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zoom RSS テーマ「神風特攻」のブログ記事

みんなの「神風特攻」ブログ

タイトル 日 時
昭和20年4月7日 戦艦「大和の最期」
昭和20年4月7日 戦艦「大和の最期」  1945(昭和20)年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸して以来、沖縄・南西諸島では陸・海・空で死闘が繰り広げられていた。そうした中、戦艦「大和」が沖縄戦最期の切り札として、呉軍港を出航したのが4月6日。そしてこの日出撃して帰らなかった特攻機は陸海あわせて420機だった。 ...続きを見る

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2017/04/07 05:22
「もう、帰ってくるな!」 と、基地司令官
「もう、帰ってくるな!」 と、基地司令官  「敷島の大和心を人問えば朝日に匂う山桜かな」といえば知る人ぞ知る一首。太平洋戦争の末期、1944(昭和19)年10月、神風特別攻撃隊の先陣を切った4隊のネーミングに使われた本居宣長の短歌である。若者は敷島、大和、朝日、山桜という美名に煽られて死地に飛び立った。 ...続きを見る

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2016/10/25 06:23
「10月になると思い出す」 学徒出陣
「10月になると思い出す」 学徒出陣  今日は10月21日。1943(昭和18)年のこの日、昭和初期の世代の人なら忘れもしない小雨降る神宮外苑での「学徒出陣壮行会」。参列した学生たちのうち何人がふるさとに帰ってきたでしょうか。紙一重で生還を果した人たちも、生きながらえていれば90歳を過ぎ、もうほとんどの人が黄泉の世界に逝ったことでしょう。 ...続きを見る

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2016/10/21 07:19
甦る 兄の戦友からの年賀状
甦る 兄の戦友からの年賀状 「明けましておめでとうございます。いつの間にか。80代最後の正月を迎えることになりました。多くの戦友知己に先立たれ、哀しさを感じています」。これまでの年賀状を整理していたら、こんな文面のものに思わず釘づけになった。それは木名瀬信也先輩の手書きの賀状だった。 ...続きを見る

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2016/02/16 07:19
新 満州・公主嶺小同窓誌 エピソード −14−
新 満州・公主嶺小同窓誌 エピソード −14− 昭和20年4月、私は特別幹部候補生として千葉の騎兵学校に在学中、病気のため千葉陸軍病院に入院、そこで「とんちゃん」こと神島利則君が神風特攻隊の一員として戦死したことを知った。(437頁上段) ...続きを見る

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2015/12/17 09:48
昨日は兄貴が死んだ日 「ダンチョネ節」歌う
昨日は兄貴が死んだ日 「ダンチョネ節」歌う 昨日は12月15日。子どものころ可愛がってくれた兄貴が、1944(昭和19)年、フイリピンで神風特別攻撃隊の一員として、21歳で死んだ日だ。あれから71年、身内はもう俺一人になった。供養する家族は他に誰もいない。 ...続きを見る

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2015/12/16 07:46
あのとき歌った この歌 −30−
あのとき歌った この歌 −30− 日本の敗色が濃くなった1944(昭和19)年、中央大学の学生たちも勤労動員に駆り出され、軍需工場で働いていた。これらの動員学徒にも、次々と召集令状が舞い込み、毎日のように誰かが入隊していった。 ...続きを見る

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2014/12/17 08:11
あれから70年 特攻死した兄をしのぶ
あれから70年 特攻死した兄をしのぶ 昭和62年に旧満州 公主嶺小学校の同窓会が発刊した「満州 公主嶺過ぎし40年」という記念誌がある。そのなかには特別に紙面が割かれ、少年時代の同窓生が書いた兄・神島利則への追悼文が2篇掲載されている。いずれも友の死を悲しみ、追憶の言葉で刻まれている。 ...続きを見る

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2014/12/16 06:44
あれから70年 特攻死した兄をしのぶ
あれから70年 特攻死した兄をしのぶ 1944年12月15日、満洲・公主嶺小学校出身の神島利則海軍中尉がフイリピンで特攻死した。あれから70年、1962年に発刊された「同窓会誌・満洲・公主嶺 過ぎし40年の記録」に2ページを割いて彼の生き様が記述されている。以下紹介する。なお、同記事は土屋洸子さんが執筆したものと聞いている。 ...続きを見る

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2014/12/15 07:10
あれから70年 特攻死した兄をしのぶ
あれから70年 特攻死した兄をしのぶ 兄・神島利則(かみしま・としのり)海軍中尉(1923〜1944)昭和19年12月15日、この日神風特別攻撃隊・第七金剛隊の一員としてフイリピンで突っ込んでいった。享年21歳。彼の故郷は当時日本の支配下にあった旧満州・公主嶺。母神島トミが利則戦死の通知を受けたのは同月23日のことだった。 ...続きを見る

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2014/12/14 08:35
コラム「雲流れる」永井至正I
コラム「雲流れる」永井至正I 1940(昭和15)年、世は戦時色にあふれていた。8歳の小学生の私は兄に手をとられて九段坂を上っていた。「いつか、きっとここで会えるからからなあ・・・」。よく覚えていてくれと言われていた。 ...続きを見る

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2014/10/29 06:58
神風特別攻撃隊の戦死者数
神風特別攻撃隊の戦死者数 1944(昭和19)年10月25日(フイリピン)から終戦の1945(昭和20)年8月15日(沖縄)までの神風特攻の総戦死者数は、「海軍飛行専修予備学生誌」(1993年発行、生還者たちの編集による記録誌=全550頁)によると2483人とある。 ...続きを見る

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2014/10/28 07:17
神風特攻の第一陣は10月25日でない
神風特攻の第一陣は10月25日でない 昭和の戦争史(70年前のことともなれば、太平洋戦争はもう歴史の範疇に入る)をひもとけば、あの神風特別攻撃隊の第一陣は1944(昭和19)年10月25日の関行雄大尉率いる敷島隊とされ、大本営もそう発表、軍神としてあがめられたが実情はそうでなかった。 ...続きを見る

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2014/10/25 05:50
コラム「雲流れる」永井至正D
コラム「雲流れる」永井至正D 「自爆テロもとをたどれば特攻隊」という川柳をある新聞の文芸欄で見て思わず釘づけになりました。自爆テロと特攻隊は同義語としてさげすんだのか、それとも大儀に生きる人間のルーツは「日本にあり」と賞賛したいのでしょうか。 ...続きを見る

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2014/10/17 06:05
特攻隊員の言葉 世界に伝えたい
特攻隊員の言葉 世界に伝えたい 一昨日(2月5日付)の東京新聞朝刊が、二面に南九州市が知覧特攻平和会館に所蔵されている特攻隊員の遺書333点を、世界記憶遺産に登録、申請したことを報じている。全文を紹介しよう。 ...続きを見る

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2014/02/07 11:07
兄・神島利則中尉特攻死
兄・神島利則中尉特攻死 昭和19年12月15日は兄・神島利則中尉が特攻死した日だ。この日神風特別攻撃隊・第7金剛隊の一員としてフイリピン・ネグロス島近辺で突っ込んでいった。21歳だった。彼の郷里は当時日本の植民地であった満洲・公種嶺市。母神島トミが利則戦死の通知を受けたのは23日のことだっった。 ...続きを見る

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2013/12/15 06:33
神風特攻第1号は10月25日でない
神風特攻第1号は10月25日でない 昭和の戦争史(69年前の出来ごとともなれば、太平洋戦争はもう歴史の範疇に入る)をひもとけば、あの神風特別攻撃隊の第一陣は1944(昭和19)年10月25日の関行雄大尉率いる敷島隊とされ、大本営もそう発表、軍神として讃えたが実情はそうでなかった。 ...続きを見る

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2013/10/25 10:12
バタヤン(田端義夫さん)が亡くなった
バタヤン(田端義夫さん)が亡くなった テレビが田端義夫さんの訃報を報じている。94歳だったという。特攻隊で戦死した兄貴の愛唱歌が「別れ船」だったから懐かしさがこみあげてくる。このブログでも再三取り上げてきたが、一昨年の記事をリンクしよう。兄も存命だったら89歳になる。 ...続きを見る

