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zoom RSS 満洲公主嶺 敗戦から引き揚げ迄の記録 小松光治 A

<<   作成日時 : 2017/04/25 05:17   >>

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 満洲公主嶺日本人会の設立及び日僑善後連絡所の記録(敗戦から引揚迄)−公主嶺日本人会 会長小松光治(昭和21年8月22日 記)

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    公主嶺日本人会設立より遺送迄の概況

 1、自衛団の設立 
 昭和20年8月9日蘇聯の宣戦布告に因り、公主嶺にては日本人義勇警備隊を設け、応召に漏れたる男子18歳以上50歳迄の全部を集結して自己防衛にあたり、日本憲兵隊より38式長銃を貰い受け輪番制にて昼夜其の人に当たりたるが、日本人会設立と同時に其の隷下に入れたり。

2、日本人会の設立 
 8月15日、日本政府の降伏声明に因り政治機能は直ちに停頓せるを以て、在公日本人の秩序維持の為8月19日公会堂に午前午後の2回に分け1戸1人必ず出席せしめ、満場一致を以て日本人会の設立を決定し、会長には明治37年以来在住の小松光治氏を推薦し即時会務を運行せり。


小松光治氏<ミニプロフイール>
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 明治38年7月、東京外国語学校清国語科(2回生)を終了後、陸軍通訳として渡満、戦後(日露戦争)いったん帰国の後、再び一介の御用商人として大連に上陸し、鉄嶺、公主嶺と北上して、明治39年12月末、公主嶺に居を定め、翌40年5月25日に合利用行の商標を掲げた。小松氏の堪能な中国語は敗戦時に幾多同胞の危機を救うことになるが、それはこの40年後のことでる。(満洲公主嶺 過ぎし40年の記録・51頁

    右写真はまだ20歳代で公主嶺草分けの人だった。⇒

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