「東京大空襲60年のつどい」を回顧

 年初来の新型コロナ禍で、多くのイベントが中止になった。ここ東京江東区でも毎年「東京大空襲を語り継ぐつどい」が催されているが、例外ではなかった。伝統ある「平和を語り継ぐつどい」のつなぎになればと、2005年に開かれた「60周年のつどい」の感動を私のブログから再掲してみた。この日は作家の高木敏子さんが講演、多大な感銘を与えた。

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「平和の俳句」東日本大震災10年

暁に東北に向き手を合わす 白沢 弘介(79)岐阜県各務原市 (いとうせいこう)まことに私たちの思いはこれだ。非当事者であっても祈ることはできる。耳を傾け、その先に行動することがある。(2021.3.1) 【注】東京新聞が東日本大震災10年を前にして、同社得意の「平和の俳句」を募集していたが、本日から三月いっぱい連日同紙一面に掲載することになった。本ブログもすべてを転載することにした。なお、選者は作家のいとうせいこう氏と俳人の黒田杏子さん。応募数3268句、そのなかから30句が選ばれた。

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「東京大空襲は忘れない」『赤旗・「ひと」』

 昨今の新聞、テレビなどメディアは「コロナ禍」関連の企画・話題一色。加えて3月11日に迎える東日本大震災10年の特集記事で満載状態。ひところ、3月といえば10日の東京大空襲が大きく扱われていたが、今年はほとんど見当たらない。そんななか、しんぶん「赤旗」が26日、「ひと」欄で、「平和の集いを主宰する人」として江東区深川生まれの濱田嘉一さん(83)を紹介している。「東京大空襲の語り部」としての経歴と活動歴を載せ共感を覚え、私のブログに転載することにした。  いみじくも文中の三つの「固有名詞」が私の履歴にリンクするので叩くキーボードの軽やかなこと。それは、一つ「清澄庭園」(歩いて5分の白河一丁目に戦後48年間居住していた)。二つ「ノモンハン」(生まれ故郷の旧満州・公主嶺市は関東軍の一大基地。出撃した部隊が全滅)。三つ「両国高校」(旧都立三中の48回生。)だったからである。以下画面をご覧ください。

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救済法の成立求めて 空襲連 サイレント街頭宣伝

 民間人の空襲被害者の救済法案の成立を求める「全国空襲連絡協議会」は25日、サイレント街頭宣伝を衆議院第ニ議員会館前で行いました。16日に続く行動です。  緊急事態宣言が出される中、約15人が参加。東京大空襲の写真パネルや、「空襲で墓に骨なく母眠る」と手書きで書かれたプラカードを手にしたり、防災頭巾をかぶるなど、参加者は思い思いのやり方で静かにアピールを行いました。  東京大空襲の約1周間後に祖父2人を亡くし、戦後に精神を病みアルコール中毒になった兄と過ごしたという浅見洋子さん(71)=大田区=は「事実を知ったとき、戦後生まれでもできることはある」との思いで活動を続けています。「戦争を起こした国として、立法は責任をはたす必要がある」と話し、今通常国会中の救済法案の成立を求めました。  先の大戦の継承運動を行う団体 history for peace 代表の福島宏希さん(38)は「東京大空襲では10万人の命が奪われた。うち8万人以上の名簿を東京都は持っているのに、個人情報を理由に公開していない」「後世の人間が考える材料を失われないためにも、公開すべきだ」と強調しました。  救済法案は、空襲や沖縄戦などで心身に障害や傷を負った人に一律50万円を特別給付する内容です。同団体は3月3日には院内集会を予定しています。(しんぶん「赤旗」2月26日付)

