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zoom RSS 心のファイル 河島信子さん

<<   作成日時 : 2012/02/21 06:04   >>

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江東区の「高齢者集会」や「花咲きデモ」などで歯切れのよいてきぱきしたテンポで仕切っていく様を、いつも憧れの眼でみていた。若い年金組合員として、そのうち紹介しなければという思いにかられていたので、その実現に胸をなでおろした。(聞き手ー佐藤睦夫編集長)

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  道産子魂の気風
 
 1952年8月3日、北海道今金町神丘(長万部を日本海側に西に)で生まれた。誕生日で還暦を迎える。はるかな海の向こうに奥尻島がある。冬は、雪よりも「地吹雪」がこわいところだった。ただ子どもにとっては、自前の竹スキーなどで遊びまくった楽しい思いでの地であった。

 中学まではバレーボールに、高校では、放送部や美術部で部活動に熱を入れた。しかし、高校2年で難病にかかり、病院から回診後に学校へ通う状態になった。大学病院での手術を繰り返し、ようやくの卒業だった。

 ところで、日本の女医さん第一号の荻野ギン女史はこの地にキリスト教の桃源郷(理想の村)を目ざしていた(結果的には挫折するのだが)地であり、女性史やち地域史に関心を向け、本の虫に。牧歌的な大地、いろんな人たちが夢を追い求めてきた地。曾祖父も石川県羽咋(はくい)からこの地に入植した。集落まるごとの団体移住だったらしく、地域ごとに福島、徳島など各部落に分かれていた。

 士族救済、神耕急増や経済恐慌、農村の飢饉などで、明治・大正期の北海道への国内各地からの入植は厳しい風土で辛酸を極めたと聞く。一方同じ村内でも習俗や言葉に違いがあったが、進取の気持が旺盛だった。学校にもそんな気風があった。民主的な教育を目ざす教師の存在に後押しされた印象が残っている。

  
   児童福祉ひとすじ
 
 上京して、短期大学で学ぶ。中学校国語の教諭免許と図書館司書の資格もあったが江東区の「自動厚生員」の採用試験がありこの道に入る。江東区内の児童館や学童クラブを五年で転々と異動した。現在は、大島第二児童館館長である。

 区職労の組合活動を通じて、江東区社会保障推進協議会や江東区高齢者集会事務局担当となり、学んできたことが大きいという。定年後、油絵筆を持ちたいと語った。

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