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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −5−

<<   作成日時 : 2016/06/10 05:52   >>

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昭和6年ごろ住んでいた私の家は水源地と和田牧場に近い泉町の郵便局官舎で、ロシア建てのだだっ広い殺風景な家だった。裏は広い畠で、それに続いて広いグラウンドがあり、その先には満鉄の白雲寮の白い建物が見えていた。(270頁上段)

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    倉本中隊長と守備隊 
          塩原鈴枝(27回生)


 また独立守備隊の兵舎も近く、朝夕ラッパの音で明け暮れていた。赤い夕日が沈む兵舎のあたりから聞こえてくるラッパの音色は、子供心に何となく胸をしめつけられるようなさみしさを感じたのをよく覚えている。
 そのころ裏のグラウンドを一人の立派なまだ若い方がよく散歩しておられた。ある日、父に聞くと、守備隊の倉本大尉とおっしゃる方だと聞かされた。そしえ時々畠に出ている父のところに来て立ち話をされ、私にも声をかけて下さったが何時しか其の方の事は忘れていた。
 後になって倉本大尉が南嶺で戦死されたことを知った。大尉の奮戦された映画「ああ南嶺三十八勇士」を見て両親と涙したことを覚えている。現在も毎年9月18日の満洲事変の日には、あの映画のことと倉本中隊長のお名前を必ず思い出している。

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【注】関東軍と南嶺の戦闘 

 いち早く関東軍は、19日未明、長春南方4キロの「南嶺」で張学良軍に夜襲をかけたが、抵抗激しく公主嶺からの来援を受けた。東京朝日新聞は、9月20日付けで次のように記述している。「ほとんど19日終日を費やしたが我が軍の死傷もっとも甚だしく死傷者35名、負傷者70余名を出した。公主嶺の独立守備第一大隊長小河原浦治中佐は重傷を負ひ第三中隊長倉本大尉は名誉の戦死を遂げた」(記念誌223ページ)。
 
 右写真は戦死した倉本少佐(死後一階級昇進)の碑。「忠烈」の文字は森連独立守備隊長。(「写真集・満洲公主嶺79頁)。

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