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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −6−

<<   作成日時 : 2017/01/14 05:50   >>

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 大正11年に父は渡満していたが、家族は2年後の大正13年5月、関釜連絡船で渡満した。私は当時8歳で3年生、着物姿に学帽をかぶった渡満記念の写真が残っている。一緒に写っている弟はまだ2歳だった。(記念誌177下段)

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   下駄スケートで遊ぶ
         南治芳春(20回生)
 
 
 佐世保から下関へ行き、釜山から朝鮮経由で奉天、四平街、公主嶺への長い退屈するような旅だった。汽車の中で、中国人が背負っていた布団のにおいに閉校した。
 小学校は駅前の旧校舎で、道路を隔てて運動場があった。秋の運動会が終わると、土を盛り上げてスケート場の土手が築かれる。一晩中四方から水を流し、翌朝には氷のリンクが出来上がっていた。滑るところに鉄板に大きな炭火をのせていた記憶がある。
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 選手の人は、安東型ロングスケートだったが、私達はまだ下駄スケートであった。下駄は足駄の台のように舟型で、鼻緒のほかに後ろにも紐がついていて、草鞋のように足をしばった。
 その下駄スケートをもって、三宅牧場の前を通って水源地のダムによく滑りに行った。友達と練習していて、ぶつかって頬をはらし、母に叱られて暫くスケート禁止を言い渡されたこともあった。

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