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震度6強 よみがえった恐怖 東京新聞 片山夏子

 十三日夜の自身は最大震度6強。十年前の東日本震災を思い出して焦った。原発も作業は朝早いので、その夜も自宅ニ階で寝ていたところ、ドーンという衝撃で跳び起きた。すごい揺れでいろいろな物が落ちてきて、家具を抑えるので精いっぱい。すぐ原発が心配になったけど、今は核燃料が十分冷やされていると思い、自分を落ち着けた。同じ階に寝ていた家族もみんな部屋から飛び出してきた。十年前のことが瞬時によみがえり。やべーなと思ったが揺れが収まりほっとした。  東日本大震災の時は、ドドーンという強い縦揺れやグラグラという横揺れがあり、その後さらにユーラユーラと大きな横揺れがきた。揺れは何分も続き、とにかく長くて怖かった。  十三日の自身も衝撃はすごかったけど、十年前より揺れが続かず止まってよかった。子どもたちもおっかながって。直後はどうしていいのかわからないようだった。一度、震災を経験すると恐怖心がよみがえる。その後も余震が続き、家族全員が眠れない夜を過ごした。  翌日は日曜日だったけど、緊急招集がかかった。自分の家の点検もできないまま、現場に行った。機器が壊れていないかなど、各現場で点検をした。その後も、震度4の余震があった時などはびくっとした。  それにしても、地震の一週間後に1,3号機の格納容器内の水位が下がっていると発表があるなんて。圧力も下がっているし、どっか抜けてるんだろう。誰が考えても汚染水が漏れ出している。重要な数値は大丈夫だし、燃料も冷却できているようだけど3号機の壊れた地震計ニ基を何カ月も放置して…

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子どもの声届いていますか 『赤旗 潮流』

私たちは、本当に子どもの声を聴けているのだろうか。同じおとなとして、ドキリとする問いかけでした▼日本スクールソーシャルワーク教会がオンラインで開催した冬季研修会。上からの一斉休校が子どもや家族と出会う場を奪い、貧困、虐待、孤立が深化したと語られました。学校再開で問題は一気に噴出。「最初に助けを求めていた時に、彼らと出会えていなかった」と悔やみます▼そんな中でも、それぞれの持場でSOSをキャッチしようと必死でした。それまでのつながりの糸が引き出した「しんどい」という悲鳴。さらに新たな糸を紡ぐため、コロナ禍の下で地域の「居場所」を開き続けた努力も。待ちの姿勢にならない取り組みが、子どもの命をなんとかつないできました▼大切なのは、子どもにとって一番身近な学校を「安心・安全」の場にすること。が、教職員にも余裕はないのが実情です。子どもがぽつりと言った一言が、実は本質ではないか。その思いを丁寧にすくい上げるゆとりが、今こそ必要です▼あるワーカーは言います。「私だけでなく教師、同世代の子ども、すてきなおとなたちと出会えるチャンスをつくるよう心がけてきた」と。大切なのは、子どもの声を聴くおとなが増えること。どこかだけに責任を押し付けることなく、声を受け取るおとながつながろうと呼びかけています▼そして聴き取られる経験の積み重ねが、意見表明へつながり、やがて支援を求める力になるのだとも。子どもの声、あなたにとどいていますか。(2021・2.25)

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司馬遼太郎と半藤一利さん 『東京新聞・筆洗』

菜の花畠に入日薄れー。唱歌「朧月夜」を歌う声に司馬遼太郎さんは「それは何の歌だ」と尋ねたそうだ。菜の花が大好きな司馬さんのためにと歌ったのは作家半藤一利さんである。小学校に通う代わりに図書館に入り浸ったせいで有名な唱歌を知らなかったとは、長いつきあいの半藤さんの見立てだ▼人がコーヒーを一杯飲む間に司馬さんは三百ページほどの本を三冊読み終えていた。唱歌の話に片りんがみえる。「神がかった」読書の量と力、取材や知識への熱意の人であったそうだ。「資料を読んで読んで読み尽くして、そのあとに一滴、二滴出る透明な滴(しずく)を書くのです」という言葉とともに半藤さんが書き残している▼司馬さんが亡くなり二十五年たった。十二日は命日「菜の花忌」である。半藤くん、俺たちには相当責任がある。こんな国を残して子孫に顔向けできるか」。没する一年前に語ったという▼憂えていたのは、ひたすら金もうけに走り、金もうけに操られるような社会だった。「足るを知る」の心が大切になると、世に語りかけようとしていた▼憂いは過去のものになっていないだろう。災害、経済の混乱、疫病の流行・・・。司馬さんなら何を語るかと思うことも多い四半世紀である。憂いをともにし、後を継ぐように昭和を書いてきた半藤さんも他界した▼著作の中に、残された滴に、声をさがしたくなる菜の花忌である。(2021・2・13)

