中村メイ子さんと特攻隊員 続

作家だった父、中村正常(まさつね)は「戦争文学を書くのが嫌いだった」と戦争中に筆を折りました。文化財が多いから空襲を受けないだろうと考え、私が子どものころ一家で奈良に疎開しました。平和そうな村で電車を降りて、「三人で暮らせる家はありませんか」とメガホンで叫び、家を探しました。

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 私は二歳半で映画デビュー。戦争中には特攻隊を慰問しました。七歳か八歳のころでした。兵隊さんたちは「子どもに会いたい」「抱きしめたい」と願ったそうです。死ぬのは「子どもたちの世代の礎となるため」と納得したかったのでしょう。

 目隠しをされ、母と軍用機に乗りました。今も(戦地が)どこだったのか分りません。「内地に帰ったら、ポストに入れてください」と何通も手紙を託されましたから、海外だったのでしょう。父から軍歌ではなく、心を込めて「夕焼小焼」などの童謡を歌うように言われていました。兵隊さんたちは涙も見せずに、りりしかった。今も思い出すと泣けてきます。(東京新聞・6月3日付「生活欄」)


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