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zoom RSS 「生命を生きる」に寄せて 牛山れい子@

<<   作成日時 : 2015/01/14 06:57   >>

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ほどなく「合唱団この灯」の2015年演奏会が「ティアラこうとうで」で開かれます。プログラムの第3部のなかに「生命(いのち)を生きる」という新曲が目に止まりました。このほどこの曲の誕生にかかわる痛ましくも壮絶な秘話を、作詞者の牛山れい子さんから寄せていただきました。

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  空襲の実相と私の実体験  牛山鈴子
 
 私の書いた詞(ことば)に曲がついて、コンサートで歌われることになりました。、今でも”これは夢ではないか?”と思うときがあります。70余年の人生の中のはじめての経験に戸惑っているのが率直なところです。
 内容は、空襲の実相と私の実体験ですが、説明をしないと分かりにくいので、少し長文になりますが書かせていただきます。よろしくお願いいたします。
 この詞を書いたのは、東日本大震災の大津波と福島の原発事故の被害と被害者に想いを寄せて、団員(合唱団この灯)が詞を書いて創作曲をつくろう!ということになった時です。


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 2011年3月11日、一瞬にして命を奪われた人々や家族、友人、財産を奪われた方々の想い、原発で避難生活を余儀なくされて見知らぬ土地で暮らさなければならない方々への想いを、つたない詞にしました。
 その一日前の3月10日は、1945年に東京大空襲があった日です。眼の前のテレビで放映されている津波で亡くなった方たちや家族、家、財産を一瞬のうちに失った方たちの姿が、東京大空襲の凄惨な場面と重なって、涙が止まりませんでした。
 その時、戦争や空襲、原爆で失った尊い命を今、私は、生きている!と強く思いました。その想いで書いたのが、「生命(いのち)を生きる」でした。


   馬が死んで、なんで父が死ぬのだろうか?
 
 「生命(いのち)を生きる」の1,2,3番は、東京大空襲訴訟で出会った空襲体験者と親兄弟を失った孤児の方々の体験です。最後の4番に、私の体験を書きました。
 「あなたのお父さんは、馬を死なせてしまった部下の責任をとって”自害”したのよ」と話してくれたのは、母の妹、叔母でした。母は、父の死に方や戦争の体験をひとことも私に話しませんでした。
 叔母の言葉は、中学生の私には重く、苦しく納得のいかないものでした。「馬が死んで、なぜ父が死ぬんだろうか?」「母や私のことを考えなかったのだろうか?」「戦争って何だろう?」など大きな疑問を抱きました。
 この疑問を解くことが、私の生き方の原点になりました。


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】 「生命(いのち)を生きる」の歌詞 4番 なお、全文は以下
               http://38300902.at.webry.info/201406/article_21.html 

 
 4.馬が死んだから 責任を取って死んだという
   天皇陛下の馬だから・・・
   人間より馬が大事だという
   父は27歳だった
   ひっそり泣いていた母 49歳までの生命(いのち)
   戦争は決して許さない!
   今わたしは 70歳 父、母の生命(いのち)を生きている
   明日(あした)も生命(いのち)を生きていく
   未来に向かって生きていく

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