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2013/04/25 15:52
小森まどかさん きり絵「原画」展
小森まどかさん きり絵「原画」展 しんぶん「赤旗」(4月12日付)の「くらしの情報」で小森まどかさんの”きり絵「原画」展が開かれることを知りました。これまでも、何回か機会を得ながら体調不良で行くこと叶わずじまいでしたが、万障繰り合わせて行くことにします。以下お知らせ版です。 ...続きを見る

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2013/04/14 05:37
4月6日 沖縄と「満州っ子」
4月6日 沖縄と「満州っ子」 1945(昭和20)年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸して以来、沖縄・南西諸島では陸・海・空で死闘が繰り広げられていた。そうしたなか、戦艦大和が沖縄戦最後の切り札として呉軍港を出港したのが4月6日。そしてこの日出撃して帰らなかった特攻機は420機。 ...続きを見る

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2013/04/06 14:38
特攻 若者を死なせてはいけない
特攻 若者を死なせてはいけない 昭和19年10月25日、神風特別攻撃隊の第一陣といわれている関行雄大尉率いる「敷島隊」がフイリピンのレイテ湾に突っ込んだ日だ。あれから68年、いまでは「知る人ぞ知る」と言ってよく、ほとんど歴史の彼方に消え去ろうとしている出来事になっている。若くして逝った隊員の遺族としてはやりきれない思いでいっぱいだ。 ...続きを見る

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2012/10/25 07:03
山田和夫さんが逝かれた
山田和夫さんが逝かれた 山田和夫さんが亡くなられたお知らせを受けてもう10日余りになる。映画評論家としての卓越した評論もさることながら、私自身は個人的なふれ合いもあって死の衝撃は言葉にならない。「日本映画がいい」と題して講演された江東区高齢者集会でのこと、ブログに論文の掲載をご家族から快くご承諾をいただいたことは忘れられない。 ...続きを見る

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2012/08/20 05:13
仰天! 日中友好新聞に零戦が
仰天! 日中友好新聞に零戦が 日中友好新聞、7月5日号をみて驚いた。5面に「中国この日」というコラムに7月6日は、ゼロ戦が試験飛行を行った日として書かれている。そして同機が中国侵略のために作られた戦闘機であるとして忘れてはいけないと結んでいる。しかし同機が大戦末期に特攻機として多くの学徒兵と共に消え去った事は一言もない。全文を引用しよう。 ...続きを見る

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2012/07/06 09:36
中村メイ子さんと特攻隊員 続
中村メイ子さんと特攻隊員 続 作家だった父、中村正常(まさつね)は「戦争文学を書くのが嫌いだった」と戦争中に筆を折りました。文化財が多いから空襲を受けないだろうと考え、私が子どものころ一家で奈良に疎開しました。平和そうな村で電車を降りて、「三人で暮らせる家はありませんか」とメガホンで叫び、家を探しました。 ...続きを見る

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2012/06/07 05:05
早乙女勝元さんと特攻隊員
早乙女勝元さんと特攻隊員 作家の早乙女勝元さんが「きけわだつみのこえ記念館」を訪ね、先の大戦で学徒出陣として、戦死した彼らの遺文、遺稿に痛恨の思いを寄せた。前回、そのなかで慶応大学出身、特攻で逝った上原良司少尉が恋人に宛てた手紙を紹介したが、戦後母校で開かれた彼の遺品展示会を見てみよう。 ...続きを見る

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2012/05/12 07:09
早乙女勝元さんと特攻隊員
早乙女勝元さんと特攻隊員 早乙女勝元さんといえば東京大空襲。その早乙女さんが「『わだつみの声』を聞こう」と題して、学徒出陣、若くして特攻で死んだ上原良司少尉のことを書いた。今の学生たちに先輩たちの苦悩と痛恨の思いを知ってほしいとつづる。(東京新聞・4・21−「東京どんぶらこー本郷」から) ...続きを見る

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2012/05/11 12:38
「敷島の大和心を〜」関隊長の秘話
「敷島の大和心を〜」関隊長の秘話 「敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜かな」,1780年5月7日、この日生まれた国学者・本居宣長の一首である。知る人ぞ知る、先の大戦で神風特攻の先陣を切った敷島隊ほか4隊のネーミングに使われた。これは敷島隊長・関行雄大尉の知られざる秘話である。 ...続きを見る

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2012/05/07 13:08
小森まどかさん 没後31年
小森まどかさん 没後31年 小森まどかさん 4月27日、この日、黒部山中で亡くなってから今年で31年。切り絵作家として将来を嘱望されていただけに遺族や後援者の方々にとっては無念の思いがつのるでしょう。私も未だ生の作品を目にしたわけでもないのに同じ思いでいっぱいです。 ...続きを見る

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2012/04/27 09:48
4月6日 沖縄戦と誕生日
4月6日 沖縄戦と誕生日 昭和20年4月1日、米軍が沖縄に上陸して以来、沖縄・南西諸島近海では空、海で死闘がくりひろげられていた。そうしたなか、戦艦大和が沖縄戦最後の切り札、水上特攻として呉軍港を出港したのが4月6日。そしてこの日出撃して帰らなかった特攻機は420機。「満州っ子」が生まれた日も4月6日(昭和7年)。奇しくも同月同日が生死の別れ目だったとは・・・。 ...続きを見る

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2012/04/06 05:31
「今語り継がないと」 高倉健さん
「今語り継がないと」 高倉健さん 片道だけの燃料の飛行機で敵艦に突っ込む特別攻撃隊(特攻)は、敗戦間近の日本軍国主義の無謀な戦略でした。犠牲者の多くは青年たち。今度の映画化の出発は、「今、語り継がないと忘れ去られてしまうようなことも映画なら残していける」という高倉健さんの思いでした。 ...続きを見る

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2012/04/05 06:21
小森まどかさんの切り絵
小森まどかさんの切り絵 しんぶん「赤旗」地方版の下欄に「くらしの情報」というのがある。さまざまな団体が各地で催すイベントの案内である。その多くは「命、平和、暮しなど差し迫つている諸問題」がテーマだ。毎回丁寧に見て重宝しているが今日はまた一段と興味をそそられた。それは小森まどかさんに関わることだったからだ。 。▼まどかさんのお母さん ...続きを見る

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2011/09/14 09:15
「満州っ子」英文で表示A
「満州っ子」英文で表示A 「満州っ子 平和をうたう」のうちテーマ「雲ながるる果てに」が英文に翻訳されています。前回@のように逐条記述します.今回は08年10月に掲載した「神風特攻隊の戦死者数」です。どなたが訳されたのか不明ですが、固有名詞、軍隊用語、日本語特有の言い回しについては私が若干の修正を加えました。 ...続きを見る

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2011/09/04 06:18
「満州っ子」英文で表示@
「満州っ子」英文で表示@ 昨日、私の「満州っ子 平和をうたう」にとっては驚くべき現象がネット上に表示されていました。それはテーマ「雲ながるる果てに」がすべて英文に訳されていたことです。ここで、2009年12月15日に、「兄、神島利則中尉特攻死」として配信したものを逐条的に転写、掲載しましょう。 ...続きを見る

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2011/09/01 14:42
「若菜集」から惜別の唄
「若菜集」から惜別の唄 八月といえば、あのとき、あの人と別れたことをしみじみと思う月。今年は太平洋戦争に突入してから70年。敗戦までの4年間、学徒出陣で逝った学生は何人いることか。送った人を偲ぶ歌、藤村の「若菜集」からとった「惜別の歌」をうたってみよう。今日8月22日(1943年)は島崎藤村が大磯で死んだ日でもある。 ...続きを見る

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2011/08/22 06:18
1945年8月10日の記憶
1945年8月10日の記憶 これは66年前軍国少年だった「満州っ子」の忘れられないメモリーの一つである。前の年の12月にフイリピンで零戦に搭乗、特攻死した兄の戦友たちが遠く大陸に飛来、その数日の間におきた悲しくも辛いエピソードだ。内山光雄海軍中尉ほか五人の若者の顔がいまでも忘れられない。 ...続きを見る

