「淡交会報」(下図)から紹介しよう。  芥川龍之介の府立三中時代について    東京に残された文豪たちの足跡を、作品などをもとに辿り、散歩しながら紹介する『東京文学散歩』という番組がある。その番組の案内役である女優の市毛良枝さんが2月初旬、同校を訪ね、資料室長の田村光氏と対談したが、その模様が3月20日、BSジャパン(7チヤンネル)から放映された。  芥川が中1の時に書いた「修学旅行記」、中4のとき恩師の石渡延世先生が亡くなったときの「猖々の養育院」の訳文の直筆のコピーをみて、中学のころから文才は勿論のこと、達筆さに、市毛さんの感心する模様が写しだされいる。

続きを読む

「ふくわらいの会」の食事会

これまた引き続き、江東区の「高齢者が住みよいまちづくりの会」機関紙・7月号からです。同会は発足して数年、会員は高齢者が多いとて、その結束には並みなみならぬ苦労があるようです。そこで、今月から会員同士の「和」をはかるために「誕生ー食事会」を催すことになりました。 ▼食事が終わって歓談のひととき(左端が作田さん)    みんなで食事会 7月誕生祝い    7月9日、新事務所で初めての食事会に17人が参加。誕生月は作田キンさん。みんなでハッピー・バースデーでお祝いしました。  1926(大正15)年生まれの作田さん(歌人)の青春時代は今放映されているNHK朝ドラ「おひさま」と同じ世代「涙なしでは見られない」と語ります。参加者の多くも軍人勅諭を暗証した同世代の軍国少年・少女でした。「これまで苦労しつくして今一番幸せと語るMさんなどそれぞれ自己紹介しました。      熱中症にはくれぐれもご注意!   小栗さんから「高齢者が夏、熱中症で亡くなった方もある。高齢者は真面目だから電力不足だからクーラーをかけない人が多い。これから暑い日は28度に設定して水分を補給しましょう」と訴えました。  メニューは焼いた鮭のお寿司、冷や奴、具だくさんのトン汁。お新香とデザート。(写真上)お味はいかがでしたか?

続きを読む

「ふくわらいの会」定期総会

江東区の「NPO法人高齢者が住みよいまちづくりの会=略称ふくわらいの会」(理事長・鈴木康吉理事長)が去る6月18日、同区北砂ゆめグループ福祉会議室で定期総会を開きました。大震災後の総会とあって話題は「災害問題」に集中。同会の機関紙・29号は次のように伝えています。 ▼総会で報告する木村清子事務局長    地域にサロンづくりも!    総会は、司会の瀧川真次理事が、冒頭大震災の犠牲者と「会」の理事、田中秀樹氏をしのび黙とう。次いで、佐藤睦郎氏を議長に選び進行しました。      区・要請でも要求が前進   総会は、鈴木康吉理事長のあいさつの後、木村清子事務局長が活動報告、事業計画提案を行いました。この間区役所要請を重ね、シルバーピアの建設などが進んだこと。各地の施設見学や「いきいきサロン」の訪問などの活動や学習会などが報告されました・     犠牲者の大半が高齢者    事業計画では、大震災の犠牲者の多くは高齢者だとして災害から避難・救援など新たな課題に加えること、サロンづくりの「食事会」などもすすめ、一人ぼっちの高齢者をなくす運動にも取り組むと強調しました。総会は、活動報告と事業計画、決算・予算案を承認、新理事に萩田秋雄氏を選出しました。     地震対策で菊池頌子さんが講演   総会の後半、監事の元江東区保険師・菊池頌子さんが震災救援の体験から「いざというとき高齢者はどうすれば?」とする心構えなどを一時間にわたって講演をおこないました。終了後の懇親…

