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zoom RSS 山田和夫描く「特攻映画」E

<<   作成日時 : 2011/06/07 06:37   >>

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「その瞬間、彼らはまだ生きていた」−特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫

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 もう一つの「ベストシーン」を含む特攻映画がある。「人間魚雷回天」と同じ須崎勝弥がシナリオを書き、東映任侠映画の巨匠と呼ばれた中島貞夫監督の「あゝ同期の桜」(1967年)である。中島監督の他の作品から(失礼ながら)まさかこれほど鮮烈な反戦映画をつくられようとは、本当に想像が出来なかった。私はこの映画のラストシーンをめぐって、かなりの葛藤(かっとう)があったことを聞き、そのことを拙著『日本映画の現代史』(新日本出版社)などに書いた。しかし、2004年に出た中島貞夫著『遊撃の美学・映画監督中島貞夫』(ワイズ出版)を読むと、この作品に一章を割き、「ラストシーンでの会社との攻防」がくわしく語られている。伝聞による私のかっての記述は単純化していたうらみがあった。

 映画は任侠映画の路線で企画され、松方弘樹、千葉真一、夏八木勲、高倉健、鶴田浩二、藤純子、佐久間良子ら、東映ヤクザ映映画おなじみのスター総出演だから、あるいはとんでもない特攻映画が出来ていたかも知れないが、結果は大きく違った。中島監督は「戦争における死は、すべて惨死であり、犬死にである」とする断固とした考えの持ち主。そして映画の原作「あゝ同期の桜」は、海軍14期予備学生の遺稿集で、第14期の生き残りたちは同僚の須崎勝弥をシナリオライターに押し、映画化の条件にした。

 須崎は中島の戦争観に同意した。会社側の意図したカッコいい戦争物としての特攻映画は姿を消した。大スターたちも決して美化され、英雄化された人間ではなく、赤裸々な人間的感情を吐露する生きたイメージとなった。その集中的表現となったのが、有名なラストシーンである。


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 完成映画を見た私は一瞬息を呑んだ。記録フィルムで特攻の突入シーンがくり返し映し出される。そして最後に一機が米空母に突入する瞬間、画面は動きを止めた。そこへテロップが入る。「その瞬間、彼らはまだ生きていた」。死を強制された若者たちの命を惜しむ熱い思い、それをこれほど強く感じた映像表現はない。それが大問題になった。大川博社長は切れと言った。「反戦的」で「左翼的」だと言うことらしい。実は中島監督の自著によると、ストップモーションのあと、再び画面は動き出し、突入機は空母に命中せず、海中に墜ち、「この時から僅か四カ月、戦争は終わった」ともう一押し押していた。結局、このストップモーション以後は切られてしまったが、「その瞬間、彼らは生きていた」のストップモーションは生き残った。「ラストシーンが切られていたら、僕は映画を辞めていましたね」と監督は書いている。

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 この自伝的回想を読んで、あの短いけれど永遠に忘れられない強烈なワンカットは、監督のこれほど熱い思いと激しい会社とのたたかいの結果かちとられたものであること、日本の映画人は自分の良心に賭け、職を賭してたたかい抜く勇気を持つことを知って感動した。この著書が出る少し前に、京都映画祭の委員長であった中島監督とお会いする機会があった。このラストシーンの感動をお話すると、ニッコリだれて「いやあれは会社とずい分もめましてね」と言葉少なに答えてくれた。その仔細は監督の著書で明らかになった。

 意外と知られる機会がなく、また見られることも稀な作品だが、ビデオが出ているのでぜひ一見してほしい日本映画の秀作である。特攻隊は「輝いていた」などと放言を吐く連中は、このラストシーンだけでも見直すべきであろう。

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