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zoom RSS 満洲 「冬に想う」 則次美弥子(公主嶺小・35回生)

<<   作成日時 : 2016/02/20 09:30   >>

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昨年(2015年)、上野の「水車」で開かれた「満州・公主嶺会」。隣席が小学校で二級上の則次美弥子さん。「さて、どなただろう?」、と思いめぐらしたが、旧姓を聞いて合点がいった、姉と同級だったあの芦田さん。岡山に住み、まだまだかくしゃく、話も弾み、筆も流れるよう。(会報「満州 公主嶺」合本32号)

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   故郷の町 想いは熱い 公主嶺 

  チャンネルを回して、スケートの華麗な演技に見入る。画面に、幼い日に滑っていた自分が重なり、故郷への厳冬の想いが髣髴としてくる。
 雪が積もると、学校ではリンクの土手づくりが始まった。散水車の水を竹箒でならしていくと、みるみるうちに凍っていく。これは高学年の作業だったし、滑る日を待つ胸躍る仕事だった。
 昼休みも、放課後も、いつも滑っていた。身も心も温まるスケートを私達はこよなく愛したものだった。隅のほうの氷を後刃で砕いて、油臭のを口にしたのも懐かしい。


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 「高学年は職員室に集まれ」
 このアナウンスに、せっかく履いた靴を脱いだ宣戦布告の12月8日のことだった。零下30度。そこには厳しいものがあったに違いないが、それは風化され、いくつかの記憶だけが、その寒さを証明してくれる。
 「あの人の頬っぺ、凍傷になったんだって」「濡れた手でノブを持ったら、ひっついたって」「あの子、立ち小便したら、オチンチンまで凍ったって」「エー」
 窓は二重窓、室内はストーブにペチカの二本立の暖房、煙突掃除のニーヤが丸めた長い割り竹を肩にして掃除にきた。寒さに命を失う人のいることも知らずにいたあのころは幸せだった。


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 学校から家に帰るには泰平橋にかかるスロープを通った。そこでは必ず柵を越えて、尻もちスキーに興じた。
 下から駆け上がっては、また滑る。いつまでも飽くことなく滑った。道ゆく人も寛大で、注意を受けた覚えはないが、されても聞かなかったに違いない。ただ、母からシューバが傷むと叱られた。

 長い冬に、春を待つ一つの行事が旧暦のお正月だった。支那街は縁起のよい赤、青、黄に彩られた飾りや衣装で埋まり、爆竹の音が華やいで聞こえた。


 3月になると、
 「もう春だね」「零下5度だって」。私達は手袋を脱いだ。長い冬を惜しんで、春をほおばった。
 ・・・・・・公主嶺の町は、今、銀色。
   その故郷への想いは、熱い。・・・・・・


】右写真 スケート場リンクの上で35回生女子組み、左端が担任の篠原先生。
リンクhttp://38300902.at.webry.info/201510/article_24.html

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