続きを読む

オンブズマンが行く 続

昨日に続き「江東オンブズマンが行く」機関紙の記事を紹介しよう。区民の提案には粗品なのに、職員には「海外旅行」の豪華褒賞というのは何故だ! と「同会」が監査請求を求めていた意見陳述の場を傍聴した中屋 誠さんの「傍聴記」が二面に掲載されている。   これ「官尊民卑下」の考えでは    江東区には、優れた職員の提案に「海外旅行」の褒賞がある。そんな話は聞いていたが、6月14日、オンブズマンが起こした住民監査請求の意見陳述を傍聴した。  狭苦しい傍聴席に座ったが、正面に四人の監査委員が並んでいる。請求人のオンブズマンが一人づつ前の陳述人席に進み話すのである。何か裁判所の「証言台」を思わせる。最後に陳述した秋山氏は「税金を払う区民の提案には粗品で、税金を預かる側には一人80万円の海外旅行」の批判には納得した。「官尊民卑」そんな言葉を思い出す。  それにしても、監査される立場の人が監査委員を選ぶ。そんなことが適法なの? 「公平性が保たれるか?」。 【注】「満州っ子」が電話取材をしたところ、「江東区監査委員は高給で、長年自民・公明の現元議員の“指定席”。また、この件について労組の態度は見て見ぬふり」だとか。

続きを読む

オンブズマンが行く85号

江東区民オンブズマンの会からNO.85号(2011年7月1日発行)をいただいた。一面はさておき、二面の「公費負担なぜ?」という記事が興味深々。百戦練磨のオンブズマンすら「ここまでやるのかよ!」と、呆れはてるほどの一部議員の無駄遣いぶりが暴露されている。     ケータイ電話使用料まで    区議会には「政務調査費の手引き」というのがあり、各会派に支給される政務調査費(一議員一ヶ月20万円)の支出基準が定められている。例えば、広聴費(区民の声を聴く)活動は公費で支出できる。タクシーを使って区民に逢う、団体の懇談会に出る会費、区民と連絡する手段として携帯電話使用料などさまざまだ。  しかし、区民の声を「聴く」のは議員の本来の仕事のはず。ところが携帯電話の使用料も40%まで公費だ。区民の声を聴く「会」を開けば会場費、印刷代 お茶菓子代まで出る。政務調査費が「議員特権」と呼ばれるゆえんだ。  オンブズマンの調査で分かったが、毎日のように東陽町から東陽町の区民と逢うためタクシーを使う議員もいた。本当なら「歩いて行け」といいたい。自民、民主クに多いのがタクシー代、ガソリン代、駐車料金。そもそも40%按分の根拠は何なのだ。しっかり説明してほしいものだ。

続きを読む

キュリー夫人 名言集

キュリー夫人(1867~1934)7月4日、この日死んだフランスの物理学者、化学者。ノーベル物理学賞を受賞。夫のピエール・キュリーと協力しラジウムを発見。共にノーベル賞をうけた。死因は放射能による白血病とされている。ソルボンヌ大学卒。   <キューリー夫人の名言>    私は科学には偉大な美が存在すると思っている人間の一人です。研究室にいる科学者というのは、ただの技術者ではありません。それはおとぎ話に感動する子どものように、自然現象を前にそこにたたずむ一人の子どもでもあるのです。    人生の中で恐れるものなど一つもありません。すべては理解されるものです。そして私たちの恐れがより小さくなるように、いまさらに理解を深めるときなのです。

続きを読む

戦災孤児が思う東北大震災

「東京大空襲訴訟原告団ニュース」第24号(2011年6月24日)を頂いた。全8ページ中の7頁を見て釘づけになった。そこには「震災孤児の救済を求める訴え」が戦災孤児の金田茉莉さんによって、来し方66年の間の思いを重ね、せつせつと綴られているからだ。ぜひ、ご覧ください。 ▼戦災孤児の家 「鐘の鳴る丘」 (クリック)   震災孤児の救済を求める訴え    私たちは、66年前の戦争末期、空襲被害によって孤児になった者です。  私たちは空からの焼夷弾による火の海を逃げまどい、親きょうだいが焼け死んでいきました。  火を逃れて3月の隅田川に入り肉親が沈んでいきました。黒焦げになり、身元も分らなくなった遺体の山や遺骨の散乱する焼け野原をさまよいました。私たちは、親を失った悲しさと心細さと、これからどうしたらいいのかという不安に押しつぶされていました。  今回の震災の孤児の方たちは、66年まえの私たちとまったく一緒でした。  私たちは、遠い昔の記憶のはずなのに、今回の被害の様子を知り、あの頃の自分の恐ろしさと不安を一挙に思い出しました。本当に苦しいです。  政府関係者の方々にお願いです。  どうか、孤児になった子どもさんたちを第一に救ってください。  どの被害者も大変なのは分かります。でも、親がいなくなるということは、子どもにとっては生きる基礎を失うことです。悲しくても心からすがれる存在がなくなるということです。  そして、今後、精神的な苦しみや物理的な不自由、有形無形の差…

