
惜別の唄 (クリック)
日本の敗色が濃くなった1944(昭和19)年、中央大学の学生たちも勤労動員で狩りだされ、軍需工場で働いていた。これら動員学徒にも、次々と召集令状が舞い込み、毎日のように誰かが入隊していった。
1945(昭和20)年3月、応召する中央大生の見送りに際して、同じ工場で働いていた東京女高師(現お茶代)の女子学生から、一篇の詩が送られた。
それは、島崎藤村の詩・「若菜集」の一部を変えたもの、情感あふれる藤村の詩は、灰色の濃い雲間から射す陽光のように中大生の胸をうち、一年生の藤江英輔が曲をつけた。以後仲間を送り出す際、友情と別離の想いをこめ、この歌が歌われるようになった。
【追記】中央大出身・穴沢少尉「知覧」から飛び立つ。
http://www.interq.or.jp/classic/jupiter/sekibetsu/
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