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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第7章 エピソード −1−

<<   作成日時 : 2016/06/04 04:37   >>

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私の生涯で恐ろしく忘れることの出来ないのは、昭和6年9月18日の満洲事変の前夜である。夜、床についてすぐだったと思う。パンパンという銃声が聞こえ、私と妹はすぐ枕元にあった洋服に着替えた。父橘十一郎が何やら出て行く様子、母が慌てて止める。

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   満州事変前夜のこと
     山浦 薫(旧姓橘・27回生)

 
 父は「わしにはわしの任務がある」といって出て行った。間髪を入れず警察官の制止にあう。「危ない、先生、防弾チョッキをつけてください」と持って来られた。何が起きたか子供心にわからず、「すわ匪賊の襲来」と思った
 今思えば満洲事変に先駆けて、河南に駐屯していた中国の兵舎を攻撃したものと思う。橋の上に門があり、たしか夕刻にはその門は閉められていたようだった。門の前には土のうが積まれ、そこから河南に向かって銃で攻撃する態勢が構えられていたようだ。門は閉ざされ、銃声は盛んになり、中国の住民は逃げ場を失い、門にとりすがり泣き叫んでいた。
 やがてパチパチと火の手が上がり、悲鳴が聞こえる。私はいつ避難のサイレンが鳴るかとおびえながら、ひたすら祈った。そのうちに銃声が止み、眠ってしまった。翌朝満洲事変の起こったことを知った。

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満洲事変と関東軍(1)
 昭和6(1931)年9月18日午後10時30分ごろ、満洲(中国東北部)南部の東北方にあたる柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、満鉄の線路が「何者か」によって爆破された。満洲全土を掌中にしようと企てていた関東軍は、この爆破を合図に作戦を開始し、東京から秘かに持ち込んだ24インチ榴弾砲を、奉天軍が駐屯する北大営(中国軍兵営)に向けて発射し、これを占領、わずか4日間で南満洲の主要部を制圧した。電光石火の早わざだった。

 事件を知った奉天総領事・林久治郎は、幣原喜重郎外相あてに第一報を打電し、「鉄道箇所修理の為、満鉄ヨリ線路工夫ヲ派遣セルモ軍ハ現場ニ近寄ラセシメザル趣ニテ、今次ノ事件ハ全ク軍部ノ計画的行動ニ出タルモノト想像セラル」と報告した。(「昭和と戦争」)。

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