続きを読む

中国の民族問題学習会へ

日中友好協会・江東支部主催で上記「学習会」が開かれるとのお知らせをいただきました。来週の土曜日25日、場所は江東区・東陽町産業会館、講師は協会本部事務局長の矢崎光晴氏です。    中国の民族問題について         学習会 と き:6月25日(土) PM1:30~ ところ:江東区東陽町産業会館 2F 講 師:矢崎光晴さん      日中友好協会本部事務局長 主 催:日中友好協会江東支部      03-3644-0692            飯島方 【注】2009年7月、中国西北部のウイグルのウルムチでウイグル族と漢人(多数民族)との間で大規模な衝突事故が起こり、全世界に発信されました。その際アメリカなど西欧諸国は、「漢民族によるその他少数民族の支配は中国の人権問題にある」との批判に「これは中国の内部問題だ。余計な干渉は拒否する」などの応酬があり、大きな話題となった。今回はその問題の本質について日中友好協会の矢崎光晴氏が解明する。

続きを読む

今こそ役に立つ防災対策を

今日6月11日は東北大震災から3か月。身の毛もよだつあの日のことを思い出すたびに次はどうする? と誰しもが考えるでしょう。地元の江東区は? 江東区民オンブズマンの会・幹事の矢野政昭氏がこのほど出された同会機関紙で提言をしています。紹介しましょう。  東日本大震災に多くの住民から、江東区の防災対策本部への提言や要求が出されています。第一は、区の防災無線への要求です。3月11日も放送はあったものの、内容が聞き取れない地域が多く、改善すべきだとの要求です。その後も金町浄水場が放射能で汚染され、乳児がいる家庭のミネラルウォーター配布の放送が全く聞こえませんでした。区は、8年前聞こえるかどうか、調査したとのことですが、超高層マンションが増え、当時とは状況が大きく変わっており、新たな調査が必要になっています。  第二は、震災の時区役所職員の任務がどうなるのか?決まっていないことです。3月11日も全職員に待機命令が出たそうですが、それぞれの任務が明確になっていなかったとのことです。  この機会にきめ細かな対応策をつくり区民にも広く宣伝することが大切です。今回の震災でどのような災害が発生するか予測可能になりました。今こそ、区職員と区民がまちづくりを含め話し合うことが重要です。

続きを読む

雨を楽しむカタツムリが・・・

「今日の日刊紙の“読者の広場”の写真をご覧くださいませ」とメールが、そして返信、「あまり写真が大きいので見過ごした。カラーの写真を送って! ブログに載せるから」とのやり取りが一昨日ありました。そして作ったのがこれ、白黒か、カラーか? 詩的な短文か、ちょっと書きこんだコメントか? どちらに軍配あがるのでしょう! 梅雨といえば“しとしと降るこぬか雨”が浮ぶ 紫陽花も、花にいる蝸牛も シットリ濡れながらー遊ぶ そんなイメージからほど遠い 土砂降りの雨と寒暖の差の激しさ 春と秋がなくなってしまったようなこの頃 でも、うちの小さな庭の紫陽花に 蝸牛が遊ぶさまは 自然の営みの“ずぶとさ”か   梅雨の風景  すなっぷ    寒さと例年より早い梅雨に戸惑う夕方、雨を楽しむカタツムリが。自然の営みは変わりませんね (牛山 鈴子 東京・墨田区)  【注】しんぶん「赤旗」6月8日の「読者の広場」紙面から。なお、紫陽花の花ことばは辛抱強い愛情、「謙虚」。

続きを読む

今年の花咲きデモ6月8日

江東区の恒例行事「花咲きデモ」が6月8日に行われます。「平和で、福祉の花咲く江東区に! いのちと暮らしと未来を守ろう」と、諸要求を束ねて東陽公園から江東区役所までデモ行進。請願書を集団で提出する催しです。今年は16回目。主催は江東区社会保障推進協議会。 ▼08年の花咲きデモ     <今年の願い> *災害に強い江東区を *後期高齢者医療制度の廃止 *国保料、介護保険料負担の軽減 *墨東病院の都立直営での存続 *無年金・年金生活の人が安心出来るよう *平和憲法の遵守 *特養ホームの待機者をなくす   など <お問い合わせ>  TEL 03-3640-2411

