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zoom RSS 写真集 「満州公主嶺」 公主嶺小同窓会編 はじめに

<<   作成日時 : 2016/01/20 05:56   >>

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 みはるかす満洲野(ますの)、その地平線に落ちる赤い夕日、黙々と牧舎に帰る群羊、サイロの乾草の山、暮れなずむロシア墓地。残照に立つ十字架、楡の葉のそよぎ、どれほどか熱く、私たちは幼い日を育んでくれた公主嶺の自然と風物を語りあってきたことだろう。あれらの日々も、もう遠くなった。(あとがき)
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 公主嶺小学校同窓会による記念誌『満洲公主嶺 過ぎし40年の記録』編集に際して、多くの貴重な写真が集まった。それらは芸術的な畜産の並木や風車や羊たちであり、明治、大正時代の公主嶺駅、ロシア協会、騎兵連隊などであり、さらには公主嶺の草分けとなった人々の面影もまじっていた。私たちはぜひ、これらの写真を長く記録に残しておきたいと、切実におもった。
 また1983年からの三たびの訪中によって、往時を偲ばせる多くの写真が撮影され、そこに積み重ねられた歳月に、激しく心を動かされるものがあった。これらが五百枚余の「回想の公主嶺」「現在の公主嶺」として、いまここに結実した。
 この写真集は記念誌の編集委員が引き継いで担当した。記念誌と写真集は一対のものとして、公主嶺のすべてを記録した歴史の証人となるであろう。さらにまた、公主嶺を知らない世代にも、詩情あふれた大陸の雰囲気を伝えることができるであろう。一年近くの編集を終えるにあたり、同窓生はじめ公主嶺ゆかりの人々の物心両面にわたるご協力に改めて厚く感謝したい。
      1988(昭和63)年10月30日
           編集委員一同
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   『公主嶺農事試験場の畜産風景』 
                   西島武郎画
 

 初代満鉄総裁、後藤新平の雄図になる公主嶺農事試験場は付属地の北に60万余坪の広大な敷地を占めていた。大正2年開設当初は種芸、農芸化学、病理昆虫、畜産の四科があって、その後の大陸の農業近代化に貢献するところ多大であった。とくに大豆と綿羊の品種改良には優れた成果をあげた。
 畜産科の放牧地のあった一画は、単に「畜産」と呼ばれ、北欧を思わせる風車やサイロやルーサン採草地の間に点在する白い羊たちは、この絵のように、そのまま一幅の名画だった。向こうの牧舎は右から第一羊舎、第二羊舎、畜産科事務所、第三羊舎である。


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西島武郎(にしじまたけろう) 
 1913(大正2)年東京に生まれる。昭和8年末公主嶺の独立守備隊に入隊、その後北満に転じ、2年後の徐隊とともにハルビン鉄道局に入り、満鉄の宣伝部に勤務して、画帳を手に満州を駆けめぐる。
 戦後は東京に引き揚げ、フリーとして「旅の絵ごよみ」というお祭りの絵を描きつづける。朝日新聞の日曜版にも連載したことがある。この絵(「公主嶺農事試験場の畜産風景」)は『満洲幻走』山と渓谷社)に所収のものであるが、ご好意により、原画を借用した。


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