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zoom RSS NHKドラマ「どこにもない国」を見て Mー2

<<   作成日時 : 2018/05/14 05:14   >>

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 (中略)1945(昭和20)年8月15日以後、日本人は「日本人小学校で自決する」と決めましたが、母親たちが「子どもを連れて日本に帰る」と反対して、馬車を雇って、公主嶺へ行きました。残ったのは、副県長、協和会の方、日本人会会長等々7軒ほどで、召集された兵隊さんが帰ったときに備えてでした。(山田典子)
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 父は、日本人会会長でしたので、伊通に残りました。
 8月29日夕方、暴動が起きた時、わが家のみ助かりました。私たち子ども(弟、4人の妹)や祖母、母、いとこのお嫁さんは、中国人の家にかくまってもらいました。翌朝、大広場に連れていかれて、もうだめかと思いましたが、中国人が「大宮先生は、中国人も日本人と同じに病気を見てくれたから、殺さないで」と言って下さいました。それで、生後3日の妹も、警察の牢獄に夕方まで入れられましたが、助かりました。診察室も、住居も、全部掠奪されていました。父は、中国人のボーイさんの家に逃げて、翌日戻ってきました。この日から日本に帰るまで、伊通の日本人は、わが家1軒のみでした。
 私は、伊通の中学校、長春の高校(寄宿舎に入寮)に入り、勉強しました。1950(昭和25)年に朝鮮戦争が始まり、高校の同級生も志願して戦争に行きました。高校の1500名ほどの生徒の中で、日本人は一人でしたので、よくクラスに「どの人?」と見にきたものでした。

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