続きを読む

台湾から遠藤未希さん帰る

東北大震災のとき南三陸町で自らの安全を顧みず、町の防災無線で住民に高台への避難を放送し続けた遠藤未希さん。本ブログでも三度にわたり取り上げ多くの人の感動と涙を誘いました。あのとき一早く報道した台湾からこのほど未希さんへの哀悼とその偉業を記念して「未希号」という消防車が送られ、現地の人は感動しています。       台湾から感謝の消防・救急車    東日本大震災被災地の復興に役立ててもらおうと、台湾から消防車三台と救急車二台(計1億3千万相当)が送られてきた。台湾側の意向で救急車には中国人実習生20人を避難させ、後に自らは津波にのみこまれた女川町の会社社長・佐藤充さん(55)にちなんで「みつる号」。消防車には「未希号」と命名されるという。  部品会社を経営する洪水樹さん(52)は「台湾人の支援の気持ちを伝えたかった。『未希』は未来に希望があるという意味がある。復旧に向け、明るい希望をもってほしい」と話している。 (東京新聞6・26-社会面から) 【注】本ブログではこれまで遠藤未希さん関連の記事を3件掲載しています。以下アドレスをクリックしてください。なお、現在までの総アクセス数は535になっています。  http://38300902.at.webry.info/201105/article_6.html

続きを読む

大震災 奮闘する友応援

「私も、古希を迎える。これまでやってきたこと、考えたこと、政治や社会について、家族や友人に言いたいこと、無性に書きたいことがある」との希いで、このほど自費出版を果たした男がいる。40数年来の畏友・鈴木康吉氏だ。その彼が「しんぶん『赤旗』」に投稿した。短文だが要を得て大震災に寄せる想いが滲んでいる。    昔、東京で一緒に活動した友人がUターンして岩手県一関市に住んでいる。なんと、共産党の市議と一緒に陸前高田市で毎日、がれきの撤去に奔走しているという。  私より年が上だから70をとうに過ぎているはずだ。頑丈な体の持ち主だったから、きっとみんなに頼りにされているに違いない。そこで、ささやかだが、最近、自費出版したエッセー集の売り上げを募金に充てることにしてこの友人に送りつづけている。  その都度、お礼の電話が入るが、誠実な人柄はいまも変わらない。                               (東京・江東区 鈴木康吉・69歳)      <鈴木康吉さんのこと>    この本の著者、鈴木康吉さんは、私が講師をつとめる(公財)江東区文化コミュニティ財団・古石場文化センター自分史講座の同人です。  鈴木さんは早くから木を相手の仕事を続け、働く者の立場から政治に関心を持ちました。そして実際に、区議会議員を七期つとめるなど、政治活動をしてこられたのです。その成果は、本書を読まれるとわかりますが、地域にしっかりと足を付け、困った人、弱い立場の人たちの相談に乗…

続きを読む

オンブズマンが行く83号㊦

全国の地方議会でいま問題になっているのが「政務調査費」の無駄遣い。ここ江東区も例外でなく、江東オンブズマンのターゲットになってきた。「江東オンブズマン機関紙」でも幾度となく取り上げられ、区民のひんしゅくの的になってきた。5月号二面のコラムに掲載されている素朴だがピリッとした疑問を紹介しよう。    政務調査費で買ったOA機器     議員辞めたらどうなるの?   議員の政務調査費をチエックしていて気になることがある。9年前の少し古い話しで恐縮だが、引退するA議員が「行政視察」と称して政調費でスイス旅行をやった。公費200万円全額使い切っていた。そもそも政務調査費は、規則で定める使途基準に従って、「区政に関する調査研究び資するもの」と決められている。引退直前だから視察報告の機会もない。それを承知で海外旅行である。  ところで今回、区議会の政調費のチエックをしていて、かのスイス旅行が甦った。各議員が競うようにパソコンやデジカメ、高価なメモリーなどを買い求めているではないか。会派の人数。OA機器の耐用年数などを計算してもあまりにも多い計算だ。  今年引退された議員さんは5人、落選議員も5人いる。現職時代に政務調査費で買った物品はどうなるのだろうか?疑問は晴れない。

