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zoom RSS 早乙女勝元「石碑の誓い」

<<   作成日時 : 2009/06/24 12:44   >>

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1970(昭和45)年、戦後25年も経過しているのに、あの東京大空襲の慰霊碑が地元町会や遺族の手作りでつくられているのに、江東区という自治体が建てないのは何故?と憤りにかられた江東区の女性たちが立ち上がり、署名を集め区役所に請願した。それを期に「写真集・石碑の誓い」が発刊された。本文はその前書きに早乙女勝元さんがよせられた珠玉の一文である。

 忘れてならぬことに  早乙女勝元 (1976年8月・写真集「石碑の誓い)
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 つらかったこと、苦しかったことは、忘れたい。それは、人間の心情であろう。
忘れようと意識的に努力せずとも、それらの記憶は歳月とよもに薄まっていく。かわりに、楽しかったことや美しい思い出は、より楽しく美化されて、心の中に永く生きつづけるのかもしれない。過去の記憶をよりわけて、それらの大半を「忘却」の中に葬ることができるからこそ、人間はフランクに生きていられるにちがいないのだ。

 しかし、日本人は(などという他人事めいたいい方は好きでないが)一般的にいって、忘れてならぬことまで「忘却」の中に葬る才能に長じているような気がしてならないのだが、これは、私だけの思いすごしだろうか。

 戦争体験もまた、その例に漏れない。
 四年ほど前、私は仕事があって、東ヨーロッパを訪れる機会があったが、この旅で、かれらと日本人の戦争観を、歴然と見せつけられたような気がした。

 たとえばハンガリーだが、首都ブタペストは、あの第二次大戦によってその75%を破壊されている。もちろん空からの爆撃もふくまれており、戦争による民衆の犠牲は大きい。しかし、弾痕のあとも生々しく残る建物を国家的に保存し、毎年補修しながら、町の中心地に残してあるのにおどろく。しかも、そればかりではない。戦争による民衆の犠牲者とその遺族には、終生の年金保障がある。
 「金額は、傷の大きさ深さ、また死亡したのが親だったか、子どもだったかということで、みなちがいますが、その額は昔のままではありません。物価の上昇に比例して二〜三年ごとに、スライド改正されるしくみになっています」ということだった。一般民衆の戦争犠牲者には、ビタ一文出さなかったどこかの国とは、わけがちがう。
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 ついで、私はまたルーマニアへむかったが、そこでも、第二のショックを味あわされたのである。路地裏・・・・・・というにふさわしい横丁を歩いていくと、時にして、小さな家の外壁に直径五十センチばかりの草であんだ輪(花輪みたいな)がかかっているのを見かける。私は足をとめた。力士みたいなふとった老婆をとらえて、これはなにかときいてみると、有名人が生まれた家をたたえる場合もあるが、自分のところはそうではなく、
 「あの戦争中、×月×日、うちの××ちゃんが、ここで機銃掃射で死にましたのでね。あたしは、それを忘れません」。老婆は言葉すくなめにそう語った。

 昨年の二月にまた私は、ベトナム民主共和国にまねかれたが、全土解放直前の北ベトナムで見たものは、おびただしい数の記念碑であった。それは一つの町一つの工場にあるといってもいいすぎではない。それほど北爆の嵐はようしゃなくふきまくったということもできるが、しかし民衆の、犠牲者をなげき悲しみ、爆撃をした侵略者に対する怒りとのろいはすさまじく、遺家族はある一定期間みな白い鉢巻をしめ、どの記念碑にも申しあわせたように読める文字は、「いつまでも、いつまでも、忘れない!」である。

 そのような決意の表現が、民衆の中に二度と戦禍をくりかえさせまいという心を、いやが上にも強固なものにしていくように思われる。そして、国あるいは自治体が、平和への熱意をこめて、犠牲者ならびにその遺家族への生活保障を法律で決めているケースが、すくなくない。どう考えても、日本とはちがう。

 私たち日本人の場合には、昔から、たとえば「水に流す」というようなひとことで、過去のわだかまりやこだわりを忘れてよしとする傾向があった。それが日本人ならではの、何事も、いさぎよしとする生きかたを形成したのではないか。たしかに人間の生活の中には、忘れてよいことは無数にある。だが、忘れてならぬこともあれば、許せぬこともある。もちろん、三十年も前の”炎の夜”を語ったところで、たしかにあの子が生きかえってくるわけでも、あの人がよみがえってくるわけでもない。ただどうしようもない思いが心をしめつける結果になるが、しかし、私たちの一人ひとりがいま語らずして、誰が語ってくれよう。
 ▼江東区・森下 地蔵尊
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 語ればつたわる。もし、つたわりにくいとすれば、それは語る側にこそ、問題があるのだ。語り手が、こんにちの平和について真剣に考え、その平和を阻害していくものに対して、まなじり上げて立ちむかっていくだけの気迫を持たぬかぎり、戦争体験の伝達は三十年前の過去形になってしまう。それでは、子どもたちも信用してくれまい。過去形の戦争体験は、現在と未来の平和にどこかで結びついてこそ、地下に眠る人びとの霊もよみがえるのだ。

 私はそんな心づもりで「東京空襲を記録する会」の仕事に乗り出したのが、この仕事に最初から手を貸していただいた橋本代志子さんをメンバーとする「江東の空襲慰霊碑をつくる会」の運動に、大きな関心をはらわずにはいられない。足かけ四年、せっかく江東区議会で全会一致の採択を見ながら、慰霊碑はまだ実を結ばないでいる。実に残念なことである。こんにちの時点で、魂のこもった空襲慰霊碑をつくることが、どれほど切実な意味を持つかは、この一冊の写真集が物語ってくれよう。
 
 忘れてならぬことを、いつまでも、いつまでも、忘れずにいる日本人の一人でありたいと思う。

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