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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第1章 エピソード −5−

<<   作成日時 : 2016/09/04 06:09   >>

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 町はずれのロシア墓地には、子供たちに未知の西欧文明があった。白い大理石の墓標、そこに刻まれた紋章とロシア文字、高くそびえる十字架、軽快な木々の葉かげ、木漏れ日・・・。張りつめた空気までが別世界のもののようだった。(記念誌26頁)

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   ロシア墓地の光と影
        伊藤 聖(33回生)


 花が供えられていた記憶はないが、いつもきちんと掃除がいきとどいていた。かくれんぼうをしながらも、だれが綺麗にしているのだろうかと気になった。
 露国墓地は明治43年7月、露国特命聖墓使ドブロフラウオフ少将より笠間吉松に請負はしめ、現在のごとく墓地整理を行ひたるものにして、面積4万サーシェン即ち我2730坪余にして、中央に石造の十字架塔を建つ。我守備隊は墓地の尊厳を維持する為め、今尚昼夜1回宛(ずつ)、兵士を巡邏せしめつつあり」(大正14年版『公主嶺要覧』)。

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 明治期の日本は西欧諸国に追いつこうとして、神経質なまで国際法規の順守に心を配っていた。墓地整備もその一つの現れで、以後ずっと満鉄と守備隊が維持してきたものだろう。そのロシア墓地も、あの文化大革命で一つ残らず破壊されてしまった。残念なことをしたものである。
【注】ロシア墓地
 公主嶺のなかでも最も西欧的な雰囲気をただよわせていたのが、付属地の西北お一角を占めていたロシア墓地であった。ニレや白楊の小立のなかに、木漏れ日をあびて並ぶ十字架(写真)はその数4,50基。日露戦争のとき、駅前の教会はロシア軍の臨時野戦病院となり、後送されてきた負傷者のかなりが亡くなってこのロシア墓地に葬られたという。記念誌11頁

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