続きを読む

オンブズマンが行く83号㊤

「区民の目で区政をチエック!」をスローガンに掲げて7年間。今回で83号を数えることになった江東区のオンブズマンの目がキラリと光る。一面は「職員報償費とはなんだ!?」と追及し続けているのがいい。加えてこの機関紙の下欄のコラム・「声」がソフトで読ませる。筆者は鈴木康吉氏だ。紹介しよう。  四月は一斉地方選挙がありました。五月五日の子どもの日に朝日新聞の「声」欄に素敵な投書を見つけました▼東松山市の男性が「市議選の女性候補者が誰も聴いていないのに真剣に政策を訴えていた」ほとんどの候補者が名前の連呼なのに・・・。と見たらランドセルを背負った女の子がひとりジーと真剣に聴いていた。その子に「今の話わかった?」と聞いたところ「難しいところもあったけれどわかる」「お母さんに大事な話はちゃんと聞くように言われています」と言ったという。こういう子や候補者がいることに心温まる!こんな内容でした▼まてよ!「この候補者もしかして!」と共産党の市議団にメールを送りました。案の定「○○議員です。投書者の●●さんは元高校の教師で素晴らしい人」と教えてくえました。何か思いがけない拾いものをしたようでうれしかった。

続きを読む

アグネス スメドレー

アグネス・スメドレー(1894~1950)5月6日、この日死んだアメリカの女流評論家。夫とともにインドの独立運動を支持して禁箇刑を受け、のち新聞記者として中共軍に参加。アジア解放のため生涯をささげた。著書に『女ひとり大地を行く』『偉大なる道』。  【名言】 ●真理はそれが普遍性をもつときに初めて真理であって、私にあてはまるだけでは決して心理ではないということを。 ●私が白人に生まれて黒人に生まれて来なかったこと、自由人であってドレイでないこと、これらは単に偶然にすぎない。      【追記】    学生時代に「女ひとり大地を行く」を文庫本でむさぼり読んだことを思い出す。また本稿を書くにあたって調べてみたら宮本百合子がこの自伝について論評をしていることを知った。

続きを読む

今日はマルクスの生誕日

1818年5月5日、かのカール・マルクスがドイツのトリー市に生まれた。科学的社会主義の創始者として知られるが、彼の人となりについては本ブログでも09年に桑原武夫編による「一日一言」で紹介しているのでご参照ください。アドレスは→http://38300902.at.webry.info/200905/article_5.html    マルクスのすきな格言は「非人間的なことは私の関知しないところである」が有名。なお、いま「マルクスは生きている」(不破哲三著)がよく読まれている。

続きを読む

5月1日 最初のメーデー

「1920年のこの日、日本最初のメーデーが、東京上野公園で、約一万人の労働者によって祝われた」と岩波新書・「一日一言」に掲載されているので紹介しましよう。記事明細は昨年の本ブログを参照ください。アドレスは次の通り。 http://38300902.at.webry.info/201005/article_1.html  ▼1952年5月1日、満州っ子もここにいた。

続きを読む

江東オンブズマンが通信簿

「区議会議員の働きぶりをチエックし、通信簿を付けようとするオンブズマンは、会議録を調べて驚きの声をあげました。一年間の審議でたった一回しか『質問の挙手』をしなかった議員が三人もー」こんなリードの江東オンブズマン機関紙・4月号を初旬に頂いていた。選挙前とて少しばかりえげつない思いもしたので躊躇していたが・・・・・・。   トップの議員は52回挙手   江東区議会には、厚生委員会や文教委員会など、五つの常任委員会、医療・介護など四つの特別委員会があります。委員は毎年改選されますが、一年間でたった一回しか質問していない議員が三人もおりました。  年間四回の定例会がありますから、一委員会は少なくとも四日間参議されます。区民委員会で一人。建設委員会で各一人、一回質問しただけでした。ちなみに最高の質問者は、共産党のO議員、一人で52回挙手をし、質問していました。一回だけの質問は、公明で二人。民主クで一人でした。 【追記】まだまだこの稿続きますが止めることにした。区議会とて言論の府。なのに、これ一体なんなの?あきれ果てると同時に何も回数が多ければそれでいい、とも言えないだろうから。

