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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第2章 エピソード −6−

<<   作成日時 : 2016/10/01 05:53   >>

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 明治43年の冬、公主嶺にもペストが流行し、緑町のオンドルの家から武士道の陸軍官舎に引っ越しました。軍隊では武士道の入り口で外から来る人に消毒をしていました。当時、このあたりで家族でいたのは私共と連隊長のコックさん夫妻だけでした。(記念誌65頁)

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   ペスト大流行のころ
      斉藤 秀(旧姓大川・8回生)

 
 夜もふけて守備隊の消灯ラッパが風にのって聞こえてくると、ほんとうに淋しいものでした。
 守備隊の南側、鉄道線路に近い半分は衛戍病院になっていて、そこの遊動円木で同級生の松本幸子さんとよく遊びました。太くて頑丈な遊動円木でした。農事試験場の神田さんのお嬢さんの愛子さんもよいお友達でしたが、この方は何年ごろでしたか亡くなられました。
 雨季に入ると武士道はぬかるみ道になりました。ある雨の日、長靴をぬいで、はだしで家に帰り、風邪から重い腎臓炎となり、半年も休みました。若い軍医さんの指導で、朝から晩まで牛乳ばかり7本も飲みました。そのときの牛乳屋さんは、毎朝早々、少年が届けてくれたように覚えております。お蔭で84年の命を永らえることが出来ました。

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注1】■衛戍病院ー「戍」(じゅ)は守る意。陸軍の軍隊が一定の広汎な地域を分担するために常駐したこと。公主嶺では後に陸軍病院になる。
注2】■ペストの流行ー明治末、公主嶺の大事件はペストの大流行であった。明治43年10月、いわゆる肺ペストが北満で発生した。全満の死亡者数は満鉄によって14729人と発表されている。
 右は中国語訳文、ペストを「鼠疫」と、面白い。

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