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2011/08/10 10:08
「満州っ子」石の上にも3年
「満州っ子」石の上にも3年 ブログ「満州っ子・平和をうたう」がスタートしたのが08年の6月9日。あれから丸3年、大病の後とて懸念しながらも続けることができました。これもこのブログを「お気に入り」に登録されるなど、多くの人の励ましとお心遣いがあってこそと思います。ありがとうございました。このスタイルでの表示は6月で終わり、新しいフォームで再スタートする予定です。 ...続きを見る

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2011/06/09 10:01
山田和夫描く「特攻映画」F
山田和夫描く「特攻映画」F 「その瞬間、彼らはまだ生きていた」−特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫 ...続きを見る

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2011/06/09 05:36
山田和夫描く「特攻映画」E
山田和夫描く「特攻映画」E 「その瞬間、彼らはまだ生きていた」−特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫 ...続きを見る

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2011/06/07 06:37
山田和夫描く「特攻映画」D
山田和夫描く「特攻映画」D 「その瞬間、彼らはまだ生きていた」ー特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫 ...続きを見る

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2011/06/06 05:08
山田和夫描く「特攻映画」C
山田和夫描く「特攻映画」C 「その瞬間、彼らはまだ生きていた」−特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫 ...続きを見る

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2011/06/04 05:44
山田和夫描く「特攻映画」B
山田和夫描く「特攻映画」B 「その瞬間、彼らはまだ生きていた」ー特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫 ...続きを見る

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2011/06/03 05:12
山田和夫描く「特攻映画」A
山田和夫描く「特攻映画」A 「その瞬間、彼らはまだ生きていた」ー特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫 ...続きを見る

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2011/06/02 06:06
山田和夫描く「特攻映画」@
山田和夫描く「特攻映画」@ 「その瞬間、彼らはまだ生きていた」ー特攻を描いた日本映画の歩みー映画評論家・山田和夫 ...続きを見る

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2011/06/01 04:23
山田和夫描く「特攻映画」序
山田和夫描く「特攻映画」序 四年前、映画評論家の山田和夫氏が雑誌・「前衛」(2007年9月)に書いた小論・「『その瞬間、彼らはまだ生きていた』−特攻を描いた日本映画の歩みー」を本ブログに全文掲載できることになった。兄を特攻で亡くし、「特攻とは何だったのか?」を終生のテーマとして問い続けてきた私。“満州っ子”の願いを、このほど山田和夫氏と「前衛」編集部がこころよくお認めいただいたからである。 ...続きを見る

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2011/05/31 09:50
敷島の大和心を人問わば
敷島の大和心を人問わば 「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜かな」といえば知る人ぞ知る一首。太平洋戦争の末期1944年10月神風特別攻撃隊の先陣を切った5隊のネーミングに使われた本居宣長の短歌である。今日5月7日(1789年)は宣長が松坂に生まれた日。敷島、大和、朝日、山桜という美名に当時の若者はあおられうように死地に旅立った。 ...続きを見る

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2011/05/07 06:10
「特攻隊の気分」って何だ!
「特攻隊の気分」って何だ! 昨日、「『特攻隊の気分』一時帰宅の予行演習始まる」という見出しの産経新聞・電子版を見て、ついにあからさまに書いたな!と驚いた。それは今回の原発関連で被害阻止のため放射能危険地域に入る東電の作業員らを扱うマスコミ記事がその危険度を表現するのに「特攻隊」のようなという文言で形容、これまではそれとなく使われていたからだ。 ...続きを見る

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2011/05/04 10:16
アメリカ側がみた特攻隊
アメリカ側がみた特攻隊 手元に特攻死した兄の戦友たちが編纂した1993年発刊の記念誌(第13期海軍飛行予備学生誌)がある。戦後68年のこととて後世にこの事実を忠実に伝えたいとの思いで書かれたものであるが、随所に死んで行った同期生への哀惜こもる思いがつづられている。従って米側の特攻にたいする痛罵を避け、外国人の讃辞を紹介している。 ...続きを見る

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2011/02/08 06:22
アメリカ側がみた特攻隊
アメリカ側がみた特攻隊 昭和史研究の第一人者と言われる保阪正康氏は著書「『特攻』と日本人」の中で当時のアメリカ側が見た、「特攻隊」をアメリカ人の書いた著書(デニス・ウォーナー著「ドキュメント神風」)を引用し、赤裸裸に描いている。少しく長文になるがそれを再引用してみたい。(同書・209〜210頁) ...続きを見る

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2011/02/06 11:45
映画「TOKKO]リサ監督語る
映画「TOKKO]リサ監督語る 既にこのブログ・「アメリカ側が見た特攻隊」の中で紹介ずみですが、映画「TOKKO」のリサ・モリモト監督は2007年6月に来日、特別披露試写会で、この映画に込めた想いを語りました。その模様を「YAHOO/ニュース」が伝えています。 ...続きを見る

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2011/02/04 10:31
アメリカ側がみた特攻隊
アメリカ側がみた特攻隊 「『私たちは神風が怖かった。十人のうち七人は涙をもって迎え、あとの三人は憎しみをもってこれを撃ち落とした』とある米空母の搭乗員は語る」と神風特攻隊員の戦友が戦後編集した「飛行予備学生誌」には書かれているが、これはややひいき目の引用で、実はどうだったのか、07年に上映された映画・「TOKKO 特攻」が示唆にとんでいる。 ...続きを見る

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2011/02/03 07:54
特攻隊とはなんだったのか
先の大戦で兄を特攻隊の一員として亡くした者の戦後一貫して追及してきたテーマは「特攻隊とはなんだったのか」である。その疑問を一部解明してくれた著書が手元にある。「『特攻』と日本人」(保阪正康著)がそれだ。先ずはその、<あとがき>を紹介しよう。本書(新書版225頁)の全容を示唆してくれるからだ。 ...続きを見る

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2011/01/07 06:18
今日は「ダンチョネ節」だ!
今日は12月15日だ。兄貴が1944(昭和19)年フイリピンで神風特別攻撃隊の一員として戦死した日だ。あれから66年、存命だったら86歳。まだまだ生きていてもいい年だ。身内は僕一人になった。供養するのは他にだれもいない。だから霊前に「ダンチョネ節」歌って手向けよう。お酒も少し入れて。 ...続きを見る

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2010/12/15 16:41
ああ祖国よ 恋人よきけB
「明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。彼の後ろ姿ハ淋しいですが、心中満足で一杯です」、慶応大学出身、学徒出陣でペンを操縦棹に持ちかえて沖縄に突っ込んでいった上原良司少尉が出撃直前に書いた遺文の一つ「所感」を紹介しよう。 ...続きを見る

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2010/12/12 05:43
ああ祖国よ 恋人よきけA
慶応義塾大学日吉キャンパス内の来往舎でかって(04年10月)一週間、「平和のための戦争展」開催されたことがあった。そこには鹿児島の知覧から飛び立って戦死した上原良司のコーナーが置かれていた。とりわけ「きけ わだつものこえ」の巻頭を飾った遺文に引用されていたクローチエとのかかわりが来場者の注目を集めていた。 ...続きを見る

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2010/12/10 08:40
ああ祖国よ 恋人よきけ@
「かにかくに 有明村は恋しかりけり 思い出の山 思い出の川」、慶応義塾大学経済学部出身の上原良司は学徒出陣で入隊するまえ、遺本「クローチェ」の見返しに書いた遺書のなかに、この歌を残している。先の本ブログに掲載した宅島徳光海軍中尉とともに慶応同窓の二人が戦後の国民へ贈ったメッセージの第二段である。 ...続きを見る

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2010/12/09 09:42
俺の言葉に泣いた奴が一人
「俺の言葉に泣いた奴が一人/俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人・・・」と胸に抱いて雲流るる果てに逝った慶應義塾大学出身の学徒飛行兵。宅島徳光が訓練の合い間に書いた手記・「くちなしの花」がある。この手記に感動した作曲家の遠藤実が曲をつけ、渡哲也が唄い大ヒットした『くちなしの花』を紹介しよう。  ...続きを見る

