コラム「雲流れる」永井至正⑩

1940(昭和15)年、世は戦時色にあふれていた。8歳の小学生の私は兄に手をとられて九段坂を上っていた。「いつか、きっとここで会えるからからなあ・・・」。よく覚えていてくれと言われていた。

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▼1946(昭和21)年の春、あたりは焼け野原、そんな中で、靖国神社をたずねた。だがそこには兄はいなかった。「~春の梢に咲いて会おう」(同期の桜)を本殿で歌う同期生とその遺族の目はうるみ、うちふるえていた▼毎年10月になるとさまざまな思いがよみがえって来る。1943(昭和18)年10月21日、雨ふりしきる神宮外苑での学徒出陣壮行会。翌年の10月25日は、神風特別攻撃隊の先陣がフイリピンで突っ込んでいった。以後、終戦まで、3千人を超える若者たちが帰らぬ空に飛び立っていった。その中に兄もいた

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▼鹿児島県知覧町の「知覧特攻平和会館」で若き兵士たちの遺影を前に立ちすくみ涙した小泉首相。「ああ同期の桜」という第14期海軍飛行予備学生の遺稿集に感動し、鎮魂の想いで首相は靖国にいくという。「いろいろ」口癖のコイズミ首相。靖国への思いは一つでなくていい。ただ一つ同じでなくてはならないもの、それは、本当に「もう二度と戦争はしない」だ。先の大戦で多くの日本人は肉親をなくし、日本軍は数多くのアジア人を殺し、傷つけた▼今月末にも出されるであろう自民党の新憲法草案には、憲法9条にある「戦争の放棄」について「武力行使」が可能になるような文言が入ってこないだろうか。仮にもそのようなことがあれば「靖国の英霊」たちは何と言うだろうか▼今年は戦後60年、靖国にはよく行く。そして胸に刻み込み、九段阪を下りながら思う。庭に咲く桜はいつまでも「反戦の花を咲かせ続けよ」と。(永井至正=東京新聞ー2005年10月25日投稿

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