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zoom RSS 公主嶺小同窓会誌 第5章 エピソード −1−

<<   作成日時 : 2017/01/05 05:08   >>

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 私の母、小野かのの人生は即、実科女学校と家政女学校の歴史でもあると私は今でも思っている。あのころの母は必死になって働き、学校の内容充実と発展に努力していた。それは今でも瞼の裏にやきついて忘れられない出来事である。(記念誌175頁上段)
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  家政女学校時代の母
        小野良昌(19回生)

 
 大正10年ごろと思うが、夜になると5人から10人くらいの女性がわが家に来て、ペチカのある部屋で夜おそくまで和裁や洋裁、手袋などを母に教わっていた。
 私はまだ小学校低学年だったのに、寝ないでこの光景を眺めていた。いまでもビーハイブの毛糸とか、ゴム編みとか、丸い輪のある刺繍する布とか、種々の色の英国製DMCの刺繍糸とかを覚えている。長い物指しがあり、布を裁断する木の絶ち台があり、シンガーミシンがあり、そのなかに熱心な母の姿があった。
 夕方おそくまで学校で教鞭をとり、帰宅するとすぐ食事を作り、夕食がすむかすまないうちに多くの生徒が来る。そして一人一人に手をとって、それもみんな違ったものをやっているのを教えていた。またそのためか、夜中に台所で(わが家に風呂はなかった)洗濯をしていた母の姿が忘れられない。

】「小野先生は実家が東京だったせいか、毎年夏休みには東京でいろいろ講習を受けられて、それを毎日に授業に生かすという熱心さで、父母からも絶大な信頼をえておられました」(記念誌146頁ー田中清蔵)。下は中国語訳文)
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