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2010/12/02 06:58
神風特別攻隊の戦没者数
1944(昭和19)年10月25日(フイリピン・敷島隊)から終戦の年、1945(昭和20)年8月15日(沖縄・宇垣特攻)までの神風特別攻撃隊員の総戦没者数は2483人(推定)といわれている。内訳は予科練などの出身者は1715人、飛行予備学生は649人、海軍兵学校出身者は119人でした。 ...続きを見る

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2010/11/13 13:34
映画 「雲流るる果てに」
日本の文化人・三大「山田」(山田洋次、山田太一、山田和夫)と云われ尊敬の念を持って多くの人に受け入れられている一人山田和夫さん(映画評論家)が江東区の高齢者集会に来られ、映画・「今日本映画がいい」と題して講演されたことがありました。その時、この「雲流れる果てに」について触れられました。 ...続きを見る

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2010/11/12 08:30
映画 「雲流るる果てに」
戦後数々の特攻を描いた映画のなかでも秀作の一つ。「雲流るる果てに」は1953年、レッドパージで東宝を追われた家城巳代治が手がけた。制作段階では、脚本はもとより構成にまで紙一重で生還した同期生(第13期飛行予備学生)、遺族の体験や意見を取り入れ独立プロ・重宗プロが制作、大映により配給され感動を呼んだ。   ...続きを見る

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2010/11/11 10:38
特攻隊と映画人の名言三つ
あれから67年。1944(昭和19)年神風特別攻撃隊の一員として死んでいった(正確には殺されていった)兄の命日(12月15日)が近づくと思いだす凄烈な事実。癒され励まされるのは以下に紹介する映画人の名言の数々。紙一重で生還した戦友たちも90歳になんなんとしている。伝えなくてはという思いがこみ上がる。 ...続きを見る

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2010/11/04 07:23
10月になると甦るこの哀しさ
10月が来れば甦るのは21日の「学徒出陣壮行会」と25日の「神風特別攻撃隊出撃第一陣」のことだ。兄を亡くした「満州っ子」にとっては嘆き、悲しみ、怒りを越えて平和運動に邁進してきたが、喜寿にもなれば、もうこの痛恨の事柄を如何に後世に伝えられるかが一大テーマになってきている。 ...続きを見る

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2010/10/25 05:56
若い命を奪った「学徒出陣」
“征け学徒、勝利は兄弟の鉄腕に”“眉あげて仇敵撃たむ”“滾(たぎ)る滅亡敵の血潮”“進め悠久大義の道”“もとより生還を期せず”“我等の屍(しかばね)越えて諸君も続け”。1943(昭和18)年10月21日の東京各紙夕刊は、一斉にこのような見出しが躍っていたという。明治神宮外苑競技場における出陣学徒壮行会の記事である。 ...続きを見る

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2010/10/21 08:00
「雲流るる果てに」−57−
神林睦夫 [かんばやし・むつお] 東京第三師範ー東京都出身、昭和20年3月18日南九州上空で迎撃戦のなか戦死。搭乗機・零戦 22歳。(「雲流るる果てに」208〜212頁) ...続きを見る

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2010/09/22 08:20
「雲流るる果てに」−56−
三宅精策 [みやけ・せいさく] 神戸高等工業学校ー東京都出身ー昭和20年1月6日、神風特別攻撃隊旭日隊、フィリピン、リンガエンへ向け北上中の空母を攻撃中戦死。搭乗機彗星。22歳。 ...続きを見る

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2010/09/20 08:00
「雲流るる果てに」−55−
土屋 浩 [つちや・ひろし] 拓殖大学ー岡山県出身ー神風特別攻撃隊第26金剛隊、昭和20年1月9日、フィリピンのリンガエン湾にて戦死、22歳。搭乗機・零戦。(「雲流るる果てに」262〜264頁) ...続きを見る

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2010/09/18 08:03
「雲流るる果てに」−54−
矢野 昇 [やの・のぼる] 中央大学ー長崎県出身ー昭和20年4月23日、沖縄方面にて戦死。25歳。搭乗機・零戦。(「雲流るる果てに」259〜261頁) ...続きを見る

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2010/09/16 06:24
「雲流るる果てに」−53−
清水正義 [しみず・まさよし] 慶応義塾大学ー東京都出身神風特別攻撃隊第三御楯隊員として菊水一号作戦に参加、昭和20年4月6日、直援機・零戦に乗って出撃、南西諸島にて戦死。24歳(「雲流るる果てに」256〜259頁) ...続きを見る

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2010/09/14 06:20
「雲流るる果てに」−52−
鹿野 茂ー中央大学予科ー栃木県出身、神風特別攻撃隊草薙隊、昭和20年4月28日、沖縄方面にて戦死。22歳。(「雲流るる果てに」254〜255頁) ...続きを見る

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2010/09/13 06:07
「雲流るる果てに」−51−
岸 文一 [きし・ぶんいち] ー新潟第二師範ー新潟県出身、昭和19年10月24日、台湾沖航空戦にて戦死。22歳搭乗機・月光(二座)。(「雲流るる果てに」252〜253頁) ...続きを見る

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2010/09/12 06:00
「雲流るる果てに」−50−
飯沼 孟ー横浜専門学校ー神奈川県出身、神風特別攻撃隊第二魁隊、昭和20年5月11日、南西諸島・沖縄方面で戦死。24歳。 搭乗機・零式水上偵察機。(「雲流るる果てに」245〜249頁) ...続きを見る

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2010/09/10 08:54
「雲流るる果てに」−49−
本川譲治 [もとかわ・じょうじ] 慶応義塾大学ー東京都出身ー神風特別攻撃隊菊水雷櫻隊、昭和20年5月11日、南西諸島にて戦死、25歳。搭乗機「天山」。 ...続きを見る

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2010/09/09 07:41
「雲流るる果てに」−48ー
田中正喜 [たなか・まさき] ー中央大学ー東京都出身、神風特別攻撃隊第二白菊隊、昭和20年5月28日、南西諸島にて戦死。22歳。搭乗機・偵察機上練習機「白菊。(「雲流るる果てに」243〜245頁) ...続きを見る

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2010/09/07 06:29
「雲流るる果てに」−47−
中西斎季ー慶応義塾大学ー和歌山県出身、昭和20年4月29日、神風特別攻撃隊神雷部隊第九建部隊で出撃、南西諸島(沖縄方面9にて戦死。(「雲流rる果てに」242〜243頁) ...続きを見る

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2010/09/06 07:24
「雲流るる果てに」−46−
石橋申雄 [いしばし・のぶお] 東亜同文書院ー神風特別攻撃隊第一筑波隊、昭和20年4月6日、沖縄周辺輸送船団攻撃中、戦死。搭乗機・零戦。25歳(「雲流れる果てに」235〜238頁) ...続きを見る

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2010/09/03 06:30
「雲流るる果てに」−45−
横山輝衛ー早稲田大学ー青森県出身、昭和20年5月6日、南西諸島にて戦死。搭乗機・艦上攻撃機天山。(「雲流るる果てに」234〜235頁)   ▼海軍特有の「棒倒し」 ...続きを見る

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2010/09/01 08:21
学徒特攻士官の遺した短歌
昭和18年年、多くの学生がペンを銃に持ちかえ、飛行学徒兵となり大空に散って逝った。彼らは美しい故郷を想い、母を慕い、妻子を慈しむ歌を数多く残していった。あれから65年、読む程に胸に迫る。その幾つかを紹介しよう。 ...続きを見る

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2010/08/30 10:24
「雲流るる果てに」−44−
高久健一 [たかひさ・けんいち] ー東北大学ー秋田県出身、神風特別攻撃隊梓隊、昭和20年3月11日、内南洋ウルシーにて戦死、22歳。 (「雲流るる果てに」227〜233頁) ...続きを見る