続きを読む

倍賞千恵子「この道」最終回

東京新聞夕刊掲載の倍賞千恵子さんの「この道」が昨日で最終回を迎えた。50回に及ぶ連載だったが期待通り、彼女の歌手・俳優・講演者など八面六臂の活躍に大変興味深く読ませていただいた。とりわけ「寅」さんこと渥美清さんとの思い出をつづった「お兄ちゃん」(廣済堂出版)は購入して読んだほどだ。以下最終回の締めを少し引用させていただく。  6月29日の誕生日で満70歳になります。今年は映画デビューから50周年にもあたり、ダブルで区切りの年です。スタッフたちの発案で、誕生日に大好きな北海道で記念コンサートを開くことが決まりました。新たな出発の年にしたいと思っています。  振り返れば、私は多くの方たちに支えられてここまでやってきました。芸能界への道筋をつけてくれた両親。山田洋次監督、そして「お兄ちゃん」の渥美清さんほか俳優仲間たち。 (中略)  支えてくれる人がいるというのは、ありがたいことです。人と出会う中で、血がつながっていなくとも、付き合いが深くなれば家族みたいになることを知りました。私は人が好きです。自然が好きです。  最後にこの言葉で私の話は“クランクアップ”です。「出会えた皆さんに感謝と愛を」 (おわり) 【追記】この本について倍賞さんは 「この本には渥美さんとの思い出だけでなく、自分が歩んできた道についても触れました。昔のことを思い出しながら、さまざまな出来事や出会った人たちのことを書きました。自分を見つめ直すいい機会になったと思っています。 (「この道ー39…

続きを読む

大江健三郎さん沖縄で勝訴

「太平洋戦争の沖縄戦で旧日本軍が住民に『集団自決』を命じたとした作家大江健三郎さん(76)の著書『沖縄ノート』の記述をめぐる訴訟で、最高裁決定で勝訴が確定したのを受け、大江さんが22日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見した」(東京新聞4月23日付ー社会欄)        「沖縄は日本人の課題」  「沖縄戦の真実は戦後ずっとあいまいにされている。本土の日本人が沖縄の日本人に何をおこなったか、はっきり述べる手掛かりになる」と力を込めた。  「沖縄」と「ヒロシマ」。評論の分野で一生をかけてきた仕事として、先の大戦がもたらした二つの問題を挙げた大江さん。集団自決への「軍の関与」を認めた一、二審判決を支持した最高裁の判断に、「強く励まされた」と安堵の表情を見せた。  一方で、現在も沖縄を苦しめ続ける米軍基地問題に言及。「今が戦後一番の分岐点。震災で影が薄くなったという人もいるが、原発や震災とともに沖縄の未来は、日本人の大きな課題であり続けなければならない。  もう一つの原爆問題についても「廣島・長崎で私たちが得たのは、原子力の利用には慎重でなければならないということ。福島第一原発の教訓を強く受けとめなければ、未来はない」と語った。 【追記】「沖縄詩人といわれて65年、永井和子さんがかってこんな詩を書いたことを思い出す。         小指の痛み 小指の痛みを知らずに暮らした19年の間に 小指は傷つき病み果て ちぎれ落ちそうになってしまった 昔その島は日…

続きを読む

シェイクスピア 名言集「恋」

シェイクスピア(1564~1616)4月23日、この日死んだイギリス最高の劇詩人。以後のヨーロッパ文学に最大の影響をあたえた。『ハムレット』『おせろ』『マクベス』『風』などが著名だが、その名言が人々に衝撃を与えてきた。ここに「恋」に関わる名言を少し紹介する。    【シェクスピア名言集ー「恋」】 ・とめればとめるほど燃えたつのが恋です ・恋は目で見ず、心で見るのだわ ・友情は多くは見せかけであり、  恋は多くの愚かさにすぎない ・友情は不変といってよいが、  色と恋が絡めば話は別になる ・誠の恋をするものは、  みな一目で恋をする ・本を読んでも、物語や歴史に聞くところでも  真実の恋は滑らかに進んだためしがない

