「満州っ子」永井瑞江さんの一周忌

1月19日は永井瑞江(みずえ=79歳)さんの一周忌だ。「鎮魂の満州ー3部作」を書いた彼女の想いを反芻する日だ。彼女とは名も同じなら齢も同じ、その上生まれが旧満州。ある時から、意気投合。あの大陸の地で繰り広げられた悔恨の事実を手紙でやり取りをする間柄になっていた。

▼おばあちゃんの満州っ子日記
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 彼女が書いた「おばあちゃんの満州っ子日記」(2005年8月・信濃毎日新聞社刊)を紹介しましょう。彼女がこの書を記す動機になったのが京都に住むお孫さんの虚を衝くような、『どうして?』という質問攻めに端を発したといいます。その内容を終章の「再見、悲劇の大地」から引用させていただきます。時として子どもは真実の扉を開いてくれ、驚かされます。その問いかけです。

    孫たちよ、十三歳の疑問を出してみよう

◆おばあちゃん、どうして日本の子どもは中国人の子と仲良く遊ばなかったの?
◆どうして、日本人は中国人に対して、いばって、こきつかったりしたの?
◆どうして、戦争に反対したら村中からつるし上げられたりしたの?

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◆どうして、ラジオや新聞は、南方の戦争に負けているのに本当のことを知らせなかったの?
◆どうして、日本の政府は、もう危なくなっているソ満国境なのに、満州へ満州へと日本人を送り出したの?
◆どうして、開拓団の人は、土地をとられた中国農民の恨みや悲しみに気がつかなかったの?
◆どうして、女の人は髪を切って逆立てたり、わざわざ顔を汚して逃げ回ったの?


   たくさんの「どうして?」の中でも、最大の疑問は

■どうして、曾祖父ちゃんたちは15年間も侵略し、迷惑をかけた中国の捕虜にならないで、戦争が終わる前に攻め込んできた、ソ連の捕虜になったの?
■どうして、北満州と東満州の日本人は、どこに」避難するのか当てもないのにリュック一つで逃げだしたりしたの、逃げだしたりしないで中国人と助け合って暮らすことはできなかったの?


   の二つだったと思います。

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 私たち「満州っ子」は、このたくさんの「どうして?」に真剣に答えることなしに、とうとう70歳を過ぎてしまいました。戦争の罪悪と不条理を知る私たちは、あの戦争の一から十まで分析反省して、悲劇からの教訓を孫たちに伝えなけれbさならないと思うのに、私たちには時間がありません。
 孫たちよ、できることなら日本と中国の孫たちに会し、60年前の「どうして?」を追求して、大人たちの誤った歴史認識を正す討議をしてほしいものだと思います。


【注】「鎮魂の満州・三部作」①「おばあちゃんの満州っ子日記」(05年8月)②「オリオンの墓」(10年8月)③「鎮魂満州」(12年4月)


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     <「満州三部作」の問い>
 
 悲劇は大きければ大きいほど、再び繰り返させないための「大きな教訓」があるはずです。
 でも「満州の悲劇」について、私たちはちゃんと反省し、「教訓」を導きだしたでしょうか。
 「満州へ、、満州へ」と国民を日本海の向こうに送り出した政府は、反省したでしょうか。

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