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2010/08/26 13:16
美しさを護るために死ぬ
慶大出身の神風特攻隊員が出撃にそなえた猛訓練中、日記に書き残した文言である。吉田満の遺稿集『戦中派の死生観』から引かせてもらった。との書き出しで松本 章男氏が東京新聞・「今週のことば」(8・14日付)で紹介した。この文言については本ブログでは既に紹介済み(注)だが再録しよう。 ...続きを見る

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2010/08/21 10:29
「雲流るる果てに」−43−
小久保節彌ー函館高等水産学校ー愛知県出身、昭和20年4月16日、南西諸島・喜界島南方にて戦死、26歳。搭乗機ー零戦。(「雲流れる果てに」225〜226頁) ...続きを見る

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2010/08/21 05:31
「雲流るる果てに」−42−
青木三郎 [あおき・さぶろう] 横浜専門学校ー神奈川県出身ー昭和20年7月13日、鳥取(米子)方面にて戦死。二十三歳、搭乗機・彗星。(「雲流るる果てに」222〜224頁)掲載。 ...続きを見る

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2010/08/19 05:06
終戦 この日に逝った特攻兵
あの年の8月15日、天皇のポツダム宣言受諾のラジオ放送を聴いた後、夕闇迫る沖縄に突っ込んでいった特攻兵たちがいた。知る人ぞ知るいわゆる「宇垣特攻」だ。痛恨の思いは、作家・故城山三郎氏が「指揮官たちの特攻」に書く哀切迫る格調高い筆致に譲るとして、ここではその事実関係を書きつづっておきたい。 ...続きを見る

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2010/08/15 06:19
学徒飛行兵の殉職者16%
「事故といえばね、13期の戦死者は1613人かな。そのうち特攻が450人です。ところが、そのほかに事故で死んだ人が250人もいる」。元海軍大尉木名瀬信也大尉が「特攻ー最後の証言」(株・アスペクト社発行)のインタビューのなかでさりげなく話しますが、もう少し読んでみましょう。 ...続きを見る

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2010/08/09 08:37
8月に逝った学徒飛行兵
歴史をひもとくまでもなく日本に降伏を迫った「ポツダム宣言」が通告されたのが7月23日。黙殺を決め込んだ日本政府は本土決戦に備えてなおも前線の兵士たちに死を強いた。特攻死した兄・神島利則中尉と土浦航空隊に入隊した同期の学徒兵の名簿が手元にある。調べてみると昭和20年8月の戦没者は44名だ。 ...続きを見る

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2010/08/07 08:02
「雲流るる果てに」−41−
鷲見敏郎 [わしみ・としお] 大阪商大ー兵庫県出身ー海軍少尉、昭和20年4月6日、神風特別攻撃隊第一七生隊に属して出撃、沖縄方面にて戦死。第14期飛行予備学生、24歳。(「雲流るる果てに」205〜208頁) ...続きを見る

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2010/07/23 06:51
「雲流るる果てに」−40−
永尾 博 [ながお・ひろし」 西南学院ー佐賀県出身ー神風特別攻撃隊第三草薙隊、昭和20年4月28日、南西諸島にて戦死。搭乗機・九九式艦上爆撃機、22歳。(「雲流るる果てに」203〜204頁) ...続きを見る

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2010/07/21 09:06
「雲流るる果てに」−39−
熊倉 高敬 [くまくら・こうけい] 専修大学ー栃木県出身ー神風特別攻撃隊第二筑波隊、徳之島東方の機動部隊、昭和20年4月14日戦死。搭乗機ー零戦 22歳。(「雲流るる果てに」195〜198頁) ...続きを見る

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2010/07/20 13:06
「雲流るる果てに」−38−
佐藤一馬 [さとう・かずま〕慶応義塾大学経済学部ー東京都出身ー昭和20年4月15日、佐多岬沖南方海上にて戦死。搭乗機・天山、23歳。(「雲流るる果てに」201〜202頁) ...続きを見る

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2010/07/18 09:31
「雲流るる果てに」ー37−
根尾久男 [ねお・ひさお] 早稲田大学ー富山県出身、神風特別攻撃隊 梓特別攻撃隊ーウルシー在泊の機動部隊を攻撃、昭和20年3月31日特攻死、搭乗機・銀河 25歳。 (「雲流るる果てに」199〜200頁) ...続きを見る

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2010/07/16 08:51
「雲流るる果てに」−36−
藤田暢明ー東京農大ー徳島県出身、神風特別攻撃隊第六筑波隊、昭和20年5月14日、種子島にて戦死、海軍少尉、23歳。第14期海軍飛行予備学生。(「雲流るる果てに」193〜194頁) ...続きを見る

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2010/07/14 16:27
特攻出撃直前 兄の姿が
コロンビアから出されている“音の楽園”という小冊子を見てあるページに釘づけになった。ドキュメント「特攻」というDVDだ。そこには写真に(左イラスト参照)「海軍神風特攻 第七 第九金剛隊が爆装零戦20機 彗星1機で出撃した」と書きこまれている。購入して見る。ナレーションは「12月15日海軍特別攻撃多隊出撃 護衛空母マーカス・アイランドに海面すれすれで突入」と流す。 ...続きを見る

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2010/07/13 09:11
「雲流るる果てに」−35−
溝口幸次郎 [溝口・江二郎] 中央大学ー静岡県出身ー神風特別攻撃隊神雷第一爆撃隊、昭和20年6月22日、沖縄方面にて戦死。22歳。(「雲流るる果てに」189〜192頁) ...続きを見る

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2010/07/12 06:28
「雲流るる果てに」−34−
古河敬生 [ふるかわ・のりお] 桐生高工ー滋賀県出身ー昭和20年4月21日、〇戦搭乗、特攻隊直援機として戦果確認帰投中、出水市桂島上空で敵機と交戦中戦死。25歳。(「雲流るる果てに」186〜188頁) ...続きを見る

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2010/05/12 05:02
ピアノに想い 特攻隊員
これまで3回、映画「月光の夏」に関連して、飛び立つ前の特攻隊員がピアノを弾いて「訣別の辞」としたことを石井好子、大貫妙子、淡谷のり子さんが哀惜の念をこめて書きました。これは陸軍のこと。海軍にもありました。当時旅立って逝った上官への想いを直属の部下がつづりました。 ...続きを見る

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2010/04/28 08:18
「雲流るる果てに」号外F
これまで特攻隊の映画「月光の夏」についての所感二編(シャンソン歌手石井好子さん、シンガーソングライター大貫妙子さん)をお送りしてきましたが、今日はあのブルースの女王・淡谷のり子さんの悲しい思いを伝えてもらいましょう。(第十三期海軍飛行予備学生誌・294頁から) ...続きを見る

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2010/04/27 07:29
「雲流るる果てに」号外E
先にこのブログ「雲流るる果てに」号外Dで映画「月光の夏」についてのシャンソン歌手・石井好子さんの想いを掲載しましたが、今回はシンガーソングライター・大貫妙子さんに登場を願い、同映画について感想を語っていただきます。(「月光の夏」のパンフレットのシナリオ解説と朝日家庭便利帳からの抄録) ...続きを見る

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2010/04/26 08:30
「雲流るる果てに」−33−
安藤俊成 [あんどう・としなり] 大谷大学ー愛知県出身、昭和20年3月3日奄美大島より出撃、零式水上偵察機にて対潜哨戒中戦死、25歳。(「雲流るる果てに」185頁) ...続きを見る

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2010/04/21 08:43
「雲流るる果てに」−32−
富澤幸光 [ とみざわ・ゆきみつ] 北海道第二師範・北海道出身ー神風特別攻撃隊第一九金剛隊、昭和20年1月6日、フィリピン・マバラカット基地発進、戦死。搭乗機零戦。(「雲流るる果てに」182〜184頁) ...続きを見る

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2010/04/19 05:26
「雲流るる果てに」ー31−
市島保男 [いちじま・やすお] 早稲田大学・東京都出身ー神風特別攻撃多隊第五昭和隊、昭和20年4月29日、沖縄東南海上にて戦死。23歳(「雲流るる果てに」178〜182頁ー注・18年12月大竹海兵団に入団) ...続きを見る