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日本国・国歌は「故郷」(ふるさと)がいい

 いつのことだったか、大学の仲間が集った「同窓会」(昭和一桁生まれ)で話が日本国・国歌に及んだことがあった。「君が代」を忌避する声が圧倒的だったが、それならそれに代わるものは? と議論していると、「『故郷』はどうだ」との提案。自然に場は「♪兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・・」の大合唱になった。即座にみな「これだ、これだ」と。  きょうは天皇の生まれた日だそうだ。それかあらぬか昨日(22日)の東京新聞・「今週のことば」欄に「兎追いしかの山・・・」の歌詞が取り上げられている。NPO法人・くだかけ会代表の和田重良氏のコラムだ。(永井至正)

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詩集 「ロ号33番」永井和子 -38-

  【しあわせ】 大きな黒い眼は二つ 丸い手足の指は五本 あたりまえのそのことが ときどきじんと胸にきます 生れるその瞬間には ただ健やかな五体だけを願った つつましい母の心が いつか 日日の暮しになれてしまわぬように・・・ 澄んだ瞳に映る世界は二つ 大空をとらえる指は五本 そのなにげないしあわせが ときどき熱くまぶたに溢れるのです

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相手の気持ちに寄り添う大坂選手 『赤旗・潮流』

たたかいを終え、たたえあう選手たちに胸が熱くなることがあります。テニスの表彰式のスピーチも同じです。互いに思いやる気持ちが見え隠れする瞬間があります▼20日、大坂なおみ選手が制した全豪オープンにもありました。決勝で破れたジェニフアー・ブレイディ選手が「たぶん母は、テレビを見ながら泣いていると思います」と話しました▼それを受け、大坂選手は語りかけました。「お母さんのことを話していましたよね。きっと誇りに思っていますよ。家族、友人がみな誇りに思っているに違いありません」。相手の気持ちに寄り添う優しさがふんわりとにじみました▼今大会の大坂選手には芯の通った強さがありました。どんなに追い詰められてもあきらめず、力を出し切る。マッチポイントを握られてしのいだ試合もありました。3年前に初めて4大大会を制した後、重圧でしばしば自分を見失った姿がうそのようです▼「隔離期間に世界で起きていることを知り、いろいろな見方ができるようになった」。新型コロナで試合がない中、自身と社会を見つめた時間が自分を変えました。「私はアスリートである前に黒人女性」。昨秋の全米オープンで、黒人被害者7人の名入マスクを着け反差別を訴えたこともその一つです▼表彰式で主催者からたたえられたのもこのこと。「社会を少しでもよいものにしようとしているあなたの姿勢はすばらしい」。まっすぐな生き方、常に努力を惜しまない姿が多くの人を励まし続けています。(2021・2・22) 【追記】強いテニス・プレイヤーであるのみならず、社会性を持ち、あたたかく、と…

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今年はオンライン「東京大空襲を語り継ぐつどい」

 東京大空襲・戦災資料センター(江東区)は毎年、東京大空襲があった3月10日に先立って開いてきた「東京大空襲を語り継ぐつどい」を、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、オンラインで行う。20日から申し込み受付を開始し、3月1日~14日に配信する、ネット環境がない人のために、どう内容の映像を収録したDVDも販売する予定。(東京新聞2月20日付) 【注】配信申込みの締め切りは同月12日。問い合わせは同センター ☎03-5857-5631 (下イラストは2019年のもの)。

