
時ならぬ写真ブーム
伴野満寿美(13回生)
チェコスロバキア軍は大正8年4月にはイルクーツクまで下がり、大正9年2月にはシベリアを脱出することが出来て、ハルビンを経由、長春から公主嶺を経て、大連へ南下して行った。
このチエコ軍の貨物列車が公主嶺に到着すると」、時ならぬ交換風景が見られた。その貨車には、北欧美人の奥サン、娘さん、可愛い子供達がたくさん乗っていた。これはチェコの人ばかりでなく、ロシアの亡命者、避難民もまじっていたのでしょう。
このころ、町ではコダックの写真機が流行していた。初めて見る西洋人の物珍しさから、公主嶺の若いインテリは、こぞってこれら北欧の人をカメラにおさめた。学校の先生方も飛んできて写していた。
東京オリンピックのとき、チェコの役員でこの日本の救援を感謝していた人があったので、ああ覚えている人もあるんだなァと昔を思い出した。
【注】シベリア出兵の関連図、記載がないが、公主嶺は長春の南70キロ地点。
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