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zoom RSS 11月24日 米の本土空襲 武蔵野が口火

<<   作成日時 : 2014/11/24 13:41   >>

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麦畑が広がりヒバリがさえずる農村が、戦場に変わった。1944年11月24日、東京都武蔵野町(現武蔵野市)を米軍の爆撃機{B29]が空襲した・・・それは始まりでしかなかった。以後、米軍による本土空襲が各地で本格化。国民は終戦まで、しの恐怖におびえて暮らした。(東京新聞の特集記事「伝言」へ寄せた早乙女勝元さんのメッセージ)

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 日本全国が「戦場」に  早乙女勝元 
 
 戦況が悪化しても市民にとって戦場は遠い海外だった。食糧難には苦しんでいたが、死の恐怖にはさらされていなかったからだ。
 それが一変したのが1944年11月24日の武蔵野の空襲だった。この時に「銃後」の日常が破壊され、日本全国が戦場へと変わってしまった。
 米軍は国際法の手前、ゼロ戦のエンジンなどを造る軍需工場の中島飛行場武蔵製作所を第一目標としていた。しかし、飛び立った111機のB29のうち武蔵野を爆撃したのは」24機だけ。残ったうちの50機は悪天候を理由に第二目標へと回った。そこは品川、江戸川、杉並といった市街地で、爆撃により200人以上の市民が亡くなった。軍需工場周辺の市民も誤爆の被害に遭った。


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 その後は次第に第二目標だったはずの都市が空襲の中心となっていった。原爆も含めた空襲により、国内ではおよそ56万人の犠牲者が出たとみられている。
 家も人も焼き尽くして日本国民の戦意を奪おうというのが米軍の狙いであり、国際法違反の作戦だ。しかし、12歳の少年まで軍需工場に動員するような日本政府のやり方が「下町でも軍需品を造っているから目標にするのだ」という口実を米軍に与えた面もある。
 国が隣組を通じて広めた防空・防火訓練には、退避の訓練がないという重大な問題があった。江戸時代の火消しのようにバケツリレーと火たたきで火に向かっていくという訓練で、米軍の最新兵器に太刀打ちできるはずない。それでも国民の災害対策のような退避訓練をしていれば、東京大空襲で10万人も亡くなることはなかったはずだ。
 銃後が戦場化したことによる一番の犠牲者は、女性、乳幼児という弱者だ。今も世界ではテロとの戦いの中で女性や乳幼児が殺されている。戦争は「平和」の名の下にも起こる。本当の平和を模索するには、女性と乳幼児の生命を中心に考えていかねばならない。


】来年は戦後70年。東京新聞は戦争の記憶を後世に伝えるため「伝言ーあの日から70年」と題した大特集を連載することになった。今回はその2回目で「本土初空襲」、担当は林朋実記者。来年8月15まで毎月15日に掲載という。ホンブログでは順次取り上げることにしている。なお、1回目は10月15日の「特攻隊」だった。

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