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小林多喜二をしのんで詩う 永井和子

「夜明けの前が一番暗いのだと 私は知っている 冬が厳しいほど 春ははじけるようにやってくるのだと 私たちは知っている 明日は、明るい日だと 知っている」(永井和子=『憲法を詩う」から) https://38300902.at.webry.info/201202/article_29.html

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「ちょっと一言」 210219

 あと5カ月に迫った東京オリ・パラ。神出鬼没の疫病コロナ禍のなか、開催が危ぶまれている。それでも「祭典は平和の証し」などと猛進する輩をみると、あの戦争末期のガタヌカナルやインパール作戦を思い出す。一度進めたら、もう一歩も後に引かぬ玉砕作戦をこの国は引き継いで行こうとしている。(140字)

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戦争被害者放置するな 全国空襲連

 民間人の戦争被害者を救済する法律の成立を求め、被害者や遺族などでつくる「全国空襲被害者遺族連絡協議会」は16日、衆議院第2議員会館前でサイレント街頭宣伝を行いました。ころな禍で2回目の緊急事態宣言が出される中、訳20人が参加。参加者は距離を取り「戦争の後始末は済んでいない!もう待てない、空襲被害者に救済を」と書かれた横断幕や東京大空襲の写真パネルなどを手に、無言で通行人にアピールしました。  河合節子さん(81)は5歳のとき茨城県に疎開。東京に残っていた家族4人のうち母と弟2人を東京大空襲で亡くしました。3人の遺体は今も見つかっていません。「本当は去年救済法が成立してほしかった。こんなことを76年間も放置してきたのが許せない」「もう一度同じこと(戦争)が起こったら、被害者はまた放置される」と話し、今通常国会中の救済法成立の実現と賠償を強く求めました。  昨年9月から大学を休学して全国空襲連を支える活動をしている桐山愛音(かのん)さん(21)=大学3年生=は「国が民間人の戦争被害者を放置しているのは重大な問題。国の人権意識や、あり方が問われている」と危機感をあらわにしました。  救済法は、空襲や沖縄戦などで心身に障害や傷を負った人に一律50万円を特別給付します。(しんぶん「赤旗」17日付)

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再度の受賞 東京新聞 片山夏子記者

東京新聞の福島特別支局長・片山夏子さんの著作に、このほど「早稲田ジャーナリズム奨励賞」が授与されることになった。(同紙・2月17日付・下欄画面参照)、同氏は昨年、「むの・たけじ賞も受けており、再度の栄誉となった。「満州っ子」は2017年の終戦特集号で片山さんの懇切な取材をうけており、その包み込むような温かさと冷徹な記者魂に接して感嘆。即座にファンとなった。以後彼女の署名入りの記事は欠かさずブログで紹介してきたつもり。いずれ近い内に「片山さんに出会って」とでも題して、ブログに特集を試みたいと思っている。(永井至正)

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こんな地震 また来るとは 東京新聞

 2月13日深夜福島県など東北地方を襲った大地震。16日の東京新聞一面トップに、そのときの模様が報道されている。「こんな地震 またくるなんて」「津波の記憶よぎり『足震えた』」の見出しがくっきり、臨場感たっぷりの記事だ。これは同紙福島報道部長の片山夏子記者のレポートである。  福島県の中通りと浜通り、宮城県南部で13日深夜、震度6強のじしんがあった。「こんな地震がまた来るなんて。もう。たくさんだ」。震度6強を観測した福島県新地町の自宅でネていた中塚芳子さん(68)は、足が震え、はうようにして外へ逃げた。頭によぎったのは十年前のあの日、自宅や町民百十人の命を奪った大津波の襲来だった。(片山夏子)  13日午後11時7分ごろ、どーん、どーんと下から突き上げる縦揺れが、布団にいた中塚さんを襲った、「10年前の地震より大きく感じて。えーっ、またって」。電子レンジや割れた皿の破片が散乱し、ひっくり返った電気ポットから漏れた湯で水浸しの中、手すりになるものを探し、ったいながら庭に出た。「何も持ち出せなかった」。中塚さんはうつむいた。夫の武さん(68)と共にけがもなく無事だった。室内は壁にひびが入り、ドアが閉まらない、幸い、電気はついたが「津波が来ない」と報道されても、不安だった。東日本大震災時、町内にあった自宅は海から50㍍、武さんは85歳の母と実家にいた。津波警報が鳴って二人で高台に上ると、黒い波が町をのみ込んだ。家は土台以外残らず、高台に立て直した。「地震で家が津波に持っていかれたあの時がよみがえっ…