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2010/04/17 08:57
「雲流れる果てに」号外D
映画『月光の夏』(原作・脚本 毛利恒之=小説「月光の夏」汐文社刊=監督 神山征二郎)の主役の特攻隊員は陸軍と海軍の違いはあるが、学徒出身のパイロットであるところに“すべての条件を超えて十三期と共感するものがある。 ...続きを見る

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2010/04/12 11:37
「雲流るる果てに」−30−
古橋雅夫 [ふるはし・まさお] 中央大学ー東京都出身ー昭和20年8月3日、フィリピン残留陸戦隊として戦死、20歳。(「雲流るる果てに」175〜177頁) 注・29号掲載の達夫は双子の兄。 ...続きを見る

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2010/04/12 05:31
「雲流るる果てに」−29−
古橋達夫 [ふるはし・たつお] 日本大学ー東京都出身、神風特別攻撃隊第三御楯隊第六〇一部隊、昭和20年4月3日、第一国分基地出撃、南西諸島にて特攻死、20歳。搭乗機「彗星」。(「雲流るる果てに」173〜174頁) ...続きを見る

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2010/04/10 08:58
「雲流るる果てに」−28−
安達卓也 [あだち・たくや]  東京大学法学部ー兵庫県出身ー神風特別攻撃隊第一正気隊、昭和20年4月28日、沖縄方面にて戦死、23歳。(雲流れる果てに・165〜173頁) ...続きを見る

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2010/04/09 10:04
「雲流れる果てに」−27−
市川 猛 [いちかわ・たけし] 浜松高工ー愛知県出身ー神風特別攻撃隊第18金剛隊、昭和19年1月5日、フィリピン・マバラカット基地出撃、特攻死、23歳。搭乗機・零戦。(「雲流るる果てに」164〜165頁) ...続きを見る

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2010/04/07 06:13
「雲流るる果てに」号外C
昭和20年4月6日、戦艦・大和は呉軍港を出港、翌7日、奄美大島東方で撃沈され三千余人が戦死。同日、「川柳合作」の作者・及川肇・遠山両中尉など78人が神風特別攻撃隊の一員として沖縄方面で特攻死し、還らぬ人となった。奇しくも僕の誕生日は4月6日(1932年)、あろうことか、あの日は「王道楽土」と嘯いて植民地・旧満州(現中国東北部)でのうのうと暮らしていた僕は、友人を招き豪華な誕生パーテーを開いていた。 ...続きを見る

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2010/04/06 16:23
「雲流るる果てに」−26−
■及川 肇―盛岡高工ー岩手県・昭和20年4月6日南西諸島にて戦死、23歳。■遠山善雄ー米沢高工ー山形県・昭和20年4月6日南西諸島にて戦死、23歳。■福知 貴ー東京薬専ー島根県・昭和20年4月11日南西諸島にて戦死、23歳。■伊熊二郎ー静岡県ー昭和20年4月11日南西諸島にて戦死、23歳。(「雲流るる果てに」155〜163頁) ...続きを見る

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2010/04/06 05:44
「雲流るる果てに」−25−
眞鍋信次郎 [まなべ・しんじろう] ー九州専門学校ー福岡県出身・昭和20年5月25日、南西諸島方面にて戦死、22歳。搭乗機ー銀河ー(「雲流るる果てに」151〜155頁) ...続きを見る

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2010/04/05 08:04
「雲流るる果てに」−24−
岸井廣孝 [きしい・ひろたか] 慶応義塾大学ー東京都出身ー昭和19年10月22日九州南方洋上にて対潜策敵中戦死。25歳。搭乗機二式大艇。−「雲流るる果てに」(149〜151頁) ...続きを見る

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2010/04/05 06:54
「雲流るる果てに」−22−
西田高光 [にしだ・たかみつ] 大分師範ー大分県出身ー神風特別攻撃隊第五筑波隊長、昭和20年5月11日、鹿児島県鹿屋基地発進、南西諸島にて特攻死。23歳 搭乗機零戦。 ...続きを見る

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2010/03/24 13:36
「雲流るる果てに」−21−
牧野 缶 −明治大学ー石川県出身・神風特別攻撃隊第六神剣隊を率ゐて鹿児島県鹿屋基地出撃、昭和20年5が11日南西諸島にて特攻死、22歳。搭乗機・零戦(「雲流れる果てに」・142〜143頁) ...続きを見る

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2010/03/21 08:08
「雲流るる果てに」−20−
打保 潔 [ うちほ・きよし] ー早稲田大学ー東京都出身。昭和20年6月10日、東京・小金井上空にてB29迎撃中戦死。海軍中尉 23歳。(「雲流れる果てに」ー139〜141頁) 搭乗機ゼロ式戦闘機。 ...続きを見る

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2010/03/20 07:08
「雲流るる果てに」号外B
見渡す限りの廃墟の街並み、紙一重で生還を果たした13期海軍飛行予備学生にとって、所在も食べるものもままならない時、物心両面にわたって励ましてくれた中に復員局勤務の越後郷子さんがいた。音楽学校出身の彼女、彼らとの交流の中で生まれたのが還らない青年たちに想いを馳せた歌、“雲ながるる果てに”だった。遺族会などで歌い涙したことが思い出される。 ...続きを見る

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2010/03/10 06:02
「雲流るる果てに」−19−
若麻績 隆 [わかおみ・たかし] 大正大学ー長野県出身ー昭和20年4月6日、神風特別攻撃隊第一 八幡護皇隊艦攻隊として出撃、南西諸島にて戦死。注 搭乗機は97式艦上攻撃機ー(「雲流るる果てに」・120〜127頁) ...続きを見る

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2010/02/23 08:15
「雲流るる果てに」号外A
ここに[第13期海軍飛行専修豫備学生誌]という1冊の書籍(B5/550頁)がある。1943(昭和18)年、学窓を後にして戦陣に駆けつけ、入隊者5千人のうち3分の1の学生が戦没した青年たちの生きざまを記した膨大な資料である。紙一重で生還した同期生が痛恨の想いをこめて1993(平成3)年に出版した。折に触れ掲載する。    ...続きを見る

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2010/02/15 06:39
「雲流れる果てに」−18−
石野正彦 [いしの・まさひこ] 神戸高商ー兵庫県出身ー昭和20年8月1日、千葉県木更津方面で殉職、24歳。海軍中尉。搭乗機は「流星」。(「雲流るる果てに」・113ページ) ...続きを見る

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2010/02/10 05:39
「雲流るる果てに」 号外@
「あと二週間終戦が遅れていたら私も特攻隊員として出撃していたかも知れない」、といわれる映画評論家の山田和夫さん(予科練出身)を江東区の高齢者集会に招いたことがあった。「今、日本映画がいい」と題して講演され、その中で「映画・雲流るる果てに」にふれ、「きけわだつみの声」とならんで戦後、平和・反戦映画の秀作の一つと述べられた。. ...続きを見る

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2010/02/08 06:01
「雲流るる果てに」−17−
野崎文太郎 [のざき・ふみたろう] 慶応義塾大学ー愛知県出身ー昭和20年5月7日、中部地方にて殉職、ゼロ戦搭乗、24歳。「雲流るる果てに」・(109〜112頁) (注) 先の大戦で戦没した慶大の学生、卒業生は2223人といわれている。 ▼終戦直後の丘の上・図書館 ...続きを見る

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2010/02/02 06:31
「雲流るる果てに」−16ー
池尾俊夫 [いけお・としお] 同志社大学経済学部ー東京都出身、昭和20年1月24日、フィリピン・ミンダナオ海域の輸送船団夜間攻撃にて戦死,25歳。注 搭乗機は「天山」。(「雲流れる果てに」101〜109頁) ...続きを見る

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2010/02/01 06:18
「雲流るる果てに」−15−
青木牧夫 [あおき・まきお] 高知師範ー高知県出身ー神風特別攻撃隊第三御楯隊、昭和20年4月16日、沖縄方面にて戦死、23歳。注・搭乗機はゼロ戦 (「雲流れる果てに」ー98頁) ...続きを見る

