満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 無差別爆撃 日独集う

<<   作成日時 : 2012/02/06 07:30   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

東京新聞が先月26日朝刊で上記の大見出しで書いた。サブ見出しが「東京大空襲体験者がドレスデンへ」というものである。東京大空襲訴訟原告団に、ここ数年密着して取材を続けている橋本誠記者によるものだ。戦後補償をめぐる訴訟運動もいよいよ国際的になってきた。

▼大空襲で破壊されたドレスデンの聖母教会
画像
 第二次世界大戦末期の東京などの空襲体験者二人が来月(2月)、ドイツの空襲被災都市を訪問します。約二万五千人が犠牲になったドレスデンでは被災から67年となる2月13日に、追悼行事に参加。現地の体験者と交流し、記憶の継承や被害の補償についても考えます。

    追悼行事で惨禍語り合う
 
 訪ねるのは、東京大空襲を体験した二瓶治代さん(75)と大阪空襲訴訟原告の安野輝子さん(72)。遺族や研究者、弁護士ら十数人も参加する予定です。渡独を前に橋本記者が二瓶さんをインタビューしました。

画像
    二瓶さん 反戦訴える
 
 「どの国がやっても戦争は残酷。絶対いけないと感じて」。二瓶さんは今月13日、聖母教会の追悼式典に先立ち、ドレスデン市内の別の教会で行われる追悼行事で東京大空襲の体験を語る。

 大空襲の夜は八歳。江東区亀戸の自宅から家族五人で逃げた。真っ赤な炎が渦を巻き、畳や木の柱が飛んでいった。火が付いた防空ずきんを取ろうと父親の手を離した瞬間、吹き飛ばされて一人に。立ったまま燃えている人がいて、スーッと左手を上げた。「『来るな』と言いたかったのか、『助けて』だったのか分かりません」
 意識を失い、目が覚めたときは折り重なる死体の下、子どもを抱えた死体があり、炭のように黒くなっていた。家族に再会したが、足に大やけどをした妹は薬をもらえず、傷口にウジがわいた。見ず知らずの人がくれた食用油を塗って命拾いしたが、今も妹の足はえぐれたような傷跡が残る。


画像
    「言葉違っても通じ合える」
 
 三十代のころ、同世代で空襲を受けていない友人に体験を話したとき、「昔のこと、自分には関係ない」と拒否された。「分ってもらえなかった。焼き殺された人たちに申し訳ない」と一切話すのをやめたが、九年前、見学した東京大空襲。戦災資料センターでスタッフに説得された。
 私のそばで死んだ人や『また明日遊ぼうね』って別れた友だちのことは、私が話さなければ誰も知らないんだと気づきました」

 今は同センターの来館者に空襲の惨禍を伝えている。外国の空襲体験者を前に話すのは初めてだが、「無差別爆撃を受けたのはドイツも同じ。言葉は違っても、通じ合える」と信じている
。 (橋本誠)

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
無差別爆撃 日独集う 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる