満州っ子 平和をうたう

アクセスカウンタ

zoom RSS 満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −5−

<<   作成日時 : 2016/02/15 06:08   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

厳しい指導で生徒から恐れられていたK先生が、あるとき、智仁勇の三つの徳目についてお話になった。黒板に正三角形を描かれ、三つの頂点に上から右左と智・仁・勇の三文字をお書きになり、それぞれの徳目が均等に備わってこそ、立派な人間になれる。(記念誌342頁上段)

画像
   K先生と三徳の教え
         山田 昭(32回生)
 

そのどの一つがすぐれていても、あるいはどの一つが欠けていても、三角形は変形して正三角形にはならないと、分かりやすく教えられた。
 ところが鉾先が急に私達生徒の特定の者に向けられ、私には、山田は智に比べて仁と勇とが足りないと、縦長の二等辺三角形を書いてお示しになり、仁と勇を涵養するようにと諭された。



画像
 クラスの全員の前でこのように指摘され、私は、穴があれば入りたいほど恥ずかしく、顔を真っ赤にして授業が終わるまで小さくなっていた、この恥ずかしい思いはいつまでも消えることなく、陰に陽にその後の心の持ち方に影響を与えたと思う。
 私は今還暦を迎えて、子供心に刻まれた三つの徳目の意味を、未だにずっしりと重たく感じている。K先生とは、終戦の前日にあの葛根廟事件で非業の最後を遂げられた、小山司六先生その人である。

【注】小山司六先生
 小山司六は満洲教育専門学校を昭和4年に卒業し、4月公主嶺小学校に赴任した。24回生を4年から卒業まで受け持ち、その他理科、数学、体育なども指導した。13年に范家屯小学校に転任、15年、興安総省興安街小学校長に赴任した。興安在満国民学校は、小山校長以下職員11人、生徒は全校で270人であった
(記念誌462頁)

画像
    葛根廟事件と小山先生
 
 昭和20年8月14日午前11時40分、興安街東半部の日本人約1200人が新京方面に避難する途中。葛根廟(かっこんびょう)付近でソ連軍戦車団の攻撃を受け、うち1000人以上が1時間半にわたって無差別に殺戮された事件である。この事件で生き残ったのは幼児ら百数十人に過ぎなかったという。(記念誌462頁)
画像
  地獄絵のなかで 

 「戦車だ。戦車だ。隊列をくずして逃げ回る婦女子たち。それを狙って火を噴く機銃。みるみるうちに阿鼻叫喚の地獄絵が目の前でにくりひろげられた。小山校長は、成人一人2個ずつ割り当てられていた手榴弾を、迫ってくる戦車の腹部めがけて投げつけた。しかし不発だった。残りの1個を投げようとした時、機銃が小山校長の体を貫いた。小山校長はその手榴弾を胸に当て、かたわらの長男と次男を抱きよせ、親子三人で自爆した。
 校長夫人は長女蓉子さんと末っ子喬敏君を連れて、中隊の後尾にいた。逃げまどう途中、夫の最期を知った夫人は、二人の子供を抱きしめ手榴弾の紐を引いた。雨に濡れたためか不発だった。しかし、戦車の機銃が夫人の頭部を貫き、即死した。
(藤原作弥「満洲、少国民の戦紀」)

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
満洲・公主嶺小同窓会誌 第8章 エピソード −5− 満州っ子 平和をうたう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる