▼知覧平和会館で特攻隊員の遺書に見入る来場者

特攻隊員の遺書
世界記憶遺産に
南九州市、ユネスコに申請
鹿児島県南九州市は4日、市立知覧特攻平和会館に収蔵する特攻隊員の遺書=写真(下掲)、知覧特効平和会館提供=など333点の世界記憶遺産登録に向け、国連教育科学文化機関(ユネスコ)本部に申請書を郵送した

平和会館は特攻隊員の遺書や写真1万4000点を収蔵。うち本人名や部隊名が書かれ、直筆と確認できた家族宛ての手紙などを申請する。会見した霜出(しもいで)勘平市長は「明日、命はないという極限の状況で隊員が残した真実の言葉を保存・継承し、世界に戦争の悲惨さを伝えたい」と話した。
【注】世界記憶遺産は世界の人々の記憶にとどめておくべき重要な文書、絵画などの保護と振興を目的にユネスコが創設。フランスの「人権宣言」やオランダの「アンネの日記」など299件が登録されている。

【追記】
●先の大戦末期、鹿児島県の陸軍・知覧基地から若者が搭乗した数多くの特攻機が飛び立った。彼らはすぐ目の前の開聞岳・薩摩富士に手を振りながら旋回し、日本に別れを告げて逝った。
●私が知覧の「平和記念館」に行ったのはちょうど15年前、館内には、15~20歳のあどけない顔も見られる少年たちの遺影、その下には書かれた遺書。一人ひとりの顔を見つめ、家族に宛てた手紙を読んでいくうちに、あたりはばからず思わず涙した。その日は好きなビールも口にする気になれなかった。
●私の兄も神風特別攻撃隊の一員としてフイリピンで戦死、以下は関連のページ。1
http://38300902.at.webry.info/theme/4d2c6dd9be.html
http://38300902.at.webry.info/theme/723036ec63.html
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