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zoom RSS アメリカ側がみた特攻隊

<<   作成日時 : 2011/02/03 07:54   >>

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「『私たちは神風が怖かった。十人のうち七人は涙をもって迎え、あとの三人は憎しみをもってこれを撃ち落とした』とある米空母の搭乗員は語る」と神風特攻隊員の戦友が戦後編集した「飛行予備学生誌」には書かれているが、これはややひいき目の引用で、実はどうだったのか、07年に上映された映画・「TOKKO 特攻」が示唆にとんでいる。

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 特攻62年後、元隊員・米乗組員が対面 

 太平洋戦争末期の1945年5月、沖縄戦で特攻機の攻撃を受けて沈没した米駆逐艦も乗組員だった元米兵2人が、今月末に来日し、鹿児島市在住の浜園重義さん(83)ら元特攻兵と対面する。

 同じ時代に、家族を愛する気持と、死の恐怖をともに感じながら戦った日米の元軍人。戦後62年を経て初めて対面することになったきっかけは、「特攻」をテーマに日系2世の女性監督がメガホンを握った映画にお互いが出演したことだった。

 来日するのは、元米兵のユージン・ブリックさんとフレッド・ミッチェルさん(ともに81歳)。2人は、沖縄戦で特攻機に撃沈された駆逐艦「ドレックスラー」に乗船していたが、沈む寸前に海に飛び込んで一命を取り留めた。今月21日から日本で公開されるドキュメンタリー映画「TOKKO 特攻」に出演し、駆逐艦に特攻機が激突する瞬間を、「日の丸の鉢巻きが見え、死ぬほど怖かった」と振り返る。


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 映画では、2人を含む元米兵5人と浜園さんら元特攻隊員4人に、監督のリサ・モリモト(39)(ニューヨーク在住)がインタビュー。特攻隊機激突の瞬間を記録した貴重な映像にアニメーションを加え、「特攻」とは何だったかを考えさせる作品に仕上げている。

 ブリックさんら2人は完成した映画を見て、浜園さんら特攻隊員が、家族への思いやりや死への強い恐怖を抱えて出撃したと語るのを見て、「同じ人間として会ってみたい」と思うようになったという。

 その気持を聞いたモリモトさんが、日本の元特攻隊員に対面を持ちかけたところ、浜園さんと江名武彦さん(83)(川崎市在住9が、自分も同じ心境だったと快諾した。


▼鹿児島県南部の陸・海軍の特攻基地
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 浜園さんは45年4月、鹿児島県の国分基地から沖縄へと向かう途中に、米戦闘機3機に襲われた経験がある。機銃を肩に受けて負傷しながら35分間にわたり防戦。敵機が去った後、燃料切れで近くの雑木林に墜落、奇跡的に助かった。この時の負傷などのため、再び出撃命令を受けることはなく、生きて終戦を迎えた。

 「相手は私を殺すことができたはず。なぜ、私は助かったのか」。長年そう思い続け、いつか相手側の気持ちを確かめたいと思っていた。「戦時中、アメリカという国に負けることは死と同じだった。しかし、戦っていたのは生身の人間同士だった。80歳まで生きられたことに感謝し、平和の実現に少しでも役立ちたい」と話す。

 江名さんも、「二度と戦争してはならないという気持ちは同じはず。礼を尽くして迎え、思いを共有したい」という。


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 4人は28日、かって旧陸軍の特攻基地があった鹿児島県知覧町の知覧特攻平和会館を、モリモトさんらと訪問する。

 伯父が特攻隊員だったというモリモトさんは、「優しかったおじは死ぬまで特攻時代のことを語らず、『カミカゼ』が何だった考え続けてきた。浜園さんや江名さんらに話を聞き、初めて特攻隊員の素顔を知ることができた」と、対面の場に同席することを心待ちにしている。 (2007年7月10日ーYOMIURI ONLINE)


【追記】「恩讐の彼方へ」、これはこれでいいが、事実はもっとドロドロしている。次回にそれを記述しよう。

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