満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 心のファイル 田島操さん

<<   作成日時 : 2011/04/28 06:29   >>

ナイス ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 0

江東年金者組合の機関紙に「心のファイル」という名物コーナーがある。組合員の素顔をインタビューを通して、その人の来し方をドラマチックに描いた読みごたえのある半生記である。今回は支部委員の田島 操さん。戦中生まれの彼女は父親の顔を知らない戦争っ子。辛い過去を淡々と語っていただいた。

画像
 1940年11月25日新潟県三条市の生れである。お父さんは、1944(昭和19)年、スマトラ海域で戦死したということしか分っていない。骨壺には小さな白木の位牌しか入っていなかった。幼いながらも鮮明に覚えている。お母さんは再婚することもなく子どもを育てたという。高校を卒業後、おじさんをたよって上京した。   

          ホテルの交換手
 
 資格をとって交換手になった。Fホテルに入社。千鳥が淵にある外人客の多いホテルだった。千鳥が淵といえば、いまでも桜の名所。花見の時期になると必ずといっていいぐらい様々な映像で紹介されるナイススポットであった。

画像
 仕事をしながら組合活動に力を注いだ。御用組合ではあったが、会計担当の執行委員から書記長になるのにそれほどの時間はかからなかった。その時代、女性で労働組合の幹部というのは、目立つ存在だったに違いない。

     組合つぶし攻撃
 
 弱小組合ながら年間の総労働時間は、労連ではじめて二千時間を切った。賃上げや一時金でも成果をあげ、組合は活気に満ちた。
 間もなく組合つぶしのプロが社長として迎えられ攻撃が始まる。本人は交換台からリネン係りに。『組合つぶしを止めろ!』とストを打ち、ホテル労連や日本テレビなど地域の組合の仲間が駆けつけてくれた。
 ホテルを取り囲んだ人、人、人。千鳥が淵に響いたシュプレヒコールを、忘れない。しかし、巧妙な脱退工作で、脱退や退職者があいつぎ、苦しい何年かの後、組合はつぶれた。
 胸張って働き続け会社は止めなかった。社長が替わり、客室係りを命じられる。五十歳頃、部下5名、下請けのメイド30名を率いて客室整備の殆ど一切を担う課長補佐になっていた。


画像
 夫は、かってホテルニュージャパンの執行副委員長。あの火災で有名な横井英機社長に首を切られ、解雇撤回闘争中の火事であった。長い闘いの末、ホテルニュージャパンの闘争は勝利した。ヒルトンホテルで解決パーティーがあったと感慨深げに語った。
    
     退職後の挑戦
 
 好奇心から手話サークルへ。手話が出来るヘルパーが欲しいときき、ヘルパー養成講座をうけ二級ヘルパーになる。手話講習会の初級・上級三年間を終了し、手話通訳者に登録される。「残念ながら、自分のレベルが低くて、大した活動は出来なかった」とおっしゃる。
 今は、公の仕事から手を引いたが、青空の会(聞こえない人たちの共産党後援会)から声がかかれば一緒に活動をする。

 夫は、本人が喘息患者、公害患者の会やオンブズマンとして活動中。元、野鳥の会会員ということもあり双眼鏡をもって二人で出かける。 癒される時間を楽しんでいる。

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 5
ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
かわいい

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
心のファイル 田島操さん 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる