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zoom RSS 昭和を生き抜いた 小名きぬさん

<<   作成日時 : 2015/04/25 06:52   >>

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小名きぬさんが逝った、別れを告げずに行った。つい2月に、米寿のお祝いの席で多くの友人に囲まれていたばかりなのに・・・。誰しもがいいます、「困ったときの小名頼み」、と慕われた人。愚痴はその人が語り尽くすまで聞いて、聞き、ころを見計らって一言「ポツリ」。それでみな安堵した。

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 とあるシャンソンのコンサートに行った帰り際、ご一緒した小名きぬさんが少しばかり上気しているのをみて、「疲れましたか?」と声をかける僕に、「いいや、シャンソンってやっぱりいいわね!と彼女がほほ笑む。
 会場から鎌倉駅までの道々は、シャンソンの話で持ちっきり。聞けば、10年前、夫君の小名ナ平氏(亨年83)が常日頃、口ずさんでいたのがエディット・ピアフの「巴里の屋根の下」だったとか。
 小名ナ平元陸軍大尉の戦暦が痛恨のドラマです。ノモンハン事件(昭和14年)で九死に一生の境をさまよい、中国を転戦。殺し、殺され、部下を何人亡くしたか数えきれないといいます。
 敗戦後、復員したのが1947(昭和22)年。7年間大陸を彷徨した彼は、あの地でのことは口を固く閉ざしたまま逝きました。訃報を知って、部下たちは全国から駆け付け、口をそろえて「部下思いの名指揮官、退却の名人」だったと涙したといいます。
 故郷、青森の八戸で結ばれた小名夫妻。上京後、彼は江東区で理論的闘士として平和運動のリーダーに、彼女は婦人運動などの先頭に立ち、平和への思いを貫いていました。
 彼の没後10年たっても表札は連名のまま、自宅の仏壇には、いつも旬の生花が飾られ、レコーダーからは時おりシャンソンがながれ、語りかけるようでした。


追記】「もう来たのか、まだ早いぞ」とナ平さん、「もう、そろそろよ」ときぬさん。会話が弾んでいるかも。どうぞ、シャンソンをデュエットしてください。そして平和への思いを後輩たちに伝えてください、いつまでも・・・。なお、本文は08年8月に年金者組合江東支部の機関紙「年金・江東」に投稿したものを原文のまま再掲載しました。写真 2004年「年金大改悪」のとき国会前に座り込む年金組合江東支部の面々。右から二人目、小名きぬさん。
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