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zoom RSS 「雲流るる果てに」−42−

<<   作成日時 : 2010/08/19 05:06   >>

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青木三郎 [あおき・さぶろう] 横浜専門学校ー神奈川県出身ー昭和20年7月13日、鳥取(米子)方面にて戦死。二十三歳、搭乗機・彗星。(「雲流るる果てに」222〜224頁)掲載。

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   私は幸福だ(学生時代の日記)

 昭和18年2月9日

 母が生きてゐると言うことがどんなに心強いことであらうか。
 母の本当の心を何故早く知らなかったのであらうか。
 母は此の世の中に一番の強い母だ。
 母の愛情を思ふと今の自分を怒りたくなる。兵隊にゆく迄の僅な月日。私は母に対して此の世に於ける最大の孝養を果さねばならぬ。
 それは当然なことであり誰もがなすべきことである。
 それ故に何と幸福な嬉びの多いことであろうか。

私達兄妹は母の余りにも大きな愛情に気が付かな過ぎはしないだろうか。
母は性格的には非常に弱い人間だった。その弱さは何が故であろうか。
それは自分達兄妹を育てる事に夢中に過ごして来たため常に内部的に心が向かったからであろう。
そして弱いが故に尚更我が子に対して母は盲目的であつた。
母を思ひ、或は母に対するとき、私の心は常に清純な感謝にある。
   お母さん  母さん
私は幸福だ。
   つかれたる母がとほときみからだに
   われしらずしてけふまで育つ

 
昭和18年6月14日
 
母に私はどう話したら良いか先程から間誤々々してゐた。
 日頃気の弱い此の母は、私のこの願をきいてくれることだらうか。
 それはどうだらうか、母は驚く程に簡単に同意してくれたのだ。
 安心させんがため、母に私は極手軽な技巧を以て話を進めた。併しそんな技巧は母には必要なかった。
 母は私が云はんとする言葉以上の真実を、母なりの表現の中に語ってくれた。
 「どうせ一度は国のお役にたゝねばならぬ体、それならば男として名のあるやうな立派な働きをしておくれ。お前が飛行機に乗らうが乗るまいが、私は少しも考へない。お前がかうと思った男のやる仕事で、私は満足だ。男は男らしい仕事をするのが一番だ。今日の話は私に相談することはない。唯お前の決心一つで定めるのだよ。」
 
 母は平凡な母だった。
 それだけに今迄、家庭の事について色々と苦労があった。またそこに萌すのは常に気弱さであった。併し今このやうな母の力強い言葉をきくと、平凡だけれども常に表面に表はさぬ強さが感ぜられる。
 このやうな母の態度は、日本人の誰も誰もの心の中に、高い道徳的位置を以て激しき迄も根ざされてゐる。
 私は母の此の激励の言葉を後にし、屹度やるぞと誓った。
 合格へ、合格へ、唯真一文字に歩むのみである。

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