満州っ子 平和をうたう

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<<   作成日時 : 2009/06/20 08:42   >>

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新藤喜代次さんー柔和な顔がいつもそこにある。会うとほっとする人生の大先輩はゆったりと、温かく皆を包みこむ。声をあらげた場面に接したことがない。新藤喜代次さんはそんな人である。身近すぎて紹介するのが遅くなった感がする(「年金・江東6月号」ー佐藤睦郎)

  砂町の「鶴田浩二」
 
 自称、他称あわせてこの名前でとおっている。歌だけではない。雰囲気がぴったりなのかも知れない。声量があってゆとりのある歌い方にはいつも魅せられてしまう。若いころ「うたごえ」にでも通っていたかと聞いたら「ノー」であった。歌との関わりは、61歳ころ、小さな機械を買ってカラオケを始めてからだおいう。東陽町(江東区)でサークルをつくったが、砂町でもということになり23年前、知り合いの斎藤運安さんたちと「北砂カラオケ楽しもう会」を立ち上げた。それ以来だからずいぶん歴史がある。新藤さんは、現在、その会の会長である。運営は、そのつど会費で千円である。

  「砂町山の会」の常連
 
 登山は、若い頃よくやった。超多忙になり立ち消えになっていたが、カラオケ開始を機を一にして復活した。旅行や山登りがあると、じっとしてはいられない。地域の山の会の大事なスタッフだから欠かさず参加している。しかし、最近は若干きついかな、と思うこともあるとか・・・しかし、帰路温泉に入れるのが最高の楽しみ、と微笑んだ。

  大正生まれの85歳
 
 大正13年9月29日生まれだから八十五歳である。そのようには見えないと誰もが言う。墨田区の向島生まれだが戦災に合い親戚を頼って板橋区蓮沼に越した。八人兄弟だったが三人が幼時に亡くなった。長男はサイパンで、次男は北支で戦死した。次男は文学青年だった。終戦直前の死。プロレタリア文学誌に投稿していた。敬愛する兄の死が無念であった。昭和23年、キテイ台風の前年、リヤカーで砂町へ引っ越しをした。牧歌的な時代であった。
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  労働運動に没頭
 
 中島機械印刷会社の旋盤工だった。この会社は後に「日本タイプライター三田工場」になった。印刷機材ではトップメーカーであった。戦後処理のため厳しい首切りがあり、反対の大争議に発展した。東宝の争議もこれに続いた。三田工場をやめ産別金属東京支部のオルグを二年間やった。

 レッドパージ、朝鮮戦争等特需で石川島に採用されたが二年で首。メーデー事件にも関わる体験をした。大亜真空技術(南砂)で組合を結成。書記長、委員長等を歴任。十七年の職場であった。柔和な雰囲気の中に一つの光がある。筋の通った人生に脱帽である。

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