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2010/01/31 06:48
「雲流るる果てに」−14−
石川延夫 [いしかわ・のぶお] 法政大学ー岡山県出身ー昭和20年5月14日、滋賀県上空にて戦死、23歳 (注・搭乗機・夜間戦闘機「月光」・「雲流れる果てにー97頁」) ...続きを見る

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2010/01/26 05:31
「雲流るる果てに」−13−
遠藤益司 [えんどう・ますじ] 日本大学ー福島県出身ー神風特別攻撃隊第一神剣隊員として昭和20年4月6日、大村基地より出撃、沖縄方面で戦死、23歳。 注 搭乗機はゼロ戦。 ...続きを見る

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2010/01/24 16:58
「雲流るる果てに」ー12−
宅島徳光 [たくしま・とくみつ]慶応義塾大学ー福岡県出身 昭和20年4月19日、松島航空隊にて殉職、海軍中尉・24歳 「注」一式陸攻搭乗、金華山沖で事故。(「雲流るる果てに」 (66〜94頁)   ▼遺稿「くちなしの花」 ...続きを見る

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2010/01/24 06:28
「雲流るる果てに」−11−
富田 修 [とみた・おさむ] 日本大学卒ー長野県出身ー昭和19年9月3日、台湾高雄にて戦死。海軍中尉、23歳(「雲流るる果てに」・64頁) 注ー高雄西方で殉職、搭乗機は97式大艇。 ...続きを見る

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2010/01/20 08:55
「雲流るる果てに」−10−
鈴木孟志[すずき・たけし]東京臨時教員養成所卒ー東京都出身ー昭和19年10月12日、九七式大艇に搭乗、あの台湾沖航空戦で戦死。25歳。(「雲流るる果てに」−63頁)      朝  顔    昭和15年8月10日 (学生時代) ...続きを見る

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2010/01/18 13:11
「雲流るる果てに」 −9−
小城亜細亜[おぎ・あじあ] 立教大学卒ー東京都出身ー神風特別攻撃隊第四御楯隊、昭和20年8月13日、(あと2日で終戦)本州東方海上にて戦死、22歳。(注・彗星搭乗、犬吠埼東方機動部隊) ...続きを見る

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2010/01/18 09:44
「雲流るる果てに」 −8−
古川正崇ー大阪外語ー奈良県出身、神風特別攻撃隊振天隊、昭和20年5月29日、97式艦攻撃機に搭乗、沖縄にて戦死。23歳。(46〜58頁) 注・「雲流るる果てに」の呼称は本遺文から採られたという。 ...続きを見る

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2010/01/17 06:14
「雲流るる果てに」 −7−
吹野 匡 [ふきの・ただす] 京都大学卒・鳥取県出身ー昭和20年1月6日、神風特別攻撃隊旭日隊に参加、比島方面にて戦死、26歳。(数少ない旧帝国大学出身者)  ▼学徒出陣(昭和18年) ...続きを見る

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2010/01/15 06:03
「雲流るる果てに」 −6−
林 憲正 [はやし・のりまさ] 慶応義塾大学ー愛媛県出身ー昭和20年8月9日(あと6日で終戦)、神風特別攻撃隊第七御楯隊第二次流星隊で出撃、本州東方海上にて戦死。海軍中尉、25歳。(「雲流るる果てに」−35〜43頁) [注]彼の遺文は「きけわだつみの声」にも掲載されている。 ...続きを見る

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2010/01/12 07:57
「雲流るる果てに」 −5−
小島 博 [こじま・ひろし] 東京第一師範ー北海道出身ー昭和20年4月12日沖縄方面、特攻ロケット「桜花」搭載の一式陸上攻撃機上で戦死。海軍中尉、22歳。(注)この手紙はピアノ教師であった彼が在職中その教へ子たちに寄せたものである。(31頁) ...続きを見る

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2010/01/09 05:30
「雲流るる果てに」 −4−
植島幸次郎[うえしま・こうじろう]・明治大学ー東京都出身ー神風特別攻撃隊菊水部隊天山隊、昭和20年4月6日、南西諸島にて戦死、海軍中尉 23歳 第13期海軍飛行予備学生。昭和18年9月土浦海軍航空隊入隊。 ...続きを見る

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2010/01/03 06:08
「雲流るる果てに」 −3−
緒方 襄[おがた・ゆずる]・関西大学・熊本県出身ー神風特別攻撃隊神雷桜花隊、昭和20年3月21日、沖縄方面で戦死。海軍中尉、23歳(「雲流るる果てに」22頁) ...続きを見る

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2009/12/27 06:19
「雲流るる果てに」 −2−
緒方 徹[おがた・とおる]京都大学法学部・熊本県出身ー昭和19年12月25日、フィリピン・ミンドロ島サンホセ攻撃で戦死。海軍中尉・25歳。(「雲流るる果てに」15頁) ...続きを見る

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2009/12/25 09:37
「雲流るる果てに」 −1−
植村真久[うえむら・まさひさ]立教大学・東京都出身、神風特別攻撃隊・大和隊、昭和19年10月26日、フィリピン・セブ島から3機発進してレイテ湾に向かったが全機帰らず。25歳(「雲流るる果てに」ー13ページ) ...続きを見る

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2009/12/22 06:38
「雲流るる果てに」 −序−
私、永井至正(旧姓神島)が座右の書にしているものの一つに『雲流るる果てに』があります。神風特別攻撃隊で戦死した兄・利則の同期生が昭和27年に編集、発刊した「遺稿集」です。ときが経ち、紙面は茶色がかっています。言ってみればセピア色した書置きとでもいうのでしょうか。あれから65年、私も残り時間が少なくなりました。兄が「あとを継いでくれ」と言い残した言葉を受け継いで、痛恨の思いで逝った若者たちの言葉・「雲流るる果てに」(317頁)をシリーズで全文紹介します。           =発刊の言葉=... ...続きを見る

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2009/12/17 07:32
兄・神島利則中尉特攻死
兄・神島利則[かみしま・としのり]海軍中尉(1923〜1944)12月15日、この日神風特別攻撃隊・第七金剛隊の一員としてフィリピン・ネグロス島近辺で特攻死。21歳だった。彼の郷里は当時日本が支配していた満州・公主嶺市。母神島トミが利則戦死の通知を受けたのは23日のことだった。 ...続きを見る

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2009/12/15 12:52
特攻1号は海兵出身でない
昭和19(1944)年10月22日〜23日、関行男大尉(海兵70期)以下5名の敷島隊がマバラカット飛行場から出撃したが天候不良で帰還した。24日セブ基地から出撃した久納好寧中尉(第11期予備学生)及び26日クラーク基地から出撃した植村眞久中尉(第13期予備学生)がレイテに突入した旨入電があった。(第13期海軍飛行予備学生誌) ...続きを見る

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2009/10/23 08:37
学徒出陣 あれから66年
今日10月21日、昭和18年のこの日、昭和初期の世代の人なら忘れもしない小雨降る神宮外苑での学徒出陣壮行会。参列した学生たちの何人が故郷日本に帰ってきたでしょうか。紙一重で生還を果たした人たちも生き長らえていれば80歳後半、もうほとんどの人が黄泉の世界に逝ったことでしょう。 ...続きを見る

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2009/10/21 07:31
中村メイコさんと特攻隊員
「奈良には文化財がいっぱいあるから爆撃はないだろう」と考え、疎開先を決めた父のもくろみは見事に当たりました。すぐそばの大阪にはポンポン空襲があるのですが、私たちが暮らす富雄村はまだまだのどか。つらいといえばつらいけれど、それほど悲惨でもない日々を私は過ごしていました。 ...続きを見る

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2009/03/22 06:47
兄の戦友から 年賀状
「<明けましておめでとうございます>いつの間にか、80代最後の正月を迎えることになりました。多くの戦友知己に先立たれ、悲しさを感じております」こんな文面の年賀状に思わず釘づけになりました。 ...続きを見る

