福島から、ナマの声を!

東日本大震災の避難者が東京都内で最も多く入居する江東区の「東雲住宅」。東京新聞がシリーズでその人たちの苦難のくらしを追っている。「孤独死防げ『互助』組織」(9月6日)をはじめとして都合3回、暮しは?補償は?就活は?と載せつづけ10月25日では「記者の目」として社会部の鷲野史彦記者がこれまでの問題点を指摘している。

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 東京・東雲の被災避難者

 帰宅のめどや賠償を早く

 
 「自宅に戻れるのか、戻れないのか。はっきりしないと何も決められない」 九月中旬、東雲住宅で出会った藤田幸子さん(57)はこう漏らした。原発から約7キロの福島県浪江町で、夫と二人の息子とすし店を営んでいた。改装した店のローン数千万円が残るものの、福島に戻れないなら、東京で見せを開くことも考えなければ、と思う。

 だが、立ち入りが制限される警戒区域は、いつか解除され、帰宅できるのか。戻れない場合、店や自宅の賠償額はどの程度になるのか、戻れても浪江町の人口が減り、売り上げが落ちたら補償は出るのか・・・。藤田さんには、分からないことばかりだ。

 九月から東雲の本格的な賠償請求の受け付けが始まったが、住宅などの賠償は「現状では家に戻れず、家屋の状況が確認できない(東雲)と後回しに。警戒区域の解除のめども、国は示しておらず、今後の見の振り方を決断できない


 江東区東雲になんと1060人
 
 東雲住宅が最初に被災者を受け入れたのは原発事故から約一カ月後の4月18日。648人だった。避難生活が長期化する中、その後も都内の親戚宅やホテルに身を寄せていた人が東雲に転居し、入居者は約370世帯、約1060人に増えた。その9割以上が、警戒区域や放射線の危険から身を守るために自主避難した福島県の人たちだ。

 特に警戒区域からの被災者は、藤田さんと同じような悩みを抱える。仕事を失い、近所の人や友人と離れた生活を強いられている。職を探そうにも、いつまで東京にいるのかはっきりしない。二重ローンが心配で、新たな生活にも踏み出せない。


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 明日へのスタート切りたいが 
 
 「何もやることがない毎日はつらい」と複数の被災者から聞いた。日常を失った喪失感や生活環境の変化からアルコールに依存した生活を送ったり、認知症になった人もいる。被災者たちは九月、お互いを支え合うために住民の交流組織「東雲の会」を結成したが、日々のやりがいを取り戻す道筋が示されなければ根本的な解決にはならない。

 被災者の中には「古里に戻りたい」と話す高齢者がいれば、「子どものことが心配」と福島以外での生活を考え、自宅の買い取りを求める若い家族もいる。共通するのは、明日へのスタートを切りたいという思いだ。被災者が将来を展望できるように、国や東電は帰宅のめどの説明や自宅などの賠償を一日も早く行うべきだ。


写真説明】いずれも東京新聞から
上・東雲住宅での交流組織発足(9月16日に設立)へ向け話し合う福島県浪江町や南相馬市などからの避難者有志
下・「この年齢になってこんな目にあうなんて」と浪江町の小野田トキ子さん

追記】11月23日に開かれる江東区の高齢者集会には東雲に避難されている方々を囲む懇談会を催すことになっています。題して「福島から、ナマの声をきく!」

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