
ええ、身内の誰かが死んでも、その死体を動かす体力も気力もないんですよ。アパートのベランダや中庭に寝かしたまま、深々と雪に埋もれていくのです。そういう私たちだって、明日の命はわからず、骨と皮ばかりでした。でも、たとえ次の瞬間に死んでも、妹のパンだけは、決して手をつけまいと。
ワレンチナ「レ-ロチカの形見のパン」
(早乙女勝元『世界の旅から』草の根出版会)
労働者一家のカルプシキン家では、3歳のレーロチカが真っ先に死んだが、家族は幼女が食べ残したパンの一片を形見に保存、現在も長女のワレンチナ母校の博物館に展示されている。1942年2月28日に焼かれたパンである。
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