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zoom RSS 震災孤児偲ぶ金田茉莉さん

<<   作成日時 : 2011/06/28 11:25   >>

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今回の東北大震災で両親を亡くされ、辛酸をなめつくしている孤児たちに「暖かい支援の手を」と、熱い視線を投げかける金田茉莉(まり)さん(75歳)。自らもあの東京大空襲で家族を亡くし、体験を同じくした金田さんは今、国に謝罪と補償を求めて東京大空襲訴訟原告団の一員として奔走していますが、その幼いころの真実を語っていただきました。

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 私の住民票には同居人と成っていました。学校の先生は「子どもの同居人って、聞いたことがない」と絶句しました。薄い一枚の紙に記された同居人。私には父も母も姉も妹も家族と呼べる人は、ひとりもいない。どこへいっても居候の身、天涯孤独。「お前は一日早く帰って、親と一緒に死んでくれたら、よかったのに」と、いわれた言葉が胸を刺します。母や姉妹の顔を一目見て、家族とともに死んでいればよかった。

 三月十日の朝、疎開先から東京へ帰った私は、たった数時間の違いで家族に会えず、孤児になりました。私ひとり残して逝った母を恨み、母や姉妹が恋しくてたまらなく、早く家族のいる所へ行きたいと、死を願いつづけていました。

 親戚の家を出てからも、孤児は私の身の上に付きまといました。ボストンバック一つが私の全財産、ふとん一組もない、家もない、安眠できる場所もない娘でした。就職も差別、世間からも偏見を受け、一歩足を踏み外せば奈落の底に転落する、生と死のはざまで、これまで生きてこられたのが不思議な気がします。


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 結婚をして子を持つ身になって、はじめて親の気持ちがわかるようになりました。母は子どもだけを残し、死ぬにも死にきれなかったでしょう。「ゴメンネ。マリちゃんゴメンネ。お母さんを許してね」と夢にでてきた母の言葉が、今も耳に響きます。(図録「東京大空襲展」より

【注】3月10日、母・花江(36)、姉・嘉子(14)ー女学校2年、妹・百合子(7)ー小学2年。東京大空襲で死す。本人茉莉(9)−集団疎開中。住所ー浅草区聖天町

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