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「ちょっと一言」 210215

 かつての東京新聞・コラム「思ふがままに」での哲学者、梅原猛さんの言葉が迫る。「哺乳類で共喰い(戦争)するのは人類だけ」「人類は『絶滅危惧種』に指定されるかも」の二つ。彼特有の皮肉まじりの警句だが、コロナ禍(災害)のなか、政府や各国のていたらくな所業をみれば、次の世紀はもう来ないかも。 【140字での寸評】

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片山夏子記者 プロフィール ー下ー

好評の内に終了した東京新聞所載の「詩が生まれるとき(15編)」。担当した片山夏子記者の小プロフィールをご紹介します。同紙8月1日付に掲載されたもの。  東京新聞福島特別支局の支局長に、特報部の片山夏子記者=写真=が1日付で就任。片山新支局長は「事故から十年、福島で生活できることはうれしいです。住んでみないと分からないことがたくさんあると感じています。初心に帰って取材したいです。【以下画面へ】  

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片山夏子記者 プロフィール ー上ー

 好評の内に終了した東京新聞所載の「詩が生まれるとき(15編)」。担当した片山夏子記者の小プロフィールをご紹介します。同紙7月12日に掲載されたもの。  「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」の授与式が11日、東京都千代田区であり、連載「ふくしま作業員日誌」などの記事が対象に選ばれた東京新聞特別報道部の片山夏子記者に記念品が贈呈された。(以下画面へ)

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詩が生まれるとき ふくしまの10年 -15-

 震災後、和合亮一さん(52)は、最後まで避難を呼び掛け津波で亡くなった宮城県南三陸町の職員、遠藤未希さん=当時(24)=の両親が、津波が押し寄せてきた時の映像を見ているニュースを見た。黒い波が押し寄せる中、防災無線で避難を促す声を聞き、お母さんが「まだ言っている、まだ言っている」とぽろぽろ泣いていた。多くの命を救った彼女の声を聞いた後、和合さんは南三陸を訪れた。  2011年12月6日は、オーケストラが演奏する大阪のホールと中継をつなぎ、多くの職員が津波で亡くなった南三陸の防災対策庁舎前で、和合さんは「詩の黙礼」を朗読する事になっていた。「南三陸。黒い波があらゆるものを奪っても、女性は必死になって、呼び掛けた。『高台へ、高台へ』・・・」  吹きすさぶ風の中で、和合さんは声を張り上げたが声をかき消すほどの強い風雨。天気は何かに怒っているかのように荒れていた。予行演習はうまく行かなかった。失敗を重ねるにつれ、無力感に襲われた。自分の祈りは許されないのではないか。何ももかも空虚に感じた。13回の失敗。だが読み通してやると臨んだ本番は、初めてオーケストラと最後まで共演できた。  朗読しながら感情が込み上げてくるのをこらえた。読みきった後、祈りを許された気がした。指揮者が泣いていた。原発も震災も問題は解決していない。自分たちが取り残されていると感じる。小さな力かもしれない。でも祈りをやめない。和合さんは決意した。=おわり(東京新聞・片山夏子)

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