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zoom RSS 4月18日 本土初空襲

<<   作成日時 : 2012/04/19 08:07   >>

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1942(昭和17)年の4月18日、日本本土が米軍によって初爆撃されたことを知る人は少ないでしょう。今日の東京新聞の「筆洗」氏が書いている。今頃何故こんな記事を!と思ったが、ジャスト70年前というよりは、末尾の「不都合な事実の隠蔽は国を危うくする・・・」を言いたかったのだろう。

▼空母ホーネットから飛び立つB25
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 爆音とともに迷彩を施した大型の双発機が超低空で近づいてきた。東京・日暮里の自宅の物干し台で、たこを揚げていた少年は慌てて糸を手繰った。胴体に星のマーク。風防の中にはオレンジ色のマフラーを巻いた二人の飛行士が見える。やがて空襲警報が鳴り響いた▼米軍のドーリットル中佐率いるB25爆撃機16機のうちの1機だった。目撃した作家の故吉村昭さんは「ハワイ奇襲以来、日本軍は優勢に」戦いを進め、連戦連勝が報じられていたので、私はそれが敵である米軍機などとは思いもしなかった」と著書「東京の戦争」で振り返っている▼この本土初空襲があったのは、ちょうど70年前の4月18日。荒川区の尾久周辺には爆弾3発と焼夷弾70発以上が落とされ、10人が死亡し、住宅52戸が全焼全壊した▼日米開戦から4カ月で、太平洋の米空母から、爆撃機が飛来したことに軍部は顔色を失った。米空母部隊を攻撃するために海軍はミッドウェー作戦を決断、その惨敗を機に戦況は悪化の一途をたどる▼最初の爆弾が落とされた住宅街の保育園の前に今月、初めて説明板が設置された。その前に立っても被害を想像するのは難しい▼本土初空襲は太平洋戦争の重大な転機となった。空襲は公表されたが、犠牲者が出たことは伏せられた。不都合な事実の隠蔽(いんぺい)は国を危うくすることは今も変わらない。

追記】早乙女勝元さんの「下町っ子戦争物語」の第4話に詳しい。そのなかで当日のラジオは次のように報道したという。「〜ワガ方ノ損害ハ軽微ナル模様ナリ、皇室ハ御安泰ニワタラセラル」。

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