続きを読む

倍賞千恵子さんと「悲しい日」

倍賞千恵子さんの半生を語る東京新聞のコラム・「この道」が昨日、36回になりました。SKDのダンサーとしてのデビューから歌手、俳優として年月を重ね多くの人との出会いに胸ふくらませてきた倍賞さんです。その倍賞さんにとって「悲しい日」がやってきました。かけがいのない人との別れでした。  1996年8月4日は私にとって生涯忘れられない悲しい日。「寅(とら)さん」こと渥美清さんが亡くなった日です。私は妹の「さくら」。「お兄ちゃん」と呼んでいたあの渥美さんにもう会えなくなったのです。  悲報に接したのは、山田洋次監督からかかってきた電話でした。「倍賞クン、渥美ちゃんいなくなっちゃったよ」。私はおろおろするばかり。「なんでなんで、どうしてどうして」・・・・・・。 【注】数日前テレビで「男はつらいよ」のデジタル版が上映された。お兄ちゃんに、てこずりながらも気配りする「さくら」の姿が・・・。

続きを読む

倍賞千恵子が高倉健さんと

東京新聞に掲載「この道」の倍賞千恵子さんの物語、昨日で(31日)26回目。「下町の太陽」で山田洋次監督と出会い、「男はつらいよ」で渥美清さんと兄妹役になって、本格的に女優の道を歩むことになった倍賞さんです。1977年に出会ったのがあの高倉健さん。「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」についてつづります。  健さんは皆さんが思うほど寡黙な人ではないと思いますヨ。コーヒー好きは評判通りで、ロケ地でも喫茶店を探してきては「この店のコーヒーはうまいっすよ」と連れて行っていただきました。  映画のラストで、たくさんの黄色いハンカチが風にたなびくシーンがありましたよね。今でも印象に残っています。でも撮影の時は、本番まで知らされていなかったのです。だからその光景を目にしたときは、本当に感動しました。  一昨年、何十年ぶりかで映画の舞台となった北海道夕張市を訪ねました。ロケ現場の炭鉱住宅は、観光施設として活用されていました。「自分のやった仕事の跡がこうして残っているんだ」と思うと感動で胸が熱くなりました。  東日本大震災の被災者の皆さんへ                              倍賞千恵子   東日本を襲った大震災。テレビの前でただおろおろしているだけで何もできない私は、本当に無力だという思いでいっぱいです。でも応援しています。心から精いっぱい応援しています。起きてしまったこと、今まだ起きていること、これからのこと、いろいろなことを考えながら一緒に困…

続きを読む

ミロ ヴィーナス

ミロのヴィーナス ヘレニスティック時代 1820年ミロ島で発見された美の女神ヴィナスの像。その製作年代には異説が多いが、B.C.5世紀以来各時代の作風を学んだ彫刻美の一典型とされる。(岩波新書・「一日一言」-人類の知恵ー桑原武夫編)   来日したことがある  1964年、このビーナス像は日本にもやってきたことがある。ビーナスを一目見ようと数百万の人々が殺到したといいます。現在はフランスのルーブル博物館に所蔵されている。

続きを読む

倍賞千恵子と男はつらいよ

東京新聞・夕刊の倍賞千恵子さん登場の「この道」が好評だ。3月1日にスタートして昨23日で19回を重ねてきた。大震災の記事に隠れているが被災者の心に明りを一つ灯すような連載にホットしている。歌手・映画俳優としてデビューの裏話が続けられてきたが、やはり待たれたのは「男はつらいよ」・渥美清さんとの出会いだった。 ▼「とらさん記念館」5周年であいさつする  1969(昭和44)年に「男はつらいよ」が始まりました。61年に映画界入りしてから76本目、63年に「下町の太陽」で初めてぎ一緒した山田洋次監督と十本目となる映画でした。まさかギネスブックに載るほど長いシリーズになるとは思ってもみませんでした。(中略)  「男はつらいよ」の撮影では、渥美さんの演技がおかしくて吹き出してばかりでした。  何かの拍子にふっと出るアドリブ、そして絶妙な間(ま)がすごかったですね。浅草の下積み時代に培われたのでしょうネ。キット、あんなすばらしい人はこれからも出て来ないでしょうネ。 【追記】連載はほぼ50回続くと聞く。いよいよ今日から「さくら」さん登場、話がどう展開していくのか興味深々だ。 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 HDリマスター版 [DVD]松竹ユーザレビュー:Amazonアソシエイト by