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2009/01/01 13:32
雲流るる果てに 映画
一度出撃したら生きては帰れない特攻隊。若くして南の空のはてに散っていった学徒航空兵の遺族や紙一重で生還した戦友によって編集された遺文集「雲流るる果てに」のタイトルをかりて作られた反戦特攻映画の名作。今日限りの命をひたむきに生きる彼らの青春群像があざやかに描き出され、と同時に残酷な戦争への激しい憤りを感じずにはいられない。 ...続きを見る

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2008/12/28 07:08
ドイツにも特攻隊があった
東京新聞のシリーズ・「新聞記者が受け継ぐ戦争の記憶」を必ず読みます。戦争体験のない若い記者が懸命に取材しているというこの企画は出色。他紙にないものでいつも共感を覚えています。 ...続きを見る

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2008/11/18 07:38
さよなら開聞岳 特攻機
私が知覧の「平和記念館」に行ったのはちょうど十年前、館内には、15〜20歳代のあどけない顔も見られる少年の写真、そしてその下に書かれた遺書。一人ひとりの顔を見つめ、手紙を読んでいくうちに涙し、その日は好きなビールも口にする気になりませんでした。 ...続きを見る

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2008/11/02 06:19
神風特攻隊の戦死者数
昭和19年10月25日(フィリピン・敷島隊)から終戦の昭和20年8月15日(沖縄・宇垣特攻)までの総戦死者数は2483人。内訳は予科練などの出身者は1715人、飛行予備学生は649人、海軍兵学校は119人でした。年齢はなんと17歳から25歳ぐらいまでの少年、青年たちで驚くべきものです。「死んでいったのは少年と学生たち」 ...続きを見る

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2008/10/13 06:07
特攻機を見送る少女たち
 飛び立つ特攻機を見送る少女たちの写真をきっかけに生まれたドラマだ。彼女たちは旧制知覧高等女学校の生徒。昭和20年3月27日から極秘命令で鹿児島県・陸軍知覧基地特攻隊員の世話をした。なでしこ隊、リーダーは前田笙子(成海璃子)。15歳の笙子は特攻日記をひそかにつけ始める。250キロの爆弾と、片道燃料で敵艦に体当たりしていく彼らの本当の姿が少女たちの視点から初めてとらえられた。 ...続きを見る

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2008/09/21 09:30
雲流るる果てに H
 「戦中派」の世代の生き残ったことで存在を認められるのではない。本来ならば戦争に殉死すべきものであり、たまたま死に損なったとしても、生きて戦後の社会をわが眼で見たことに意味があるのではなく、散華した仲間の代弁者として生き続けることによって、初めてその存在を認められるのである」と、吉田満の「戦艦大和の最期」の前書きに書かれているのを読んでひどく感動したことがある。 ...続きを見る

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2008/09/16 10:30
雲流るる果てに G
(前回よりつづく)緒方 襄さんの前のページに緒方 徹中尉の書き置きがあります。二人は兄弟です。兄徹さんは詩をよくしました。そこには母への思いが切々とつづられており、胸にせまります。あの大戦中、多くの日本の家庭でそうであったように子どもを奪われた母親の気持ちはいかばかりだったか、はかりしれません。 ...続きを見る

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2008/09/13 08:57
雲流るる果てに F
 昨年(01年3月)、『歴史教科書』(扶桑社)が世間を騒がせたとき、その中に特攻隊員の遺書が引用されていると聞いて驚き、もしかしたら特攻死した兄の戦友が戦後編集、発刊した遺文集・「雲流るる果てに」に掲載されているのではないかと、調べてみたらありました。22頁にです。 ...続きを見る

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2008/09/12 11:02
神風特攻隊と川柳 B
今回掲載の一句「アメリカと戦ふ奴がジャズを聞き」が衝撃的。国が、いかほど「鬼畜米英」などとあおっても当時の青年たちがジャズを聞き、ブルースを歌ったことは知る人ぞ知る事実。また、彼らにとって死は日常茶飯事。「戦争は?」「死は?」はもうバーチャルの世界になっていた。そのことの証明が「痛かろう、いや痛くないと議論なり」につながっていった。衝撃的な哀句だ。 ...続きを見る

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2008/09/02 09:46
神風特攻隊と川柳 A
川柳辞典には「川柳とは季語や切れ字などの制約はなく、口語を用い、滑稽、風刺、機知などを特色とした十七文字の短詩」とあるが、ここに紹介する神風特攻で戦死した若者四人の川柳は、「あてこすり」や「こっけい」をこえている。自らの宿命(さだめ)の理不尽さを内に秘めつつも淡々として書き連ね、むしろ虚空に向かってレジストしているように思われ、見るものをして一層の哀歓が誘われる。以下百句を数回に渡って列挙する。 ...続きを見る

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2008/09/01 07:41
神風特攻隊と川柳 @
第二次世界大戦の末期、爆弾を積んだ飛行機もろともアメリカ軍の艦艇に体当たりする神風特別攻撃隊が編制され、多くの青年が戦死した。戦後、この特攻隊をめぐる悲哀が小説や映画となり、国民に反戦平和を強く訴えたが、最近、靖国神社「遊就館」の展示など、特攻隊の行動を賛美する動きが生まれてきている。 ...続きを見る

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2008/08/27 10:48
淡谷のり子さんと特攻隊
特攻隊の慰問に行ったときのこと。いっぱい兵隊さんがいるんです。ちょっと横を向いたら20〜30人もいたでしょうか、白鉢巻をした、なにか子どもさんみたいな兵隊さんがいるんですよ。まだ15〜6歳ぐらいの。だから私、係りの人に聞いたんです。   「別れのブルース」と特攻隊の若者たち ...続きを見る

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2008/08/19 14:29
雲流るる果てに E
豪快に生きた神島君    敗色濃い太平洋戦争末期のころ、海軍の予備学生として横須賀対潜学校で猛訓練をうけていた私は、公主嶺から「神島利則君、特攻隊員として戦死」の通知をうけた。「ヤッタカ!」走馬灯のように在りし日々が思い出され、当夜は一睡も出来なかった。  彼とは小学校一年から六年まで大谷七郎先生の薫陶のもとに育った親友だった。泰平橋を渡って鮫島通り左側に彼の家、トミヤ洋品店があり、そばの公園でよく遊んだものである。彼もまた菊地町のわが家に来てくれた。悪童数人で、大谷先生の新婚早々のお宅に... ...続きを見る

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2008/08/11 08:54
雲流るる果てに D
昭和15年、世は戦時色であふれていた。八歳の小学生の私は兄貴に手をとられて九段坂を上っていた。「いつか、きっとここで会えるからなあ・・・。よく覚えていてくれ」と言われていた。 ...続きを見る

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2008/08/08 12:09
雲流るる果てに C
 「自爆テロもとをたどれば特攻隊」という川柳をある新聞の文芸欄でみて思わずクギづけになりました。自爆テロと特攻隊は同義語としてさげすんだのか、それとも大義に生きる人間のルーツは「日本にあり」と称賛したいのでしょうか。 ...続きを見る

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2008/08/07 14:24
雲流るる果てに B
 時は敗色濃厚のころ、1945(昭和20)年8月10日、前日、9日のソ連参戦で危険地域になったとして、旧満州(現中国東北部)では有数の公主嶺の陸軍飛行場から海軍の中型攻撃機・一式陸攻が三機飛び立った。 ...続きを見る

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2008/08/06 08:20
雲流るる果てに @
私、永井至正が座右の書にしているものの一つに「雲流るる果てに」があります。神風特別攻撃隊で戦死した兄の同期生(第十三期海軍飛行予備学生)が昭和27年に編集、発刊した「遺稿・遺文集」です。ときが経ち紙面は茶色がかっています。ときにふれひもときます。8月はその頻度が増しますが、そのたびに思い出します。「後を頼む」と言い残した彼の言葉を・・・。このページはシリーズで続けます。題して「セピア色した 万感の記憶」 ...続きを見る

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2008/08/05 08:35

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