満州っ子 平和をうたう

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<<   作成日時 : 2008/08/05 11:11   >>

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 神島利則(かみしま・としのり・大正13年生まれ)は、旧満州・公主嶺小学校を卒業後、新京(当時)一中に入学し、その後拓殖大学に進んだ。昭和18年9月、第13期飛行予備学生として土浦海軍航空隊に入隊し、飛行訓練を受けた。19年10月ころ台湾の台南海軍航空隊に移り、19年12月11日、聯合艦隊布告第八五号により、神風特別攻撃隊第七金剛隊に命ぜられた。

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      神島中尉フィリピンで戦死 
 
 第七金剛隊には澤本祐嗣中尉(金沢高工)、織田真伉中尉(台北大)、神島中尉(いずれも十三期予備学生)若林良茂上等飛行兵曹、佐藤国一上等飛行兵曹(いずれも予科練出身、熟練のゼロ戦パイロット)の五人の名前がある。
 昭和19年12月15日、午前六時三○分、第七金剛隊は特別攻撃機として、250キロで爆装のゼロ戦三機、直援のゼロ戦二機の編成でセブ島の飛行場を発進した。目標はレイテ湾のアメリカ軍中型輸送船団であったが、戦果は不明である。未帰還機は五機。神島も遂に帰らなかった。享年21歳。二十年5月、中尉から少佐に二階級特進された。
 遺族が神島の戦死を知ったのは19年12月末であるが、公表されたのは20年5月で、小松甲子郎(37回生)は「新京一中での朝礼で、校長が同校一年に在学する弟の至正(現姓・永井至正)を壇上に立たせ、兄のことを生徒たちに紹介した」ことを記憶している。
 

【注】以上は「満州・公主嶺小学校/過ぎし40年の記憶」誌に編集委員の土屋洸子さんが記述したもの。それに永井至正が若干の追加、補筆した。

▼画像がかすんでいるのは目がうるんでいるから 
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神島利則君をしのぶ (三村勉 小学校の同級生)
 
 昭和20年4月、私は特別幹部候補生として千葉の騎兵学校に在学中、病気のため千葉陸軍病院に入院。そこで「とんちゃん」こと神島利則君が神風特攻隊の一員として戦死したことを知った。
 同じ公主嶺に生まれ育ち、小学校まで共に過ごした。私とは全く対照的な性格の持ち主であったが、何となく気が合って、よく一緒に行動した。
 彼は新京一中と進み、汽車通学をしていたが、よく車中で私の所へやって来て数学の質問をしてきた。商業科目が余り好きではなかった私にとって、彼と数学をやることは大変楽しいひとときだった。
 彼は小柄ではあったが、からだ一杯にあふれるような精気に満ちていて、その独特な身構えが実に見事であった。その生き方も憎めない暴れん坊といった調子であった。
 中学四年の終わりごろ、その大暴れが原因となって、中学を退行処分となる騒ぎとなった。彼は教室に机、椅子を積み重ねて抵抗した。私は単身、中学に乗り込んで説得した。学校側との話し合いで、彼は中学四年終了の資格で拓大の三年制予科の一年に入学した。昭和15年の春のことであった。

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