続きを読む

「歌謡曲」は「哲学」である 

「今、私は哲学と歌謡曲の関係について調べている。なにをバカな、と思う人も多いだろう。なぜなら、哲学とは理屈であり、歌謡曲とは理屈などどうでもよく、ひたすら情念を歌い上げるものだからである」という書き出しで、慶応大学教授の山内志朗氏が東京新聞・1月25日夕刊の文化欄で書いている。   消えない情念を肯定    この両者に関係などあるはずがないではないか・・・と。もっともである。しかし、私は根っからの歌謡曲ファンであり、二十年来、カラオケでの十八番は「天城越え」である。そして、歌い続けるうちに両者の関係が徐々に明らかになってきたのである。  では、実例を「襟裳岬」(唄・森進一、作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎、1974年)に見てみよう。  ♪北の街ではもう悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい    森進一のだみ声がやはりいい。森進一を代表する唄である。レコードの売り上げでは、「港町ブルース」や「年上の女」にはあなわないけれど、物まねでもよく歌われるのは、「襟裳岬」だ。人間の情念を唄うのに澄み切った天使の声は似合わないのである。森進一のだみ声、あれは情念がそのまま声になったような感じがする。今聞いても全然古くない。  歌詞を見てみよう。悲しみを暖炉で燃やすと唄っているのだが、これはどういうことか。理屈で考えると悲しみは燃やせるものではない。もしそんなことができたら、喜びをテンプラにしたり、怒りで凧揚(たこあ)げができてしまうではないか。   しかし待て待て、…

続きを読む

災害のとき 高齢者は!

東日本を襲った大地震、テレビの画面の惨状に釘づけになりました。 折もおり、66年前のの三月10日、死者10万人の東京大空襲を思い出させます。その江東区でも新木場・辰巳・豊洲など私たちの住んでいるまちで、大きなショックを与える爪痕を残しました。(機関紙「ふくわらい」から)   辰巳団地の被害状況を調査に   14日、一番被害がひどい辰巳団地十街区(人口1万人)の被害状況を自治会小田原事務局長(地震対策本部長)に案内していただきました。  十街区にある辰巳第保育園の園庭は当日2メートルの土砂が噴出、子どもたちは当分他の園に通園となりました。団地の通路も花壇も至るところ液状化による土砂が積まれたり、一面に広がっています。アスフアルトのひび割、下水管も破損しています。     階段が一段無くなる?   ある入口の階段の下のアスフアルトが陥没したため丁度階段が一段無くなったようになり、危険で使用禁止の張り紙が。電信柱は右に傾き、下水管の破損した家の下の階には汚水が流れたり・・・。  築40年以上の辰巳団地(ゴミ処理のため東京湾を埋め立てた)、高齢化が進んでいます。「一人では部屋に怖くていられない」「夜心配で眠れない」の高齢者の声が届いています。  東雲の都営住宅では、家具、食器の倒壊、風呂釜の破損など後始末や修理で大変です。テレビのテロップが報じている亡くなられた方のお名前と年齢、70~80歳が圧倒的です。    「災害のとき、高齢者は・・・」、東日本大地震で被災…

続きを読む

原 民喜 没後60年

原 民喜[はら・たみき](1905~1951)昭和26年3月13日、この日西荻駅にて鉄道自殺。きわめてこまやかな感覚で美しい短詩を書いた。故郷の広島で原爆にあい、その追憶に耐えきれなかった。没後60年、46歳だった。『夏の花』。慶應義塾大学に学び、死後、後輩の遠藤周作氏が評伝を書いている。 天ガ裂ケ 街ガナクナリ 川ガ ナガレテイル    オーオーオーオー    オーオーオーオー 夜ガクル 夜ガクル ヒカラビタ唇ニ ヒリヒリ灼ケテ フラフラノ コノ メチャクチャ 顔ノ ニンゲンノウメキ ニンゲンノ 【注】生前口癖のように言っていた言葉に「自分のために生きるな、死んだ人達の嘆きのために生きよ」がある。

続きを読む